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 うっかりでも勢いでもなく私が口にした問いかけは、もしかしなくても朱々寧(すずね)にとって残酷でしかないだろう。


 車椅子に座ったままそう易々とこの場から逃げ出すことも出来ないその身体に、鋭利なナイフを突き刺しているのと同じなのだろうと想像して胸が痛んだ。


 それでも、これは朱々寧の口から聞かなければならないことだった。誰からの押し付けでもなく、朱々寧自身の言葉で聞かなければ意味がない。


「……別に、私は走りたくなんて――」

「そんなはずないよっ。一度でも風になってコースを駆け抜けたような子が、県で一番になるような実力を持ってて誰よりも前を走る気持ちよさを知ったら、そんな簡単に手放せるわけないし割り切れるはずないじゃん! こんな私だって、誰も真面目にやってなかった小さい部活内だったけど一番速かったんだからそれくらいわかるよっ!」


 ゆるゆると視線を落とした朱々寧を遮って、私は自分の口調にだんだんと熱が帯びていくのを感じていた。


 きっと届く。朱々寧の心に届いて響くはずだと高揚していた。けれど――


「素直になったら、私の脚は動くようになるの?」


 おもむろに持ち上げられた朱々寧の視線は、私の熱量を完全に弾き返して遮断するくらい冷めきっていた。


 ほわほわと暖かい陽だまりみたいな口調の朱々寧が、冷淡さを極めた低い声で問い質してきた。

 しかも、これを言ってしまえば、もう何も言い返せないと理解しきっている無表情だった。


 そして案の定、私は言葉に詰まり、紡ぐべき言葉を絞り出すことさえ出来ず、草も生えない荒野に投げ出されたみたいに気が遠くなってしまった。


依乃里(いのり)ちゃん。……もうね、私にとってはそういう次元はとっくに過ぎちゃってるんだよ。正直に言わせてもらうと本当にお節介。でもそれは、とっても純粋な親切でやってくれているってちゃんとわかるよ。……だけどね、そんな風にいろんなお節介を焼いてくれる局面は、こっちはすでに散々経験し尽くしてるんだよ」


 虚ろな半眼で静かに紡ぐ朱々寧の独白は純然たる正論だった。


 私が知らないだけで、これまでに幾度となく慰めを受け止めてきたのだろう。


 善かれと思って紡がれる、どこまでいっても他人事でしかない甘い憐れみを何度も何度も浴びせられてきたのだろう。そのたびにずっとずっと気を遣って感謝を返してきたのだろう。


 正論を告げる朱々寧の態度は、そうやって積み重ねられてきた親切という名の無垢な押し付けに辟易しきっている証拠だった。


 けれど、だからといっておめおめと引き下がるつもりなんてない。もう口火は切ってしまったのだ。


 そしてなにしろ、朱々寧は自分自身で気が付いていない、頑なに見ようとしていない現実がある。


「朱々寧、私の考えとかは関係ないよ。走りたいのかどうか、私はそれを聞いてるの」

「……はぁ、走りたいよ。悔しいに決まってる。はい、素直になったよ。これで満足?」


 朱々寧らしくない投げやりな言い方だった。

 

 大きなため息は魂ごと抜け落ちていくみたいで、一刻も早くこの話題を終わらせたいという意思がありありと見て取れた。


「言ったね。やっと素直になってくれたね」

「……依乃里(いのり)ちゃんって案外ひどいなぁ。こんな、どうにもならないことをわざわざ言わせるなんて――」

「どうしてどうにもならないって決め付けるの? 朱々寧は走れるのに」


 わずかに笑顔を歪ませながら、それでも気丈に戯ける朱々寧を手のひらで遮って告げる。


「……なに、言ってるの?」


 くっきりと眉間に皺を寄せる朱々寧は、まったく意思疎通の出来ない未知のエイリアンでも眺めるみたいな眼差しをしきりに瞬かせる。


「だって朱々寧の脚は、今はその車椅子なんだから。余裕で走れるでしょ」

「……は? えっ? そ、そんなこと、……初めて言われたよ」


 唖然としてただでさえ大きな目を見開く朱々寧は、放心して口を閉じるのを忘れている。


「そう? これまで朱々寧を励ましてきた人たちって何をどうしたかったんだろ? いま、朱々寧の脚は動かないかもしれない。けど、それは走れない理由にはならないでしょう?」


 屁理屈に聞こえただろうか。だけど間違ったことを言っているつもりなんてさらさらなかった。私はごくごく当然の事実を口しただけだ。


 気休めやその場しのぎではない根拠を示すつもりで、自信満々にツンと顎を逸らしてピンクの毛先を軽やかに指で弾いて続ける。


「だからね朱々寧、私と、由川さんも一緒に走ろうよ。この場にいる三人それぞれの後悔をまとめて新しい思い出で上書きしてやるんだっ」


 ぐっと拳を握って突き出した私に、朱々寧だけじゃなく由川さんまでも口を半開きにしてしまう。性格はぜんぜん違うのによく似ている二人だと思った。






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