第四話:日々の生活
オークションの、翌日。
雉崎の新生活が始まった。
これは、その一日の記憶。
雉崎の、幸せな記憶だ。
※後半部分では魔力・魔法についての設定が難解なため、読み飛ばしていただいて結構です。
もしこの世界の概要について興味があれば、雰囲気で見てみてください。
城の遠くから鐘が鳴る。朝を知らせる調音は街中に響き、人々を呼び覚ます。
早朝午前五時、早くも雉崎はベッドから体を起こした。
”昨日も色んなことがあったな…”
城から渡り、オークション会場へ出向き、そこでこの家の主人に引き取られ。
そして従者に家の事を教えられて、楽しい食卓を囲んだ。
全てが夢のようで、今自分が生きているかどうかにも疑問が湧く。
卑屈になってちゃいけないと思いつつも、今後の将来にはまだ不安が残っている。
──────部屋は、もう城の中ではない。
ようやく、新生活が始まるのだ。
「おはようございます。キジサキさん。」
同い年にも関わらずぎこちない会話で二人は食卓へと赴く。
顔を洗い、髪をまとめて食材と向き合う準備を整え、穏やかな指南のもと料理を作っていく。
そしてしばらくすると眠そうな主人がやってきて後は昨日の通り、皆で料理を囲み食事を済ませた。
「よし。じゃあ食事も済んだことだし、改めて魔法の授業といこうかしら。」
ジェネラリーゼ様、と呼ぶように言われた。
急いでいる時はご主人様、でいいそう。
やはり貴族のしきたりというのは新鮮で、やけに行儀よくかしこまらなければならないのだな、と実感する。
「まず、貴方は属性がない落ちこぼれ。それを、しっかりと頭の中に叩き込んでおいて頂戴。分かった?」
「…はい!」
中庭に移動し、主人は腕の裾をまくり上げた。
そうして姿を見せた右腕の上部には、自分たちと同じように深い刺青が入っていた。
「属性が無い人に扱えるのは初級魔法だけなの。
だから、貴方はこの取るに足らない基礎魔法だけでこの世の中を生き抜かなくちゃいけない。
テザーニアの全魔法使いが当然のように扱える、基礎中の基礎だけでね。」
「…はい。」
そう言うと主人は右腕を宙に浮かばせ、ぐっと拳を握りしめる。
瞬間、彼女の体から暖かい風が流れ自分のすぐ横を駆け抜けた。
全身がオレンジ色に輝いていて、確かに彼女は何かを纏っているのが理解できる。
「まずこれが身体強化。
魔法を使うのにはそれなりに体に負担がかかるから、大体はこれを併用しながら魔法を行使するの。」
「なるほど…。防御装置みたいなことですか…。」
「大丈夫。これはどれだけセンスが無くったって出来るはずよ。
何せ体の周りに魔力を流すだけだもの。ほら、やってみなさい。」
「分かりました…。」
とは言ったものの、魔力が実際に体の中を巡っているという自覚が無いので流す以前に外に放出する方法さえも分かりそうにない。
とりあえず太極拳の気のようなものを想像して、力を入れてみる。
「…っ!!」
身体を流れる暖かいソレは、心臓から周辺を巡ってまた収束する。
静かな循環を肌で感じながら、これが魔力だと実感できる。
前世では運動のセンスが無かった彼としては、信じられないくらいの好スタートであると実感しながら。
「これが…魔力…」
「あの…できてないわ…」
「え?」
主人は呆れたのか、憐れんでいるのかよくわからない表情で雉崎を見つめた。
何せ自信に満ちた彼の魔力は未だ体の中心に留まったままで、力を精一杯入れているであろうその態勢と比較すると、それが酷く惨めに思えたからである。
もしこの状況を見ている通行人がいたとすれば、思わずその滑稽さに噴き出してしまうくらいには。
「魔力の出力ぐらいは魔法使いならば生まれた時から自然にできるはずなのだけれど、そう…。ならしょうがないか…。」
解決策を練ろうとしたが、思いつかないので諦める。
流石にこればかりは自分で克服してもらう他ない。
できるだけのアドバイスはすると心に誓っていたジェネラリーゼだったが、魔法使いにとっての呼吸に等しい身体強化が不可能と言われては為す術がなかった。
「とりあえず身体強化をできるように色々試行錯誤してみなさい。
