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当たり前だけれど、私が合図しているのだから出遅れたりするはずがなかった。
なんだったらスタートの『ス』の瞬間ですでに地面を蹴っていた。
砂を被っていた合成ゴムの練習コースはわずかに踏み込みの感触が滑った。一瞬、そんなことに気を取られたけれどスタート直後にすぐ霧散した。
周囲の景色が流れ、雑音を置き去りにするみたいに走る私は、
――困惑していた。
ものの数秒でゴールラインを駆け抜けて、減速しながら跳ねる心臓を胸の上から押さえ付け荒くなった呼吸を整える。
スタートしてすぐに襲われた困惑の原因がいまいち信じ切れず、私は暴れる心臓を落ち着かせることが出来なかった。
――スタートした次の瞬間には隣から抜き去られて、ゴールまでずっと由川さんの背中を見ながら走っていた。
要するに、勝負の結果は私の敗北。完膚なきまでのボロ負けだった。
そして私は、この徹底的なまでの負け方を知っていた。否応なしに、頭の隅っこで埃を被っていた記憶が蘇ってきた。
中学の時に挑んだ初めての学区内予選会。
そこは優秀な選手たちがひしめき合いコンマ一秒を競って鎬を削り合う場だった。
結論から言って、校内の小さな部活で一番速かった程度の私がぽっきりと鼻っ柱を折られるには充分すぎるほどの実力差だった。
同じ中学生とはとても思えないストイックさと迫力でゴールを睨み付ける子たちの姿に圧倒され、私は本来の実力を発揮することなく敗退した。
けれど仮に本来の実力がいかんなく発揮されていたとて私は勝てなかった。
表彰式で一番になった子のタイムは私の自己ベストとは雲泥の差だった。計測装置の故障を疑うほどの差だった。
その結果を受けた私は、勝てなくて当たり前だと思った。
そう言い聞かせることで自分を守ることを優先した。
なにしろスタンスが違いすぎる。全日本中学校陸上競技選手権大会、略して全中出場を本気で狙っている子や、ゆくゆくはインターハイを目指しているレベルの子たちとは違って当たり前だった。
私はただ走ることが好きなだけだった。その程度のふわふわした気軽な理由で走っていただけの私なんかが、肩を並べて走ること自体がおこがましいのだ。
だから勝てないのは当たり前で、負けたところで残念がる必要さえない。
最下位でゴールラインを越え、唖然としたままとぼとぼとコースから捌けていきながら、そんな風に自分に言い訳をしていた。これが私の経験した惨めすぎる負け方だった。
そしてさらに、私は正直なところ由川さんのことを見くびっていた。
中学の時に陸上部を辞めていると朱々寧から聞いて、きっと実力がままならず走ることを諦めたのだろうと勝手に想定していた。
そのうえ陸上の強豪校でもなければ優秀なコーチがいるわけでもなく、陸上部が実質廃部になっているようなこの高校に進学しているのだ。
陸上で結果を出したかったり、インターハイを目指している子ならばもっと練習環境の整った相応しい高校を選んでいるはずなのだ。
朱々寧の話では真剣に練習を頑張っていたらしいけれど、それほど実力が伴ってはいなかったのだろうと高を括っていた。
練習を頑張ると言うだけなら私だって頑張っていた。そんなどこまでも身勝手で軽薄な私の思い込みを、由川さんはぶっちぎって置いてきぼりにした。
あまりに速すぎたせいで、その実力のほどがインターハイレベルなのかどうかを計り知ることさえ出来ないほどだった。
「よ、由川さん……、速いね……っ」
「そんなことないわ、ならしは今ので終わりでいいよね。次は本気で走ろうよ」
くるりと振り返った由川さんがほんのわずかに口元を綻ばせて紡いだ言葉に、私は目の前が真っ暗になって崩れ落ちそうだった。
たったいまの由川さんの走りは、なんとまだアップ段階だったらしい。
それに引き換え、私はかなり本気だった。
どんどん引き離される由川さんの背中に追い付こうと歯を食いしばって地面を蹴っていた。
しかもスタートのタイミングまで譲られ完璧なスタートを切ったのだ。
これだけのお膳立てをされたうえで負けたのだ。
多少なりとも短距離走を囓っているからこそ理解出来てしまう。
由川さんの速さは次元が違った。
その証拠に、唖然とする私はいまだに両手を膝について肩で息をしているのに、由川さんはすでに呼吸を整え平然としていた。
挑発しているわけでもなく、純粋に人と競争が出来て楽しかったとでも言わんばかりに膝を高く上げて飛び跳ねている。
「由川さん、中学の時に陸上やってたんだよね?」
「……誰から聞いたの?」
思いがけない質問だったのか、由川さんは眉間に皺を寄せて私を見下ろしてきた。
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