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 体育祭が始まってから無人になった教室に潜り込んで事前に茉椰(まや)に書き込んでもらったのだ。


 やたら乗り気になった茉椰が鼻息荒くマジックを肌に押し当てるたびにくすぐったくて変な声が漏れてしまった。


 めーこせんせーが私にクラス対抗リレーを押し付けてきたときに言っていた、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というありがたい助言を実行に移した結果だ。


 どよめきが波みたいに広がる最中、教師テントを仰ぎ見ると口を半開きで唖然としているめーこせんせーと視線が絡んだ。

 ここぞとばかりに私は顎を持ち上げ胸を反らしてやる。


 どーだ、こんだけ目立てば陸上部に興味持つ子の一人や二人くらい現れるだろっ。


 やがて、どよめきは男子たちの色めき立った唸り声へと変わり、差し込まれるみたいな下卑た視線が私の身体に容赦なく注がれる。


 晒された地肌が熱を持って火照り、まだ走り出す前なのに心臓が爆発しそうに暴れ回る。


 けれど、それでいい。


 もっと私を見ろ。これこそが目的なんだから。


 どんな形であれ私がこの場の注目を集めただけ、車椅子の朱々寧(すずね)がコースに入り込む隙が生まれる。

 たったこれだけのことで乱入前に咎められて止められる心配もなくなる。


 コーナーを抜けて全力で走ってくる瀧口(たきぐち)さんでさえ、バトンを待つ私の姿にぎょっとした顔を浮かべている。


 ふざけて見えたのかもしれないけれど、私はどこまでも真剣だ。


 これが私の全身全霊だ。


 私の身体の真ん中でエンジンはすでにかかっている。


 陰口に身を竦ませて自分可愛さに保身を優先した去年のリレーに比べれば、あの時の後悔に比べてしまえば、こんなのはぜんぜん恥ずかしくなんてない。


 指を刺して笑えばいい、ブラ丸出しで走るピンク頭で裸足の野生児だと。


 こちとら腹立たしくて仕方ないクソ女のビッチ遺伝子を受け継いでるんだ。


 まっすぐ背後に腕を伸ばして前傾姿勢でバトンを待ちながら私は助走に入る。コーナーを抜けて直線に入った瀧口さんはきっちりと一位をキープしてくれている。


 あとはこのまま注目を維持して朱々寧へと繋げば、想いを込めたバトンを全力で繋げば、私の後悔は上書きされる。


 背後に駆け寄ってくる瀧口さんを感じる。


 腕を伸ばし差し出されるバトン。


「はいっ」


 テイクオーバーゾーンぎりぎりでバトンが指先に触れ、


「――あっ!」


 私の手のひらをバトンがすり抜ける。


 掴み損ねてしまった。瀧口さんとパスの息が合わなかった。


 いや、合うはずがないんだ。


 だって瀧口さんは陸上部じゃないんだから勝手がわからなくて当然だ。私の方がバトンを受け取りにいくよう合わせるべきだった。


 そのうえ不運は重なり、掴み損ねて落ちたバトンが私の脚に当たってコース外のテントにまで転がってしまう。


 目の前で起こった一連の流れにまるで現実感が伴わなかった。


 たぶん無意識に受け入れたくない気持ちが働きかけたのだろう。


 瀧口さんが「ごめんっ!」と叫んだ声が耳に届いた。


 違う、謝るのは私の方だ。


 それなのに視界の先にはまったく別の、中学生だった去年の体育祭のリレー、その場面が眼前に広がっていた。


 私に向かってのろのろと走ってくる子の蔑みきった表情。

 そして投げ付けられたバトンが足下で転がる。

 すでにどう足掻いたところで追いつけない圧倒的最下位。


 そして耳に届く冷酷な声、――ビッチ譲りのその脚で一位になってみなさいよ?


 私はぽっきりと心を折られ、打ちひしがれたように俯いたまま走ることが出来なくなった。走ることを諦めて逃げることを選んだ。


 同じだ。あの時とあまりに酷似しすぎている。また私は、諦めて――


「違うっ!」


 自分の発した声が耳の奥で響いて、遠退きかけていた意識を引き摺り戻す。


 一気に暗く沈みかけた視界がクリアに広がっていく。


 あの時とは違う。この蝕み続ける後悔の念を払い除け、新しい勝利の記憶に上書きするために、これは私自身が始めたことだ。


 テントの目の前まで転がったバトンを急いで拾い上げて顔を上げた私の前を、無情にも二位だったクラスの子が走り去っていく。


 チラリと私を横目で見下ろしたその眼差しからは真剣さが窺えた。


 おそらくだけど、由川(よしかわ)さんが本気のスタートを切り瀧口さんまでが全力疾走する姿に触発でもされたのだろう、その走りはもはや真剣そのものだった。


 後に続く子たちの走りもいまや一心不乱に追いかけてきている。


 肩で息をしながら私を見つめていた瀧口さんに、


「へいき、まかせてっ!」


 短くそれだけ言い切って、私は身体中に血液を漲らせる。


 全力で大きく踏み出した脚で強く地面を蹴る。まだ足りないっ。


 握り締めたバトンを放り投げるほどの勢いで強く腕を振る。まだだ、まだ足りないっ。


 全身のバネを利かせ全ての力を脚へと伝え、裸足の足裏と指先でしっかりとグラウンドの土を掴む。まだだ、まだぜんぜん足りないっ。


 燃やせっ。


 私を形作る細胞の一つ一つを消し炭すら残らないくらい燃やし尽くせっ。


 もっと強く、もっと速く、不甲斐なかった自分を置き去りにして、二度と追い付いてこられないくらいに、もっともっと前へと走り出せっ!


 いま、ここで、私を見つめる全ての者に、私の完全燃焼を見せつけてやれっ!!






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