細かいことはそれからよ。
もしできたら教えてね。じゃあ、私は仕事に戻るから。」
朝露に濡れた芝生を踏み鳴らし、渡り廊下を通って主人は自室に戻る。
傍らで眺めていたアイリスもなんと声をかけてよいか困っている様子であった。
「…大丈夫で…」
「少しなら手伝いましょうか…?今日は学校遅いですし…。」
「あ、ありがとうございます…!是非…!」
助かった、という表情をする雉崎。
アイリスは苦笑しながらもそれに答える。
昨日の会話を経て、二人はもう一段仲良くなっていた。
「私もなにか助言ができるわけではないのですが、恐らく魔力の知覚の欠如ですよね。キジサキさんは。」
「というと?」
「基本、魔法使いは感覚で魔力を使いますから、魔力を感じられないという事があり得ないんです。ジェネラリーゼ様のように感覚的な方だとさらに。」
主人への悪口ともとれる発言はさておき、魔法使いにとって魔力は生まれた時からあるものだ。
当然のように自覚し、使いこなすことが出来る。
が、雉崎は異世界人であるために魔力とは何かを感覚的に知ることが出来なかった。
後付けで付与された魔力製造器には違和感こそあるものの、それをどうすれば動かせるかが分からない。
本来ならば体が順応して勝手に使えるはずなのだが、雉崎はノアの付与の際に何やら不手際が起こったようだ。
「どこが魔力を排出しているとか、決まった道を通っているとか、そういうのは分かっていないんですか?」
「確か心臓から、だったような気がします…。道は…恐らく決まったものがあるんですが、人によって様々なので…」
たどたどしく、想起しながら話す。
詳しいことはジェネラリーゼ様に、と押し付け気味に言った後、彼女はさっそく本題に移っていく。
「実は、私も子供の頃は魔力を出せない事が多かったんです。力を込めてイメージしても不発に終わるばかりで。」
「今はできてるってことは、何か克服した方法が…?」
「いえ、半年ほどで自然に出来るようになってしまったんです…。
すみません、役に立たなそうで…」
「大丈夫です。じゃあ俺もすぐってことですね。安心しました。」
「はい。鍛錬を続けていればいつかは、と。
それを伝えたかったんです。」
「ありがとうございます。」
その後は雉崎が足を踏み出す、手を上げる、座る、逆立ちする、などの様々なポーズと思考を行って、どれに一番魔力が反応したかをアイリスに測定してもらった。
感覚的な魔法を少しでも理屈の伴ったものにすることが当面の目標となり、データを記録する日記もつけていく事に決めたようだ。
第一回:
魔力の揺らぎは座した状態に最も大きくなった。
リラックス状態が魔力放出のキッカケ?
そう、さらさらと書き記した後。
「すみません…学校もあるのでこれで失礼しますね。」
「いえ。むしろありがとうございます。行ってらっしゃい。」
雉崎は登校するアイリスを見送った。
申し訳なさそうに去る彼女を尻目に、彼は再び鍛錬に戻る。
そしてもはや鍛錬といえるのかも分からないそれを、彼はひたすらに続けていた。
──────瞑想。
内容はそれだけ。
いかんせん、彼女の教えを受けて思いつく一人での解決方法はそれしか無かったのだ。
体の中に流れているであろう魔力を知覚し、認めることが出来なければ、魔法の使用など到底叶えられるものではない。
「…………………。」
まだ湿っている芝生に腰を下ろし、胡坐をかいて目を閉じる。
アイリスによれば、魔力は体の外ではなく中心、とくに心臓近辺から発せられるものであるよう。
なので彼は中心にある心臓の鼓動だけに耳を澄まし、そこから流れる何かを感じ取ろうとしていたのだった。
「……………………。」
辺りに吹く風の音がする。少し遠くから聞こえる、屋台の掛け声がする。
思わぬ形でデジタルデトックスを実現させたために、世界は思ったよりもゆっくり流れている事に気付く。
昨日まであんなにも残虐だった異世界は嘘のように落ち着いた雰囲気を醸し出し、穏やかにそこに座る彼自身を認めていた。
──────一方その頃、他のクラスメイト達はというと。
「おお!!さすがは勇者様!」
