第五話:学校(中)
魔法学院の日常、その大きな一つが、自由な昼休み。
貴族たちは華やかな食堂で、談笑を極め、楽しんでいる。
─────そんな中、ある一人の勇者が、細々と飯を食らっていたのだった。
─────魔法学院の、昼食とは。
言うなれば、貴族様のお食事会であった。
よって、給食などという安っぽいものでは決してない。
家ごとに使用人が自慢の料理を持ってくる。
和洋中、様々な匂いが絡み合って、毎度の如く食堂は、ファミリーレストランのようにカオスな空間と化していく。
「聞いてよー。この前の先生がさー。」
「私もー。それでねー……」
ガヤガヤと賑わう室内。
お淑やかに愚痴を零す女性陣と大声で騒ぎ立てる男子陣がよく目立つ。
そして側には数人の執事がいて、黙って立っている。
多少行儀の悪い会話にも目を瞑り、老人らしく思春期らしい雰囲気には我関せずといった感じ。
─────豪華に盛り付けられた小皿と中央に居座るケーキスタンドが煌びやか。
目も当てられない豪華さを、それらが派手派手しく演出していた。
……そんな中、集団ばかりのテーブル席の外、壁面のカウンター席でただ一人飯を食らう青年。
丸い黒髪マッシュヘアに黒縁の眼鏡、気弱全開の風貌。
…そう。彼は勿論、日比野である。
「─────────。」
彼は生鮮食品が詰め込まれたサンドイッチを黙々と食べ進めていく。
レタスが口元を覆い、ハムのような加工肉とパンが口内に入る。
が、その余りある幸福に彼は特に感動することも無く、彼は只寂しそうに前屈みになるだけ。
口元に食材を放り込んでは咀嚼する、その行為を反復するのみであった。
「ヒビノ君こんちわー!!元気してるー!?」
「…何でしょう?」
「こら。はしたないですよ。カリン。」
「えへへ。ごめんごめん。」
後方から歩いてきたのは女子二人。
陽気そうな金髪の細身と落ち着いた黒髪の中肉。
相対する性格の二人がなぜ共に行動するのかといえば、それは二人ともが日比野の同僚である事が起因していた。
「…ご主人様の申しつけですよね。」
「ま、まあそうなんだけど…!
ちょっと野暮用っていうかさ、暇なら変わってくれないかなー、なんて!」
「貴方、またあの場所に顔を出す気ですか?
何度も言っているでしょう。あそこには私たちに値する者などいないと。」
「いやー?わかんないよ?
優良物件っていうのは突然生えてくるモンなんだからさ。
試せるところは試しておかなきゃ!」
会話を続ける二人を遮ろうかと葛藤する日比野。
それでも女子二人の間には入る事はできず、彼はまた黙って次のサンドイッチを取ろうとする。
「お願い♪受けてくれたら今日もさ、”大丈夫”だから♪」
伸びる日比野の手を引き寄せ、耳元に小声で囁くカリン。
年相応の、少し高めの嬌語が脳を焼いた。
日比野はそんな逃走も憚られる圧迫を身に感じながら、何とか言葉を捻り出すしかない。
「はい…。分かりました…。」
「うん!分かれば良し!じゃあ後よろしくねー!!」
ふりふりと手を動かして背を向ける。
まるで強大な嵐が過ぎ去ったよう。
が、次にはまだ面倒事を抱えた者が立ったままであった。
「…コホン。私は公的な交渉で参りましたので。どうぞご安心ください。」
彼女はもう一人の同僚に、多少なりとも敵対心を抱いているようで。
先ほどまで口論していたのが嘘のように直立し、平静を装っていた。
「…よかったです。それで、何でしょうか…?」
「はい。では──────」
食堂の端。
たどたどしくも返答する日比野と、反対にキッパリと述べ立てる同僚が座る。
卓上に置かれた食べかけのサンドイッチを見れば、口に放りこまれる機会を失ったのか少し水気を失ってしまっていた。
せっかくの御馳走が台無しである。なんと勿体無い事だろう。
「…あ!あれ、サカモト様じゃない!?」
「うわ!!ホントじゃん!!」
「……………ん?」
数分後。
突如、話していた二人の後ろで歓声が上がった。
カイルはその声に反応して思わず後ろを振り返りそうになる。
「珍しいわ!!いつもは実家に帰っていらっしゃるのに!!」
「うわ凄え…。やっぱオーラが違うな…。」
従者を二人横に置いて、一人の男がやってきた。
パーマがかった柔らかな金髪は光沢を放っていて、仕立てられた制服も滑らか。
全てにおいて完璧な男が、畏服する貴族たちの前に降臨したのだ。
「なあ。少しいいか?」
食堂に入ったかと思えば、坂本は真っ先に日比野の元へ駆けつける。
そして手を当てることも無く、声だけで振り向くことを要求した。
「坂本君…?」
「ああ。少し用事だ。何しろ前回の件が終わったからな。
早速次の段階に進もうと思う。」
「分かった…。いいけど少し待って…。」
日比野は隣の不機嫌な同僚に謝罪をし、二言ほど会話して背を向ける。
席から立った彼の姿は猫背で弱弱しく、とても勇者のようには見えない。
そして幾度も頭を下げ、申し訳なさそうに去る後ろ姿には、白いシャツの裏に背中まで広がった刺青が透けていた。
このような不釣り合いで不気味な風貌も、彼の孤立をより加速させているのだろう。
