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やがて居心地悪そうに身動ぎして私から視線を逸らした朱々寧は、それでも小さくため息を零すと意を決した様子で表情を引き締めて口を開いた。
「……私ね、走ることがすごく好きだったの。もう本当に単純にただ走ることが好きだった。県の記録だとか全中出場だとか正直ぜんぜん興味なくって、風を切って誰よりも速くゴールする瞬間が最高に気持ちよかっただけだったんだよ」
目を細めて語る朱々寧は少しずつ口調に熱を帯びさせながら続ける。
「小さい頃からずっと走ることが気持ちいいって、ただそれだけの理由で陸上部に入って毎日走ってたんだ。記録とか大会とか心底どうでも良かったから部活のトレーニングだってぜんぜん真面目にやらなかった。それでもいざタイムを計ると誰よりも速かったんだ。だから……、私は知らず知らずに他の部員たちのことを傷付けてたんだと思う」
熱に浮かされてわずかに朱のさしていた朱々寧の頬は、波が引いて行くみたいにあっさりと火照りを失って影を落とした。
「知らずに傷付けてた……?」
「依乃里ちゃんは私の成績知ってるからわかるでしょ? 私って本当に、ものすごくバカなんだよ。みんなが必死になってトレーニングに打ち込んで汗を流している姿が疑問で仕方なかった。もっと気楽に走れば良いのに、どうしてそんなに苦しみながら走ってるんだろうってぜんぜん理解出来なかった」
それは、天から授けられた才能だ。そう喩えなければ、きっとやってられない。
同じ陸上部の部員たちが必死に努力してトレーニングを重ね、コンマ一秒を縮めてやっと成し遂げた記録を、朱々寧は才能だけで容易く抜き去っていくのだ。
しかも本人が言うとおりに、汗もかかず苦しみもせずに楽々と追い抜いていたのだろう。
実際にその姿を目にしたわけではないけれど、由川さんとの競争で井の中の蛙だと思い知らされた私には、その光景がありありと思い浮かんで胸が苦しくなった。
「……純粋、だったんでしょ?」
「そう思ってくれていた部員って何人いたかな。まわりの目も気にしないでのんきに走ってたところだけを見れば、確かに純粋だったんだと思うよ」
朱々寧が吐息を漏らしながら自虐的な笑みを零す。疲労感をたっぷり含んだその笑みは本当には笑っていないことが手に取るように伝わってきた。
「のんきだなんて……」
「ううん、本当にのんきだったんだよ。だって私は気持ちよく走ってるだけでタイムを伸ばせてるんだから、みんなも同じようにもっと楽しみながら走れば良いじゃんって、へらへら笑いながら言ってたんだから。そんな奴の出した記録に追い付こうと、毎日毎日必死でトレーニングに励んでいる子たちからすれば完全に嫌味でしかないよね」
確かにそれは、もっともだと思ってしまった。
その場に私がいたとしたら、たぶん誰よりも羨望の眼差しを朱々寧に突き立てて、羨望を憎悪の炎へと次々に変換して燃え上がらせていただろう。
井の中の蛙だったこんな私でさえ、中学時代には部内で一番速かった実績があった。
むしろそのちっぽけな実績だけが私の全てだった。朱々寧とは立っていたステージがまるで違いすぎるけれど、仮に私が羨望の対象だったとしたらこんな気持ちを向けられていたのかもしれない。
まあ実際、私が羨望されることなんてあり得なかったけれど。
「それくらい真面目に練習にも取り組まない奴だったけど、結局のところ結果が全てなんだよね。真剣に頑張ってた子には申し訳なかったけど私が一番速かったからリレーのメンバーに選抜されたんだよ、アンカーとしてね。その選抜メンバーの第一走者が、香奈だったの」
朱々寧と由川さんは同じ中学出身で、二人揃って陸上部に所属していて、さらに400mリレーのメンバーだった。
なるほど、納得だ。それは速いはずだ。速くて当たり前だった。
県の記録を塗り替えた朱々寧と一緒にリレーメンバーに選抜されたということは、由川さんも負けず劣らずの実力を持っているということだ。
私みたいな何の実績もない弱小陸上部で一番だのと息巻いていた蛙ぶぜいがそもそも肩を並べて良い相手ではなかった。
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