「良いな。魔力の循環も滞りなく行われている。これならば魔法の行使も問題なく出来るだろう。」
「はい。まずは合格点、といったところでしょうか。」
「ありがとう、ございます…。」
雇われたクラスメイトの一人、橋倉すみれ。
彼女につけられた金額はあのオークション内で第五位の三十万マグナ。
十分に有望株として期待され、獲得を試みる者も多くいた人物である。
そして、その彼女を獲得したのが今正面に座っている大貴族シャン・マックルームであり、只今執事と共に彼女の能力を改めて推し量っている真っ最中であった。
「この娘、オークション会場では分かりませんでしたがノアだけでなく魔力の質も大変よろしいようです。この魔力量でも低級魔法なら三百発はいけるでしょう。」
「そうだな。それにそこらの奴らと違ってノアの性能も分かりきっている。
戦い方・鍛え方が事前に示されているようなものだ。」
「そうですとも。ではオーランドの奴の言う通り魔法学校への進学という形でよろしいですかな?制度上、特別枠での入学ということで。」
「ああ。構わん。それと指南役としてカベを置いておけ。下民上がり同士で仲良くやれるだろう。」
「承知いたしました。では失礼します。」
縁の曲がった漆塗りの椅子に純金で出来た燭台、床には毛皮の絨毯。
見るからに富豪らしく、権力をひけらかすような趣味の悪い部屋である。
橋倉はその場違いさに戸惑いつつも、ある程度は冷静にその場をやり過ごしていた。
「ご主人様、私はどこに行けばよいのでしょうか?ここで待っているだけでよろしいのですか?」
「ああ。しばらくしたらカベの奴が来るだろう。そこで待っておれ。」
「分かりました…。ありがとうございます…。」
橋倉は、美形であった。
目立たずともただ返事をしているだけで好印象を与え、人が寄ってくる。
そのため彼女は蝶よ花よと愛でられ、大切に、大切に育てられてきたのだ。
────ただこの異世界ではその雰囲気に似合わず、岩という可愛げのない魔法属性を与えられてしまったのだけど。
「お待たせいたしました。カベでございます。」
堅固そうなその名前に反して、出てきたのはスタイルの良い美青年。
黒く綺麗で流れるようなセンターパートに、女性のような甘いマスク。
スタイルの良さも相まって誰がどう見ても貴族の方に見える。
…彼が実は元下民であることが、とても信じられないくらい。
─────彼は主人と同じ制服を身に纏い、橋倉に姿勢よく挨拶を向けていた。
他とは違い、感情の機微に疎い彼女はその甘いマスクには特に動揺せず、同じように行儀よく会釈をする。
「彼女が例の勇者様で?」
「ああ。ハシクラというそうだ。お前には、彼女の護衛役と指南役を頼もうと思っている。同じ下民上がりだと思って気楽に接してやってくれ。」
「承知いたしました。ではそのように。ハシクラさん、どうぞよろしくお願いします。」
「よろしくお願いします…。」
かくして、学園屈指の美男美女コンビは誕生した。
単体への圧倒的な攻撃力を誇る槍使いのカベと、対複数戦最強格のハシクラ。
相性が最高の二人が学園の王座に君臨するのはここからしばらくの事なのだが、それはまた後で話すとしよう。
─────このように、他のクラスメイトたちは順調にその実力の片鱗を見せ始めていた。
もちろん身体強化などはお手の物。
早くも属性のついた魔法を使い始め、中には中級魔法にまで手を出す者もいる。
そこから見ればまだ身体強化すらできない雉崎が必死に瞑想する姿など、可哀そうな同情の対象に過ぎなかっただろう。
─────そして舞台は戻って。ジェネラリーゼ邸。
「あ…。もう働きに行かなくちゃな…。確かジェネラリーゼ様の知り合いだっけか…」
午後になり、雉崎は主人に指示されていた仕事を思い出した。
稼ぎのない家来に向けた、働き口の紹介だ。
「よいしょ…じゃあ、行ってきます!」
昼食もそこそこに、一切れのメモを手に取って自宅を出る。
屋台道の脇の路地を歩き、武器屋街を抜けたその先に今日の仕事場があるらしい。
鈍く灯るランタン。
家と家を繋ぐ細いロープ。
