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 午後の授業が始まった。


 普段ならば空腹も満たされ最も睡魔に襲われやすい気怠い午後の授業だけれど、幸いと言うべきか私は朱々寧(すずね)との会話が長引いてお弁当を食べ損ねていた。

 うっかり気を抜いてしまうと、わりと盛大な音量でお腹が鳴ってしまいそうだった。


 空腹を紛らわせるつもりではなかったけれど、先生が黒板に板書する隙を見計らって私はこっそりと手元のスマホに指を滑らせて検索していた。


 もちろん、朱々寧のことだ。


 県の中学生女子の記録を塗り替えたのであれば、それなりの記事があってもおかしくないと思い至ったからだ。結果、労することもなくあっさりとヒットした。


 それは地方紙のウェブ版記事でさほど大きく取り上げられることもなく、それまでの県の中学生女子100mの記録を更新した名波(ななみ)朱々寧さんと、見出しそのままに報じられていた。


 カメラに向かってはにかみながらピースしている中学生の朱々寧の写真画像は、いまより日焼けしていて少しだけ幼さを残した顔に見えた。


 そしてなにより目を引いたのは、その写真の朱々寧は両脚でしっかりと立っている姿だった。


 件の転倒によって車椅子となる前の出来事なのだから当たり前だけれど、私は今の今まで車椅子に座っている朱々寧の姿しか知らなかった。


 そんな朱々寧が写真とはいえその両脚で立っている姿は新鮮だった。そしてさらに、自分の知っている同級生の姿がネット検索で簡単に表示される感覚には不思議さを覚えた。


 すぐ真後ろの席にいる朱々寧を背中でひりひりと意識しながら、いまさらながら首を突っ込んでしまったことを悔やんでしまった。

 眩しいほどの笑顔を見せるウェブ版記事の朱々寧の姿は、きっと本人にとっては思い出したくもない過去の栄光に他ならない。


 けれど私は、すでに首を突っ込みすぎてもはや引き返せないところまで来ていた。自ら望んでここまで立ち入ってしまったのだ。

 だったらいまさら後ろを向いたって仕方がない。引き返せないのなら突き進むだけだ。


 せっかく朱々寧が真相を語ってくれたのだから、前回は『何もない気にしないで』の一点張りで切り捨ててきた由川(よしかわ)さんからも改めて気持ちを聞き出したいと思った。


 そうとなれば即行動だ。うだうだ考えるのは話を聞いてからでいい。


 本日最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響き、職員室へ戻る教師と順番でも争ってるのかと疑いたくなるくらい、由川さんはさっさと鞄を担いで教室を出て行ってしまう。


「んあー……、眠かったぁー……。依乃里(いのり)ー、眠気覚ましに胸枕させてー」

「それまた寝るやつじゃん、隙あらば私の胸を弄らないで」

「どしたの、そんな慌ててー?」

「ごめん、私ちょっと用事あるから先帰るねっ!」


 眠そうに大きなあくびをしながら近寄ってきた茉椰(まや)に手を合わせて、私は鞄を引っ掴むなり倒れそうな勢いで教室を飛び出す。


「待って由川さんっ」


 廊下を行き交う生徒たちを巧みに掻い潜りながら、なんとか生徒玄関で追い付いた由川さんの背中を呼び止める。


「……あなたって、しつこいって言われたりしない?」

「言われる。それに空気が読めないってのも言われる。すごく」


 心底嫌そうに表情を歪めた由川さんが振り返りながら長く大きな溜息を零す。


 その怪訝極まりない顔をまっすぐ見つめ返し、


「今日の体育のこと、謝りたくてっ」

「謝る?」

「あれはさすがに私も言い過ぎた。だから、ごめんなさい」


 私の不意打ちでしかない謝罪に意表を突かれたのだろう、由川さんはまさか謝られるだなんて思っていなかったらしく露骨に面食らって切れ長の目を見開いていた。


「……あれって?」

「由川さんが中学の時に陸上部を辞めてる原因を、その性格のせいだって言ったこと」

「……いいわよ別に。間違ってないし」


 脱げかかった警戒心をきっちりと纏い直すみたいに由川さんが訝しげな声音で吐き捨てる。


「うん。私も間違ってるとは思ってないよ」

「……は?」


 せっかく警戒し直して身構えた由川さんだったけど、私からの予想外だっただろう返事に改めてわかりやすく面食らってくれた。


「辞めることになった原因が由川さんの性格のせいって言ったのは、いまでもそうだと思ってる。けど悪意を込めて言ってるわけじゃないし、それで真剣に陸上やってることをバカにしてるわけでもないから」

「あ、謝りに来たんじゃないの?」

「うん。言い過ぎたことは謝ったでしょ。でも私の考え方が間違ってたとは思わないから。ね、由川さん。もう一度、ちゃんと話をしよう」


 私は腕を水平に持ち上げてグラウンドを指差す。正確にはグラウンド端の練習コースだ。


 由川さんはまるで生まれて初めて目にする奇妙な生物でも見るような視線を無遠慮に突き刺してくる。


 けれど残念ながら私には通用しない。このピンクのおかげでそんな視線にはすでに慣れっこだ。今の私はその程度の眼差しでは動じない。






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