─────そして騒ぐ聴衆の中、二人の勇者は静かに歩き、退室していった。
「…それで、終わったってどうやったの?」
少しした後、廊下の中間で日比野が尋ねる。
「あ?別にいつも通りさ。
知らぬ存ぜぬと申す輩の口を塞いだだけだ。永遠にな。」
「…そうですか…。」
「いやな、別にそうしたかったわけじゃねえんだよ。もし他に手段があるならとっくにそっちに切り替えてる。何せ中途半端にヤると暴走してより酷い事になっちまうんだわ。まー、めんどくせーの。」
坂本は、時に不貞腐れた子供のような一面を見せる。
彼は両手を肩の上くらいまで持ち上げ、手のひらを天井へ向けて疑問のジェスチャーを表していた。
「…ほら、着いたぜ。じゃ、もう護衛は十分だ。ご苦労さん。」
そう言うと両隣のボディーガードは頭を下げ、速やかに去っていく。
そうして開けた目の前の視界には、一つの扉があった。
「今日はここなんですね。」
「ああ。別にどこでもいいけどな。一応位置を把握してる気にさせとかねえと。」
「…そういうものですか…。」
「そうそう。大層な家柄に入ったはいいんだが、前の家より束縛が強いっていうのは想定外だったよ。」
坂本がドアノブを引くと扉が開き、暗い室内が見える。
後ろからの日光に照らされ、際立って映る空中の埃をかき分けて、部屋の中央まで二人は進んでいく。
そして部屋は扉に閉ざされ、外界からの干渉が一切消滅し、全ては虚無のように暗黒に包まれていった。
「…魔力線、解放。
魔法構造、成形開始。」
部屋の中央、暗闇の中で。
詠唱を続ける坂本の前に突如、楕円状の穴が浮かぶ。
姿見のようなその造形は、それこそ人が丸ごと写りそうなくらい。
暗闇で覆われた空間では、彼の黒い魔方陣は鈍く光るだけであった。
「…成形…、まだ途中か…。」
穴に伸ばした手のひらをめいっぱいに広げる。
五指が極限まで伸ばされ、甲の筋が際立つ。
そしてその瞬間、
「…よし。完了。」
突如、黒光りする輪の内側に鮮やかな緑黄色と青が現れた。
二つの色は混ざり合う事無くきっぱりと分かれ、それが地平線である事を如実に示し続けている。
…つまり、穴の先にあるのは座標の全く異なる別の場所、なのだと。
脳がそう告げていた。
「じゃあ、行くか。」
見据える先からは草の香りが流れに乗って漂い、爽風となって耳元を駆け抜ける。
五感が別世界を感じ、初日の感覚を想起する。
それでも躊躇う事無く前進する坂本に連れられ、
目の前に広がるその門に足を踏み入れると、後はいつもの通り。
日比野は一瞬、空間に体が囚われる感覚がした。
─────”空間転移”──────。
サクッ。
柔らかい青草を踏みしめる。
母校の庭と違って全くの手入れがされていない、自然体のままに生えた雑草。
刈り揃えられ、矯正された美しさとは別の、野性味溢れる雄大さのようなものが一面に広がる光景。
だが上空の澄み切った青と少しの白雲は学校と同様であり、此処が同じ世界、そして同じ国内の場所であることを暗示してもいた。
「そういえば、またあの黒い剣を使ったんですか…?」
「ああ。そうだな。」
よっこらせ、と草原に腰を下ろす。
とうに手から離れたゲートはその姿を消していて、周囲には一切の暗黒が存在しない。
其処にはただ、秋空と紅葉の草原が生み出す、暖寒色のコントラストだけが滲んでいた。
「これはあまりに便利すぎる。自分自身の成長まで阻害しかねない。
…それを、分かってはいるんだがな。」
「でもノアはまだ使っていないんですよね?
与えられた属性だけでそこまでできるなら上等だと思いますが…。」
「じゃあまあ、そういう事にしておくか。
時間も少ないからな。さっさと本題に入ろう。」
「はい。」
草原に座る二人。
秘密の談合とは程遠い風景だが、此処が彼らの秘密基地である事には変わりない。
なぜなら此処は誰にも邪魔されず、観測できないのだから。
恐らく従来の人間には到達しえない、未開の地だからである。
「アイリスには非干渉、これはそのままだったんだよな?」
「はい。彼女は放っておいても目的を成し遂げてくれます。
私たちの敵になることは無いでしょうから…。」
「…分かった。じゃあオーランド、あのジジイに関しては?」
「それも放っておいてください。まだ何も分からないので…。」
「…じゃあ何をするってんだよ?まさか黙って見てるってわけじゃないよな?」
「勿論です。ちゃんと行動を起こしますよ。」
「よし。俺は誰に、どうすればいい?」
ほんの少しの吸気。
そして肺に息を溜め、満を持して。
はっきりと答えた。
「僕たち二人で、”首領”にアクションを仕掛けに行きます。」
日比野の、ひどく重い確答。
彼の決意の篭った眼差しは遠く、風景に向けられたまま。
坂本はそれを見ながら、にやりと笑う。
次の命題の決定とその焦燥を待ち侘びた心が躍動し、体は動き出す。
猛る坂本を制止する様に、日比野は微動だにしない。
────彼は体育座りのまま、膝に顎を乗せて草原を見つめ続けているだけであった。