屋台の上には見慣れない文字と食材を指すイラスト。
歩く道は現代程とはいかないまでも、丁寧に石で舗装されている。
異世界でも変わらず太陽はあるようで、高くその身を移しながら穏やかに街を見下ろしていた。
「えっと、こっち…いや、あっち…」
うろうろと歩き回る雉崎。
落ち着きのないその動きは道行く人を戸惑わせ、時にその腕などが当たってしまう。彼はその度に不器用な謝意を示し、睨みつける大人たちをなんとかやり過ごす。
多くの屋台が集まるガリベルデ一番通りは今日も盛況だ。
「お困りですか?お兄さん?」
「あ…はい…!」
路頭に迷っていたその時、人混みの中から差し伸べられる一本の手。
その手の先には目を引く緑髪の男が立っていた。
「その場所は…アグニルさんの所だね。よし。良ければ案内しようか?」
「あ、お願いします!」
メモを見るや否や、男は指をさし、方向を示す。
前を歩く彼の見た目は若く見えるものの、その声には抑揚がなく長年の貫録を感じさせる風貌。
彼から一切の害意は感じられないが、果たして知らない人にノコノコついて行っていいものかと悩みながら、雉崎は後を追った。
”とりあえずこの人についていくしかない…。
もしこれで詐欺とかだったら、その時はその時だ…。”
しばらく屋台道の通りを歩いて人混みから逃れると、細々とした路地裏に辿り着く。
いかにも怪しい交渉が行われそうな暗い一本道で、今まで何の敵意も感じなかった前の背中が胡散臭く見えてくるような、そんな路地裏。
石壁に囲まれた暗がりのせいか、空気が少し冷えた気がした。
「ここは少し危ないから後を離れずについて行くといい。
…すまないね。私もこの後用事があるものだから、少し近道をさせてもらうよ。」
少し湿った土を踏んで進んでいく。
両横の外壁には所々に亀裂が見られ、建築基準に少々問題があるのではないかと不安を感じずにはいられない。
「ほら、ここが出口だ。そしてあの正面に見えるのがアグニルさんの建設現場。
道順は参考にしない方がいいけど、一応頭には入れておくといい。」
じゃあね、と手を振り、にこやかな笑顔で男は去っていく。
その親切さに感服するとともに、そのスマートな去り際に若干の憧れも抱きつつあった。
”名前を聞きそびれたが、おかげで予定時間通りに目的地に着くことができたな…。
いつかまた会った時にはお礼をしなければ…。”
そう思って、雉崎は工事現場の前に立つ。
「よし、じゃあ行くか!」
路地裏から舗装された大通りへ抜け、目の前の現場へ歩いていく。
そして砂利道から土埃の舞うその場所に、彼は足を踏み入れたのだった。
──────現場の前に居た作業員に話しかけると、すぐに事情を把握し現場の中に案内される。
そして監督であるアグニルさんの指導の下、建設工事に携わる事になった。
「いいか?お前の仕事は資材の運搬だ。
うちの従業員には魔法使いがいねえから、資材運搬は全部肉体労働でやってる。
そこで、ジェネ公の所に入ってきたお前さんに手伝ってもらおうってこった。
よろしく頼むぜ!」
気持ちのいい笑顔で白い歯を見せる。差し出された右手にはグッドマークが示されていた。
「あの…俺まだ魔法使えなくてですね…」
「──────え?マジ?」
雉崎は仕事内容で何となく察したようだ。
恐らくジェネラリーゼは今日、彼が既に身体強化をできる前提でこの仕事を引き受けている。
何しろ、身体強化の振れ幅は凄い。
ジェネラリーゼのような華奢な女性でも、それを使えば目の前の角材くらいは軽々と持ち上げられるだろう。
だからこそ、彼が身体強化を使うことで大いに役立つと彼女は踏んだのだ。
「魔力はあるっぽいよな?なんで使えねえんだ?」
「それが…、魔力がある実感が掴めなくて…」
「なるほど…。それは別に魔力を見たことが無いとか、他人の魔力も見えないってわけじゃないんだよな?」
「はい…。他人のは見えるんですけど自分のは難しくて…」
中庭で主人が見せた身体強化を彼はしっかりと認識している。
そして目の前にいるアグニルという男に流れるモノも、ぼんやりとではあるが見えていた。
「…じゃあ、とりあえず働いてみるか!
