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「……とにかくっ、本気でやってなかったってあなたが自分で言ったことは事実でしょ。その程度のあやふやな気持ちで軽々しく陸上を語らないでっ」

「だからそれでバカにしてるってことにはならないって言ってるじゃん!」


 昨日の競争で由川(よしかわ)さんに負けたのは、ごく単純に私が井の中の蛙だったせいで純然たる実力が及ばなかったからだ。


 中学時代の、あまりに閉鎖されきった狭すぎる部内に限って一番速かっただけの、世間知らずの蛙にさえなりきれていなかったオタマジャクシだったと痛感した。


 そのうえ苦し紛れに、本気でやっていなかっただなんて子供じみた言い分を口にした。


 そしてすぐに、そんな自分の弱さが惨めで恥ずかしく悔しかったと思い至ったのだ。


 わかっている。いやというほど、わかっている。

 だからこそ、真面目に頑張っている人をバカにしているだなんて勘違いされてしまうのは納得がいかなかった。


 だって私が口にしたのはただの負け惜しみで、負け惜しみを言いたくなるくらいには私は頑張っていた。


 本気で、真剣に、誰よりも頑張っていた。


 ――ただ実力が及ばず誰にも認められることがなかっただけだ。


「そんな軽薄な気持ちでいることが失礼だって言ってるのよっ」

「軽薄かどうかを決め付けないでって言ってるんだよっ」

「決め付けてるのはそっちでしょう、敵わない相手を認めたくないって負け惜しみから陰口叩いてバカにすることで自分を正当化してるくせにっ!」

「そんなことしてないし、陰口なんて叩いてないって言ってるじゃんっ。ちょっとは人の話を聞きなよ――」

「どうでもいいわ。聞きたくないっ!」

「ほらそうやってすぐに人の話をばっさり遮る! 高校生にもなってそんな子供の癇癪みたいな態度取るのやめなよっ?」

「はあっ? 一方的に感情ぶつけて来てるのはそっちだって同じでしょっ!」

由川(よしかわ)さんが中学の時に陸上部辞めてるのって、その思い込みが激しすぎるキツい性格が災いしてるんでしょっ。人にせいにしないでよっ!」

「……っ!」


 勢い任せに食らいつきながら発した私の挑発に、由川さんはぐっと唇を噛んで押し黙り握り締めた拳を小刻みに振るわせる。


 そもそも朱々寧(すずね)と険悪な雰囲気だった由川さんを宥めようと割って入ったはずなのに、罵詈雑言を剛速球で投げ付け合いながら睨み合っている。どうしてこうなってしまったんだろう。


「なになに、どしたのYOー? MCバトルの真っ最中かYOー? 依乃里(いのり)、普段に増して顔怖いYOー?」


 なにやら手をピースみたいな形にして前後に振りつつ茉椰(まや)がひょこひょこと近寄ってきた。しかも調子外れのラップの真似事で茶化しながら顔を突っ込んでくる。


 なんて度胸だろう。


 私と由川さんの口論を見かねて、和ませるためにあえてふざけながらやっているのだろうけれどチョイスの意外性が半端ない。


 とんでもない大物か、手の付けられない狂人のどちらかとしか思えなかった。さすがに言わないけど。


「……普段から私の顔が怖いみたいに言わないで? あとラップめちゃ下手だから」

「わー、委員長も怖い顔ー。ほらほら笑って笑ってー」


 私の指摘を聞き入れたのかラッパーキャラはすぐに捨て去って、それでもおどけた態度は崩さず由川さんの顔を覗き込む。

 

 まるでキスでもしそうな勢いで顔を寄せる素振りは、重苦しすぎるこの場の雰囲気をものともしない素行には狂人らしさに拍車がかかっていた。


 そんな空気感を粉々にぶち壊す茉椰の接し方に呆気にとられてしまったのか、


「……私、委員長じゃないから」


 私と激しすぎる言い争いを繰り広げたのが幻だったみたいな小声でそう呟き、身体ごと仰け反らせて由川さんはそっぽを向いてしまった。狂人の勝利だった。


「依乃里もいつまでそんな顔してんのー? 帯電中のピンクモゲラそっくりだぞー?」

「ふぇ、いひゃい(いたい)やへへ(やめて)っ」


 くるりと振り返った茉椰に間髪入れず頬をぐにっと摘ままれてしまう。


 冗談のつもりだろうけれどけっこうな握力で摘ままれてほっぺが千切れそうだ。心の中で狂人扱いしていたことがバレたのだろうか。


 それとも心が読めるチート能力を持ってたりするのだろうか。仮にそうだったとしても茉椰ならあり得るかもと思えるくらいには常人離れしていた。


 そんな馬鹿なことを思い浮かべながら一つの疑問が浮かび上がった。


 まさかピンクモゲラが電撃系の怪獣だったとは知らなかった。


 いやそうじゃない、そんなことはどうでもいい。ピンクモゲラって造語を茉椰はいったい誰から聞いたのだろうか。って、私が勢いで産みだした架空の怪獣の名前を口にしたのは朱々寧の前でだけだ。やたらと気に入っていた様子だったから何かの拍子に喋ってしまったのだろう。


 茉椰の耳に入ってしまったら広まってしまうのも時間の問題だ。案の定、いまだって冗談めかして嬉しそうに口にしているのだ。


 このままではピンクモゲラが実在する怪獣みたいに扱われてしまいそうで恐ろしい。


「……っ、ふんっ」


 あとは取っ組み合いしかない剣呑な雰囲気をすっかり茶化されたことで興をそがれたのか、頬を摘ままれた私と一瞬視線の絡んだ由川さんは大きく息を吐いて背中を向けてしまった。


「おーい、どうしたー? 次スタートするぞー」


 ゴールでの私たちのいざこざにやっと気が付いたのか、体育教師がスタート位置から犬でも追い払うみたいに手を振って声を上げる。


 まるでそれが休戦の合図みたいに、背中を向けたままだった由川さんは水飲み場にでも向かうのだろう、こちらを振り返ることなく足早に歩いて行ってしまった。


「なーにー? 依乃里ってそーゆーキャラだったのー? ピンクモゲラは体当たりが攻撃手段な猪の怪獣なのかなー」

「電撃系の猪とか具体的に想像を固めないでくれる……?」

「ドロップアイテムはデカいブラにしようぜー」


 名案を思い付いたみたいに目を輝かせて私の胸を指先で突いてくる。


 制服の時よりダイレクトに指を押し込まれてしまうけれど、今回ばかりは茉椰の手をぞんざいに払い除けるわけにいかない。


 なにしろ間一髪で仲裁を成功させたのだから。狂人呼ばわりなんてして本当に申し訳ない。


「なんもドロップなんてしないから……。けど、止めてくれてありがと。マジで、手が出るかと思った……。あぶねー……」


 一気に風船を萎ませるみたいにしゃがみ込んだ私の肩を、あっはっはーっと芝居がかった笑い声を上げながら茉椰がバシバシ叩いてくる。


 けっこう強めの勢いで少し痛い。本気でドロップアイテムが出るとでも思っていそうな強さだ。


「……ごめんね依乃里ちゃん、私が余計なこと言っちゃったから」

「ううん、そんなことない。私の方こそ二人を宥めるつもりだったのに、うっかり参戦しちゃってたら世話ないよね」

「あはは……」


 朱々寧は疲れきったみたいに弱々しく笑顔を寄越すと、車椅子を反転させて体育教師に手を挙げ合図を送る。


 ストップウォッチを握り直して手伝いに戻ったあとも、チラチラと水飲み場へと向かった由川さんのことをずっと気にしているみたいだった。






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