33
体育の授業が終わり、由川さんと更衣室でかち合わないようにタイミングをずらして着替えを済ませた。
午前中最後の授業だったこともあり、更衣室から教室に戻る廊下は購買や学食に向かう生徒たちの談笑で賑わっていた。
着替えるタイミングをずらした分だけ遅れて戻った教室で、鞄からお弁当を取り出した頃にはすっかり冷静さを取り戻し、自分の取った行動に愕然として頭痛がしてきた。
由川さんからの安い挑発だとわかっていながら乗ってしまった。それはもうロデオくらいに豪快な馬乗りだった。しかも乗っただけならまだしも完全に言い過ぎてしまった。
ただでさえ朱々寧との会話で種火が燻っていた由川さんの怒りの炎に、わざわざ大量の油をドバドバ注いでしまっていた。茉椰の仲裁がなかった世界線の一分後を想像すると本当にグーで殴り合っていそうで恐ろしかった。
これは反省しなければ。
ただでさえタイミングのおかしな転入生として目立っていたうえに、髪がピンクになったことで余計に悪目立ちしているのだ。
このうえさらに暴行事件なんて起こした日には、成績が良いだけではお目こぼししてもらえなくなってしまう。
お弁当の包みをもたもた解きながら、そんな風に由川さんとの口論を思い返して反省を並べているところで、ふと疑問が浮かんで私はくるりと後ろの席へと振り返る。
「ねえ朱々寧、ちょっと静かに話せるところに行こう?」
不器用なのだろう、剥きにくそうにおにぎりのフィルムを摘まんでそろそろと引っ張っていた朱々寧が私からの誘いに目を丸くする。
「え、もしかしてピンクモゲラって茉椰ちゃんに喋ったこと怒ってる……?」
「それは、いったん保留にしとこう……」
「ついうっかり口が滑っちゃったんだよ、ごめんね?」
「うん、ピンクモゲラはもう良いから。いや良くもないんだけど、そんなことより、さっきの由川さんとの話の件なんだけど……」
ぐっと声をひそめて教室前方の席へと視線だけ動かす。そこに由川さんの姿はなく、すでに別のクラスメイトが席を陣取って昼食の真っ最中だった。
瀧口さんが言っていたみたいに裏庭のベンチにいるのだろう。
「うん……、わかった……」
ピンクモゲラだなんて、きっと話を逸らすつもりだったのだろう。けれど私が視線に乗せた真面目な温度を感じ取った朱々寧は、覚悟を決めたみたいに小さく吐息を漏らした。
車椅子を押して中庭の空いていたベンチを見つけて腰を下ろす。
うっすらと曇っていたおかげで普段は利用している生徒もまばらなのに、なんとか一つだけ空いていたベンチは端っこでこの位置からではグラウンドは見渡せなかった。
「それで、話って?」
ベンチに辿り着くなり朱々寧は小さく咳払いしてから訊ねてきた。
教室を出る際にすでに覚悟は決まっていたのだろう、これから何を問われるのかがわかっている表情だった。
なので私も、変に取り繕うようなことはせずに単刀直入に本題へ入ることにした。
「うん。さっきの由川さん、私と朱々寧に『陸上を本気でやってなかった同士』って言ったよね? あれってどういう意味なの?」
私の問い掛けに、朱々寧は驚きもしなければ狼狽えもしなかった。きっとこの質問は想定の範囲内だったのだろう。
だからといって、そう簡単に二つ返事で答えられる質問でもないらしくわずかに顎を引いて押し黙ってしまう。
「……由川さんが朱々寧を徹底的に敵視してるのって、もちろん何か原因があるんだろうことだけはわかるよ。たぶんなんだけど、それは答えにくいことで出来れば話したくないことなんだと思う。けど私もそれなりに火の粉を浴びちゃってる状態だから、話してくれると嬉しいかな。……由川さんが陸上部を辞めた原因って、やっぱり朱々寧が関係してるんだよね?」
私の質問を黙って聞きながら、朱々寧はしおらしい上目遣いでそろそろと見つめ返してくる。
黒目がちな大きな目はたまらない庇護欲を煽ってくるのと同時に、私が朱々寧に無理を押し付けて困らせているみたいで心が痛んだ。
「うん、そうだよ。あの子が陸上部を辞めたのは、私のせいなんだよ……」
「そっか。……それで、もしかしてなんだけど、……朱々寧って、由川さんと同じ、陸上部だったんじゃないの?」
あらかじめ想定していたことを問い掛けるだけなのに、さすがに躊躇いが掠めて何度もつっかえて言い淀んでしまった。
由川さんが勢い余って吐き捨てた『陸上を本気でやってなかった同士』という言葉の意味は、難しく噛み砕くまでもなく単純に、もともと陸上をやっていた者に対しての言葉だ。
『本気でやってなかった同士』と言った以上、過去にやっていたことを意味しているのだから。
意を決して途切れ途切れに口にした私の予想を受けて、朱々寧は大きく上体を反らせるみたいに息を吸い込む。
まるで、これから訪れる衝撃に備えるみたいな動作に見えた。
私は私で、自ら指摘しておきながら心の中で否定してほしいと願っていた。
だって、てんで的外れな勘違いだと一笑に付してくれるほうがよっぽど幸せなのだから。
それなのに――
「……うん。私ね、中学時代は陸上部だったんだよ」
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