魔法の使い方・見え方なんざ、やってるうちに何となく分かってくるもんだしな!」
「え?」
唐突な提案。
あまりにも無鉄砲で、向こう見ずな策。
勿論、彼にあの角材をを運べるほどの筋力はない。
もし行えば筋繊維がブチブチと切れ、きっと筋肉痛で後悔の残る結果になる。
…が、無慈悲にも目の前のオーナーは出来ると信じて疑わないようだ。
「ちょっと!!こんなの運べませんよ…!!!」
「大丈夫大丈夫!!ほら、隣に台車あるだろ?
そこに何個か積んであっちにもってけ!そしたら勝手に取ってくからよ!」
指さす方向には馬が運んできたであろう角材の山と、リヤカー型の台車。
ほらほら、と言われるがまま台車に角材を五つ程積載し、脚に精一杯力を込める。
するとその微弱な力に反応したのか、台車は微かに動く音がした。
「っぁああ!!!」
一歩、前に踏み出す。持ち手が震え、土が沈み込む感覚が足元に伝わる。
全力を込めたその一撃の後は意外にも流れにのり、台車はスムーズに進んでいく。
車輪は回り、後ろには二本の線と足跡を残す。
だがさすがに最初の一瞬だけとはいかないようで、もちろん引いている最中もかなりの力が必要であった。
「お願い…します…。」
「はい!ありがとねー!」
木造住宅の骨組みはまだ半分といったところだろうか。
昨日と同じ澄み切った青空にベージュ色の木材がよく目立っている。
従業員に目線で挨拶をし、そのまま台車を引いて復路に向かう。
平たく丁寧に積まれた角材たちは、今か今かと彼の帰りを待ち侘びている。
「はあっ…!重すぎだろこれ…!」
──────こうして、彼の初バイトは幕を開けた。
ガラに似合わぬ肉体労働。
剣と魔法で華麗に戦場を駆ける勇者とは真逆で、泥臭く汗にまみれた近接格闘家のよう。
その間も常に節々の筋肉や関節は必死に助けを求めていた。
「ただいま戻りました…」
ギイ、と扉が開く音。
隙間からは夕日の光が屋内に差し込む。
定時を告げる鐘はもうとっくに鳴り終わり、辺りは既に静寂に包まれていた。
「おかえりなさい。キジサキさん。」
音を聞きつけ、学校から帰宅したばかりのアイリスが目の前に現れる。
夕方だからか、彼女のトーンはいつにも増して落ち着いている様子だ。
「ただいまです…。そうだ夕食を…」
「大丈夫ですよ。お疲れのご様子ですし、私が作りますね。」
「悪いです…。それに教えてもらわないと上達が…」
家事を全て行う勢いでなければこの家に貢献できない。
せっかく教えてくれているのに、自分の都合で後回しにするなどできるはずもないだろう。
「いいんです。休んでてください。今日は昨日の余り物ですし、そんなに教えることもないですから。」
「じゃあせめて座って見てます…。」
彼女は肯定も否定もせず、奥のキッチンへ歩いていく。
それについて行くように雉崎も後を追い、キッチンの見えるソファに座った。
─────トントン、と包丁の叩く音がする。
手際の良く、無駄のない所作が見える。
夕暮れの薄暗いキッチンには二人だけ。
酷く疲弊した腿と腰は羽毛の柔らかい感触に包まれて、午後の疲れが癒されていくように感じる。
雉崎は上にランタンを吊り下げ、手元を映しながら調理する彼女の後ろ姿を眺めながら、静かに。
その瞼を、閉じたのだった。
「──────。」
静かな呼吸音。
アイリスはふと後ろを振り返ると、少し笑ってまた調理を再開する。
もう太陽は地平線に差し掛かり、交代するように月はもう真上に昇りそう。
窓から流れ込む夜風にランタンの暖かい光は揺らめいて、もうすぐ出来上がる料理の香りを部屋中に運んでいく。
「あら…キジサキ君寝てるの…?」
「ええ、そうみたいです。だいぶお疲れのご様子で…」
「申し訳ないわね…。これじゃ魔法の特訓どころじゃないでしょうに…」
魔法が使えると信じ切って斡旋した自分に問題がある。
思えば彼は異世界からの転移者なのだから魔法の勝手が分からなくて当然だ。
そもそも魔法と言う概念から教えるべきだったと、彼女は深く反省していた。
