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「じゃあ、朱々寧が受験する高校って知らずに選んだってことなの?」
「誰とも関わりたくなくて選んだのに、いざ入学してみたらよりにもよって朱々寧がいたのよ。スポーツ推薦で決まってた進学先を辞退したって話は噂で聞いてたけど、まさか同じ高校になってしまうなんて。神様から贖罪が足りないって言われてる気がして憂鬱になったわ……」
由川さんが胸中の愚痴を絞り出すみたいに口にしたところで、サッカー部の男子たちが土埃を舞い上げながらグラウンド外周を走ってきた。
ランニング練習なのだろう、向かい合って立ち尽くす私たちを横目でチラチラ眺めながら走り抜けていく。
今は実質廃部となっているはずの陸上部の練習コースで、なにやらただならぬ雰囲気で対峙している女子の姿はさぞ興味深く映ったことだろう。
「話してくれてありがとう」
「……これだけしつこく聞き出されたら仕方ないじゃない。いまさらしおらしくお礼なんて言わないでよ」
「おっ、由川さんらしい憎まれ口も戻ってきたね」
私の軽口に上目遣いで鋭く睨んでくるけれど、その視線には以前までの殺意の高さは感じられなかった。と思う。
「朱々寧と由川さんの確執もわかったし、前に競争したときに私が陸上を真剣にやってたわけじゃないって言っちゃって呆れられたのも理解出来たよ」
「……あの時は、ごめんなさい。完全に八つ当たりだったわね」
「ううん、今なら由川さんの気持ちもわかるよ。それよりもさ、中学の頃の朱々寧ってそんなに速かったの?」
興味本位だけで私が口にした質問に、由川さんは仰け反りながらやたらと瞬きを繰り返す。
空気の読めていない問いだったのかもしれないけれど、たぶん朱々寧本人に問い掛けてもきちんとは答えてくれない気がした。
事細かに聞き出されるのを嫌がるだろうし。さんざん由川さんに食い下がって過去を洗いざらい話させてはいるのだけれど。
「……速かったわ。なまじタイムが記録として残る競技だから残酷なのよ」
「残酷ってどういうこと?」
「その記録にまったく歯が立たない私たちにとっても残酷だし、塗り替えられない限り未来永劫に朱々寧の名前が残り続けることも残酷だと思うわ」
すぐに納得が追い付いてきた。
朱々寧にしてみれば、輝かしかった過去の栄光が、思い出したくなくともずっと残り続けてしまうのだ。
「朱々寧が記録を塗り替える前から、部活で何度走っても私は一度も勝てなかった。毎日毎日誰よりもトレーニングして歯を食いしばって努力し続けた。それでも朱々寧にはまったく敵わなかった。全中出場の標準記録をクリアした朱々寧の出したタイムには、いまでも勝てる気がしない。それくらい朱々寧の走りは速かった。ううん、あれは走ってなんてなかった。朱々寧の背中には大きくて立派な真っ白い翼が生えていたわ」
どこか遠くを見つめてうっとりと語る由川さんの表情は、これまで見た中で一番幼く映った。どこまでも純粋に自分よりも速い子への憧れを抱く小さな子供みたいだった。
「なんか、ほんとに尊敬する存在だったんだね。同級生なのにすごいな……」
「尊敬? 朱々寧を? それは違うわ」
私の感心をすっぱりと否定して由川さんは急に真顔になって続ける。
「もう知ってると思うけれど、私って陸上を真面目に取り組まない子って好きじゃないの。朱々寧なんてその典型だったわ。ちっとも真面目に練習しないくせに、成績だけはちゃっかり一番をかっ攫っていく。はっきり言って見てて苛立つばかりだった。けど記録を競うスポーツである以上は結果が全てなのよ。その結果に至るまでの過程なんてどうでもいいことなのよ」
「まあ、そうだよね。練習を死ぬほど頑張ってたからってタイムを1秒短縮ボーナスとかしてくれるわけじゃないしね……」
てっきり朱々寧と由川さんの二人は仲良しだったのだろうと思っていたけれど違ったのか。けれどそれはそれで、真面目に練習に取り組まない朱々寧に口が酸っぱくなるくらい小言を重ねていた由川さんの姿が目に浮かぶようだった。
「でもね、個人競技ではまったく歯が立たない朱々寧の実力は、チーム競技であるリレーになれば大きなアドバンテージだったわ。個人100mでは敵わなくとも、リレーであればその実力のおかげで私でも全中出場が夢じゃないって思えたもの。そして私は努力を続けて朱々寧と同じリレーチームに選ばれた。だから、このリレーに全てを賭けて挑むって決めたの。……そんな感じで一人で息巻いてたのに、予選会当日に朱々寧はやって来なかった。急遽、補欠だった子を組み込んで出走自体はしたけど、負けたわ。あとは知っての通りで、朱々寧に失言を叩き付けて現在に至るのよ」
「……好き、だったんでしょ? 朱々寧のこと」
「は!? な、なに言ってるのよ……?」
うっかり零してしまった私の呟きに、由川さんは今日一番くらいに敏感な反応を示して露骨に狼狽える。
「いや、大好きじゃん」
「違うわよっ。私はただ、リレーで託したバトンを朱々寧が誰よりも早くゴールに繋いでくれる、それがただ頼もしくて……、すごく……、心が躍っただけだから……」
「それをちゃんと朱々寧に伝えれば良かったのに」
「私、性格が悪かったから、そんな恥ずかしいことを自分の口から言いたくなかった。言葉にして朱々寧の実力を認めてしまうことが悔しかったのよ。ほんと、馬鹿みたい……」
ついに、由川さんの後悔の形に触れた気がした。
そしてその後悔は私が抱いているものと同質だと思えた。
そう思い至った途端に、これだけぶつかってきた由川さんに親近感さえ湧き上がってきた。
だって二人の確執は、それが確執へと形を変えてしまった根本の原因は、お互いがお互いのことを思い遣ってのすれ違いなのだから。
しかも、すれ違っていることをお互いが直視しようとしていないのだ。
そうとわかれば私が取るべき行動は決まったも同然だ。
「由川さん、朱々寧のこと大好きじゃん。世間じゃそれを愛と呼ぶんだよ?」
「……改まって何をおかしなこと言ってるの?」
もはや訝しげな表情を作ることさえ飽きてしまったのか、由川さんはむしろ疲れきったように弱々しいため息を漏らす。
ただ、私だってその反応にはすでに慣れてきたところだ。お疲れついでに最後まで付き合ってもらうことにする。
「ねえ由川さん。明日の放課後、もう一度この練習コースに来て。今度こそ、私の本気ってやつを見せてあげるからっ」
「……は? 何をするつもりなの?」
「何って、この練習コースでやることなんて走る以外にないでしょ? 覚悟を決めて、ちゃんと着替えてきてねっ!」
宣戦布告とばかりに私はビシッと伸ばした指を由川さんの鼻先に突き付ける。不敵な笑みももれなくセットだ。
まさか私の言葉が理解出来ないわけではないだろうけれど、由川さんは戸惑いを隠しきれずに狼狽えている。だけど、理解出来なくても良いし思う存分戸惑ってくれて良い。
だってやることは極めて単純、走るだけなんだから。
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