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朱々寧が全力で漕いでいた後輪からガキンッと金属質な異音が響いた。
次の瞬間、車椅子が大きく前へと傾き、朱々寧は勢いのまま放り出されるようにもろとも転倒してしまう。
――前のめりに倒れていく朱々寧の姿がスローモーションに見えた。
まっすぐに顔から地面に倒れ込んでいくその姿を目の当たりにし、肩で荒く上下させていた呼吸が止まった。
なんてことだ。
私が勢い任せに車椅子を目一杯に押し出したりしたからだ。
こんな土のグラウンドなんかを車椅子で走らせたりしたからだ。
そもそも朱々寧を説き伏せてリレーに引っ張り出したりしたからだ。
ぐるぐると頭の中を駆け巡る思考はちっともまとまらず、まるで貧血になる寸前みたいに目の前が真っ暗になっていく。
顔から地面に突っ伏した格好で倒れた朱々寧は動かない。
そのすぐ横を他のクラスのアンカーたちが、一人また一人と追い抜きゴールしていく。
あれだけ盛り上がっていた生徒たちの歓声は突然の事態を前に水を打ったように止んでしまい、取って代わるみたいにひそめられたざわめきが滲むシミのように広がっていく。
「朱々寧っ!」
最初に走り追えた由川さんがたまらず駆け寄ってくる。
するとその声に反応したのだろう、朱々寧の身体がわずかにピクリと動いた。
そして倒れた姿勢のままゆっくりと腕だけを伸ばして手のひらで制して見せた。
立ち止まった由川さんが見つめる前で、もぞもぞと倒れたままの身体を動かし反対の手で胸元辺りから、それを引き出す。
車椅子から投げ出される最中、どうして朱々寧が受け身すら取ろうともせず思いっきり顔から地面に倒れていったのかわかった。
――朱々寧が身体の下から引き出したのはバトンだった。
転倒の勢いでバトンがどこかへ飛んで行ったりしないように庇ったんだ。
私たちが繋いだバトンを意地でも手放さなかったんだ。
愕然と見下ろす由川さんへ向けられた朱々寧の顔はグラウンドの土にまみれ血が滲んでいた。
そんな痛々しい顔で朱々寧は笑顔を作って見せると改めてゴールへと向き直る。
まっすぐにゴールラインを睨み付けて腕を伸ばし、うつ伏せの姿勢で動かない脚を引き摺り始める。じりじりと腕の力だけで土にまみれながら腹ばいで前へと進む。
その速度は、本当にゆっくりだった。
どんなに朱々寧が小柄とはいえ動かない下半身を引き摺って進むなんて、いったいどれほど困難なのだろう。
もともと3メートル前くらいで前のめりに倒れたので、ゴールラインまでは残り1メートルあるかないかくらいだ。
残りはたったの1メートル。
私たちならほんの二歩か三歩で進めてしまうわずかばかりの距離だ。
そのわずかな距離を、朱々寧はただまっすぐにゴールだけを見据えて身体を引き摺る。
堅く握り締めたバトンだけは絶対に手放すことなく、肘をついてじりじりと、けれど着実にゴールへと進んでいく。
まだ終わってない。
私はなにを一人で勝手に絶望してるんだ。
だって、――朱々寧はまだ戦ってるじゃないかっ!
私は震える脚を大きく踏み出し朱々寧へと駆け寄る。
すぐに追い付いた朱々寧には指一本触れることなく、私はすぐ隣で四つん這いになってその耳元に叫ぶ。
「がんばれっ! がんばれ朱々寧っ! あと少しでゴールだっ!!」
身体の内側から喉を引き裂く勢いで言葉を、想いを吐き出す。
まるで悲鳴みたいな私の絶叫を受け、朱々寧が土にまみれた顔を強張らせて歯を食いしばる。
改めて大きく腕を伸ばし身体を引き摺ってゴールラインだけをまっすぐ睨み付ける。
「……がんばれ、がんばって朱々寧っ!」
立ち尽くしていた由川さんが弾かれたように駆け寄って私の反対側から声を張り上げる。
「おいっ、お前たち、名波も大丈夫かっ!?」
慌てすぎてむしろきれいにひっくり返った声に顔を上げると、私の前方から駆け寄ってくるめーこせんせーの姿が見えた。
「――入ってくるなっ!!」
獣の咆哮みたいに喉を唸らせる私の哮りに、めーこせんせーはつんのめって立ち止まる。
あともう少しでコースに足を踏み入れる直前だった。
「出来ないって決め付けたくせに私たちの邪魔しないでっ!!」
吐き捨てた言葉通りの意味だ。
危ないからって常識で決め付けて、あんたたち大人が走るわけでもないのに勝手に押さえ付けようとするなっ!
このコースは、いまこの瞬間だけは、あんたたち大人に押し付けられた私たちだけのものだ。誰にも文句なんて言わせない。絶対に邪魔だってさせないっ。
「がんばれ朱々寧っ!」
めーこせんせーを睨み付けていた視線を戻し、私は改めて朱々寧に声援を送る。
けれど私も由川さんも決して朱々寧には触れない。
手を貸す気がないわけじゃない。許されるなら、今すぐにでも抱き上げて助けたい衝動に駆られている。
けれど陸上では競技者への助力行為は失格になってしまう。
失格かどうかを気にするなんて、朱々寧を乱入させている時点ではいまさらでしかないだろう。
けれど私たちにとっては、アンカーである朱々寧が自分自身の力でバトンをゴールへと運ぶことに意味があるのだ。
転倒したからといって朱々寧が助けを求めていないのであれば、私たちメンバーがするべきことは想いを声に乗せて応援を送るだけだ。
そうやって私たちが最低限のルールの中で懸命に戦っているのに、身勝手な大人の都合で邪魔なんてされてたまるか。
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