「ほら。夕飯よ。起きなさい。」
座ったまま就寝する彼の肩をゆする。
彼はゆりかごのような感触に一層の落ち着きを感じたが、すぐにその違和感に気付いて瞼を開けた。
「ん…ってうわっ!ごめんなさい!寝てました!」
「いいわよ。それよりほら、夕飯出来てるから早いとこ食べましょ。」
以前とは違う主人の優しい言葉に戸惑いつつも、自分用の皿が並べられた場所に腰を下ろす。
そして雉崎はいつもの儀礼を済ませ、手作りの料理に口を運ぼうとした。
「ねえその、『イタダキマス』って異世界の言葉?いつもしてるけど。」
「…へ?まあ、そうですね。
こっちでもそういう文化あるみたいですし、そういうものだと思ってもらっていいです。
生き物の命と作り手への感謝を込めて、食べる前に思いを伝えるんですよ。」
「なるほどね。
ただ、こっちの世界の祈りはそんな大したものじゃないわよ。
元々親がテザール教徒だったから癖づいちゃっただけだし。」
「私もです。親が司教をやっていたので、そう言うように習いました。」
「そうなんですか…。」
言われてみれば、今まで心から感謝を込めて言ったことは無いのかもしれない。
ただ小さい頃に親や学校に教えられたからとか、そんな理由で何となくやっていた気がする。
「…そういえば、初めての仕事はどうだった?続けられそう?」
主人はこちらの事を見て言っている様子。
だが凄く疲れたのでもうやりたくないです、とは言えないので困った。
「えっと…、ちょっとは大変でした…。」
「…嘘でしょ。絶対、もうやりたくないって思ってる。
でなきゃそんな顔しないもの。」
にやりと得意顔で返される。
彼女の目に映る雉崎の顔は、後悔と苦しみが入り混じっているような、そんな顔。
これはすぐに看破されるのも無理はない。
そして自身の思惑を見事に的中させられた彼は、少し戸惑ってから観念したように黙りこくってしまう。
「そういえば、魔術についての説明はいいんですかジェネラリーゼ様?
この間するって…。」
アイリスが思い出したように言う。
タイミングを見計らっていたのか、妙に説得力のある形で主人の心には響いたようだ。
「…ああ。そうだったわね。
異世界人である貴方はまず魔法以前に、魔力という物質の概念を教えることを忘れていたの。申し訳ないわ。」
「いえ、全然大丈夫です…。むしろありがたいっていうか…。」
彼自身、魔法がどんなものかという事に固定観念を持ちすぎていた節がある。
自分の想像する魔法とこの世界の魔法が実は結構違う物だった場合、魔法が発動できないのも納得だからだ。
今度機会を見て町の人やジェネラリーゼ様に聞こうと思っていたのだが、先に言われてしまったよう。
恐らく世界の理屈を知るためには小難しい話になるだろうから、十分に覚悟せねばならぬと彼は五感を聴覚に集中させた。
「いい?まず魔力は、体内からの生成物。
汗とか、血液とかと同じごく自然なものよ。まずはそれが大前提。」
体内に宿る不思議な力。
どのような作品でも、基本はそのようなものとして扱われるだろう。
後は空気中に漂う未知の物質とか、そんなところだろうか。
「そして魔力は体内で循環している。
基本は心臓周りでの循環に留まっているのだけど、操作すれば腕や脚といった表面でも循環できる。
体外に排出する場所は基本四肢の末端、つまり両手両足の指先だけ。
だから基本はこのどこかから魔法を出力する形になるの。」
四肢の先端。つまり手か足。魔法を使うときによくある手を伸ばす動作がそれ。
手を伸ばせば水が、剣を振れば炎が。
ただ今から魔法を打ちますよ、とでもいうかのようなあの予備動作は、かなり非実戦的には違いない。
「次に、”魔力は循環から外れるとすぐに効力を失ってしまう”という特性。
これはかなり重要よ。
この特性が魔法を起動する上で一番のネックであり注意点なんだけど…じゃあ、キジサキ君。
どうしたら排出した魔力を長い間保たせられると思う?」
体内の循環から外れた場合、すぐに魔力は効力を失う。
