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「……それで、どうして私はここに連れて来られたの?」
朱々寧が上半身を捻って車椅子を押す私に振り返る。
その表情はさすがに申し訳なくなりそうなくらい、見間違えようもないほどくっきりと困惑に染まっていた。
昨日、宣戦布告した通りに、私は放課後になるなり有無を言わせず朱々寧の車椅子を押してグラウンド端の練習コースへとやってきた。
更衣室で着替えて少し遅れてやって来た由川さんも、朱々寧の車椅子を見るなり身構えるみたいに立ち止まって警戒の色を濃くした。
「……どういうことよ?」
昨日、私に朱々寧との確執の話を聞かせてくれたはずなのに、車椅子を見据える視線は温度を感じさせない冷たさで殺伐とした雰囲気が一瞬にして立ちこめる。
当たり前だけれど、私とどんな話を交わしたところで勝手に二人の仲が改善へと進むわけがない。それはそれ、これはこれ、なのだろう。
「朱々寧にはスタートの合図をしてもらう」
私の申告に当の朱々寧がびっくりした表情でこちらを見上げてくる。
「……着替えてこいって言っておいて、あなた――、西森さんは制服のままじゃない」
「ごめんごめん、朱々寧を逃がさないようにまずここに連れてきたかったんだよ。すぐに着替えるからさ」
手を合わせて見せ、鞄から引っ張り出したジャージの上着をすっぽりと被る。
もぞもぞとジャージの内側でブラウスのボタンを外す私に、ギョッとして由川さんが目を見開く。
「ちょ、ちょっと、なにしてるのよっ?」
「え? 更衣室戻る時間もったいないからここで着替えようと思って」
「ま、待ちなさいよ、ここグラウンドから丸見えよっ?」
確かに端っことはいえ開けた場所であることに変わりはなく、昨日に引き続き部活を始めようとしているサッカー部や野球部の姿がよく見えた。
「ん、平気へーき。別に誰も気にしないでしょ。それに、どこででも着替えちゃうなんて運動部女子のあるあるじゃん。由川さんはしないの?」
「しないわよっ」
少しだけ赤面させた顔をわずかに歪めて声を荒げる。朱々寧にちらりと目線を送るとすぐに意図に気が付いたのだろう、ふるふると首を横に振って否定してきた。どうやら二人とも、どこででも着替えたりはしないらしい。
もしかすると陸上で結果を残す選手にはお上品さも求められるのだろうか。どちらかといえば粗野な部類に振り分けられるだろう私には、そもそも素質が備わっていないのかもしれない。そんなことを思い浮かべながらスカートのホックを外してブラウスを引き抜いた。
朱々寧を強制的にこの場に連れてくるのは、昨日の宣戦布告から考えていたことだった。理由は簡単で、私が本気で走ったことを第三者の目線で保証してもらうためだ。
まあもちろん、それは建前だけれども。
本当の目的は別にある。それは勝負の後でいいから、ひとまず今は由川さんに私の本気を見せつけることが先決だ。
私の着替えをハラハラしながら見守っていた由川さんは、無事に体育着となったことを見届けると朱々寧に背を向ける格好で座り込んでゆっくりと柔軟を始めた。
大きく脚を広げて地面にぺたりと身体をつける柔らかさはさすがだった。すらりと薄い身体は均整が取れていてしなやかで、どれ程までに陸上へとその身を捧げて練習を積み重ねてきたのかが容易に窺えた。
「じゃ、始めよっか」
スタート位置に朱々寧の車椅子を横付けし、私と由川さんは並んで100m先のゴールラインを見据える。
「私が勝ったら、一緒に陸上部復活を手伝ってね」
「……昨日の自信満々な口ぶりから何か秘策でもあるのかと思ったけれど、朱々寧を連れてくれば私が狼狽えるとでも考えたの?」
解けかかっていた靴紐を結び直す私の頭上から由川さんの低い声が降り注いでくる。
「そんなこと考えないよ、それに秘策だなんて小賢しいものもないよ。ほんのちょっとだけ落とし穴でも掘ろうかなって思っただけだよ。ちょっとだけね、ちょーっとだけ」
「充分すぎるくらい小賢しいわよ……?」
「もー、冗談だってば。言ったでしょ、――私の本気を見せるって」
疑わしげに私を見下ろすその双眸を強く見つめ返す。
勝負はすでに始まっていると察したのか、表情を引き締めた由川さんはクラウチングスタートの姿勢になって足の位置取りを始める。
練習コースに並んで両手を付き、私たちは合図を待つ。
「じゃあいくね。……位置について、よーい――」
声に合わせてお尻を高く持ち上げて視線はゴールだけを凝視する。
朱々寧が、掲げていた腕を大きく振り下ろす。
合図と同時に地面を蹴った。
もう驚かないけれど、由川さんはすでに前を走っていた。
すごい、やっぱり速い。スタートの爆発力は高性能なスポーツカーみたいだ。懸命に腕を振って食らいついていったけれど、やっぱり勝てなかった。
「……気は済んだ?」
膝に手をついて息を切らせる私に、余裕を滲ませる口調で由川さんが声をかけてくる。
「はぁ、はぁ……、済まない。もう一回、走ろうっ」
気合いを入れ直すみたいに身体を起こした私は息を整えながらスタート位置へと戻る。
「は? もう一回?」
「そうだよ、本気を見せるって言ったでしょ」
「確かに聞いたけど、本気で走るってことじゃないの?」
「もちろんっ。本気で、勝てるまで何度だって走るよっ。ほら早くしてっ」
そんなにおかしなことを口走ってなどいないのに、由川さんは不可解そうに眉をしかめる。
「朱々寧、もう一度合図、お願いっ」
いまだ息の整いきらない私から切れ切れに告げられ、朱々寧も負けじと困惑しながら小さく顎を引いてみせる。
スタートラインに手をついた私の隣に、由川さんが慌てて並んで姿勢を整える。
「い、位置について、よーい――」
頭上に掲げられた腕が晴天を切り裂くように振り下ろされる。
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