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 本気で走ると宣言した私に合わせて本気で走ったのか疑いたくなるほど、由川(よしかわ)さんは息一つ切らせることもなく腕組みして朱々寧(すずね)を睨み付けている。


 もはや何かしらの確執があるのは間違いないにしても、ほんの少し言葉を交わしただけでここまで険悪な雰囲気を作り出せるなんてむしろ感心してしまう。


「いやー、由川さんやっぱ速いわ。私は何秒だったー? って、あれ? どうかしたの?」


 ただならぬ雰囲気にまるで気付いていないフリを演じながら二人の間に身体をねじ込み、なんとか注意を逸らして状況の中和を試みる。


 由川さんは私のわざとらしい演技に付き合う気はないらしく、睨み付けていた眼差しを朱々寧から私へと移して何かを見定めるみたいに凝視してくる。


 誤解でも何でもなくはっきりと敵意剥き出しで見つめられあまりの圧迫感によろめきそうになってしまう。


「な、なんでもないよ依乃里(いのり)ちゃん。平気だから……」

「いや由川さん顔怖っ、ぜんぜん平気な感じに見えないんだけど?」


 なんとか取り成そうと朱々寧が私の体育着の裾を引っ張るけれど、そう簡単には引き下がれない。


 私は朱々寧を背中に隠すように車椅子の前に立ち塞がり由川さんへおどけて見せる。


 けれど、そこまでして庇っている私の態度が見てわからないはずがないだろうに、由川さんは半歩ずれて首を伸ばし改めて朱々寧に鋭い眼差しを突き付ける。


「昨日も今も、私に陸上をやらせようとアンタがけしかけたんでしょ? どういうつもり?」


 立ち塞がっている私を気に留めることさえなく、あいかわらず低い声で朱々寧を睨め付ける。


「けしかけたって、そういうことじゃなくって依乃里ちゃんと香奈(かな)が一緒に陸上を始めてくれたらって――」

「そうやってまた真剣にやってる姿をバカにするつもりなの?」


 慌てて手を振って否定する朱々寧を抑え込むみたいに、揺るぎない怒気を含ませた由川さんの声が鋭く紡がれる。


 真剣にやってる姿をバカにするってどういうことだろう。


 それって朱々寧が、真剣にやっていた誰かのことをバカにしていたっていう意味に聞こえるんだけど。


「ちょっと待って由川さん。私は朱々寧に誘ってみたらとは言われたけど、けしかけられたつもりなんてないよ? 由川さんのことを誘おうと思ったのはあくまで私が――」

「黙って」


 なんとか間を取り持とうと慌てて弁解を口にしたけれど、由川さんの歯牙にもかけない一言でばっさりと切り捨てられてしまう。


 まるで日本刀じみた切れ味の一言に、私は喉を切り裂かれたみたいに言葉を失う。


 一拍おいて大袈裟なくらい長いため息を零し、


「はあ……、そうよね。あなたたちって二人揃って、陸上なんて本気でやってなかった同士だものね。気が合って当然なんでしょうね。そうやって真剣に頑張ってる人のことを見下しているのが面白くて仕方ないんでしょう?」


 がっくりと両肩を落として首を振りながら呆れ果てて蔑みきった視線で見据えられた。


 由川さんの言い分は、はっきり言って意味がわからない。

 断片的すぎる言い回しのせいで当事者ではない私には理解が追い付かなかった。けれど理解出来るかどうかはともかくとして、


 ――その決め付けにはさすがにカチンときた。


 ここまで圧倒的な勢いに気圧されていたけれど、私はぎゅっと拳を握り締めて一歩前に詰め寄る。そして大きく息を吸い込んで喉を開く。


「いや、そんなこと言ってないじゃん? 勝手に決め付けないでよ。それに、まさにたったいま私は本気で走って見せたでしょっ」

「知らないわよ、ずっと後ろで見えなかったもの」


 吐き捨てるみたいな由川さんの正論にあっさりとぐうの音も出せなくなってしまう。


 確かにおっしゃる通り、私はずっと由川さんと併走すら出来ないまま昨日に引き続き敗北した。


 私が本気で走っていたかどうかなんて前を走る由川さんに見えているはずがない。


「依乃里ちゃん、本気で走ってたよ。私はここでちゃんと見てたから……」


 たまらずといった勢いで前のめりに身体を倒して朱々寧が加勢してくれる。


「だから、あなたたちのくだらないお友達ごっこに巻き込まないでくれる? 本気で走っただのなんだのって勝手に思い込んでればいいけど、そのつまんないお遊びのために真剣にやってる人を引き合いに出してバカにしないで。本当に反吐が出るわっ」


 目に角を立てて隠そうともしない憤怒を立ち上らせながら、由川さんは心の底から軽蔑しきった眼差しを私と朱々寧に注いでくる。


「……ちょっと待って」


 言葉を発した自分が驚いてしまいそうなくらい低くこもった声が出た。


 私は、自分はわりと温厚な性格だと信じていた。

 そう易々と相手の挑発に乗ったりしない心穏やかな性格のつもりだった。

 実際にどうであるかはひとまず置いておいて、とにかく私は目に付く出っ張りに片っ端から噛み付こうとするような好戦的なキャラではない自負があった。


 そんな聖母と見紛う穏やかな私をもってしても、さすがに由川さんの言い分を黙って聞き流すなんて無理だった。


「さっきも言ったけど、私は真剣にやってる人のことをバカになんてしてないけど?」

「昨日自分で、陸上なんて本気で取り組んでなかったって言ったじゃない。それがバカにしてるって言うのよ。わかんないの?」

「……何も知らないくせにっ」

「なに? 聞こえないんだけど?」


 完全に挑発するつもりで由川さんが耳に手を添えて片眉を釣り上げる。


「うん、言った。確かに言ったよ。でも、それは私個人の考え方ってだけで本気で取り組んでる人のことをバカになんてしてない。それに、言っちゃなんだけどバカにしてるのは由川さんの方でしょ」

「は? 私がいつ誰をバカにしたって言うのよ?」

「たったいまだよ。本気で走った私のことを認めようとせず、自分より遅すぎて見えなかったってバカにしてるじゃん」


 私からの反論に由川さんが弾かれたみたいに肩を揺らして唇を噛む。


 これはさすがに図星だったようで、ここまでずっと揺るぎない正論を掲げ続けた由川さんが初めて狼狽えを滲ませる素振りを見せた。






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