これがこの世界での魔力の、強調すべき最大の特徴。
循環が成立していなければ、魔力を排出しても魔法は実現しない。
いわゆる炎の弾の発射とか、遠い所に魔方陣を描いて魔法を打ち出すとか、そういう一般的な事がこの世界では常用では無く、非常に高度な技術として認識されているのだ。
「…すぐに消えてしまう…いや、でも実際に体の外で…」
彼は必死に理解しようと話を聞いていたが、それでもこの話は難解に聞こえたようだ。
「魔法を使用する方法は二つあるの。
一つは原始的な、そもそもの回路を書き換える方法。
原始法と呼ばれていて、契約に使われる刻印魔法とかがそうね。」
相手の魔力循環構造を把握したうえで一部の導線を書き換え、相手自身の魔力によって常時効果が起動されるようにする魔法。その名称を、刻印魔法と言う。
一昨日にオーランドが自身と兵士たちに強制させた情報漏洩の禁止契約。
あれが刻印魔法のいい例だろう。
「二つ目が今はより一般的な方法。
体内の循環構造を一時的に増築して、体外で魔力を循環させる方法、いわゆる構築法と呼ばれる物よ。」
魔力の流れは、体内・体外を問わず自在にコントロールできる。
よって物理的にパスを繋げる原始法とは違って、空間上で魔力の流れを作ることも可能。
例えるなら元々形のある粘土を削って形を変えることで成形するのが原始法で、新たな粘土を継ぎ足して成形するのが構築法、といった所だろうか。
「この二つが魔法を起動させるための主な方法。
こんな風に魔法を使うための技術を”魔術”と言って、色んなものがあるんだけど…まあこの辺にしときましょうか。」
息を吐き、空になった皿をキッチンに戻す。
同じようにアイリスも立ち上がって、洗い物を始める。
「つまりただ出すんじゃなく、循環させるための道を作るイメージ…。
どういう形をイメージすれば…いや、まずはただの円を想像して…。」
雉崎はソファーに座り、呟きながら自らの思慮を深める。
もともとオタク気質なところがあったのは確かだが、周りが見えなくなるほど熱中するというのは彼にとっても珍しい事だった。
「──────あっ!すみません!洗い物手伝います!」
そしてその場の状況に気付き、慌ててアイリスのもとに駆け寄って布を取った。
水道なんてものはないので、井戸水を貯めた桶を近くにおいて使うしかない。
雑巾のように皿を拭いて汚れた布を桶の中で絞って綺麗にし、着々と後片付けは終わっていった。
「どうでした…?理解できましたか…?魔力の事。」
「いや、まだ曖昧ですけど、何となくは掴めたような気がします。以前似たような仕組みを見た事があったので。」
「そうなんですか…。
私もまだ理解が浅く、感覚に頼りきりなんです。
ですから魔法の腕もイマイチ伸び悩んでいて…キジサキさんは凄いですね。」
それでも感覚で魔法を使えるというのはとても羨ましい。
それに以前見た仕組みというのも漫画や小説の中での話なので、真面目に感心する彼女に、雉崎は少し気恥ずかしさを覚えた。
「じゃあ終わったので寝室に行きますね。おやすみなさい。」
相変わらず可憐な横顔。
最初見た時は緊張していた印象だったが、案外表情が変わりにくいなだけなのだと思いなおす。
気が付けば早くも筋肉の痛みが現れ始めており、肌寒い夜空の下で、冷たい水をかけて身を清めた。
「道を作る…回路を作るイメージ…」
帰り際にも試してみたけれど上手くいかない。
もっと強固なイメージか、試行が必要なのだろうか。
どちらにせよ今は時間が足りない。
一刻も早く結果を出して学校に行くため、魔法を使えるようにならなければと考える。
──────暗い空は遠く、彼方に星の光を映している。
少し離れた所からは街の明かりが見え、煌々と夜の賑わいを引き立てているのが見える。
月はとうに頂点をすぎ、地平線に向かって下降し始めた。
異世界でも変わらぬ秋夜の風景の下、
雉崎は静かに土を踏みしめ、明日へ向けて歩き出す。
深く冷たい、小さな足跡を、確かに残して。




