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わずかに逡巡しながら話の内容を頭の中でまとめているのだろう、やがて意を決した様子で小さく咳払いしてから朱々寧が口を開いた。
「あの子、中学三年の時に、陸上部を辞めてるんだよ」
「そうなんだ。……ていうか、それ知ってて由川さんのことを陸上部復活に誘ってみたらって言ったの?」
「うん、ごめん。善かれと思って。……あの子と私って同じ中学出身なんだよ」
いまだに談笑の混じる放課後の教室内で、掻き消されてしまいそうな小声で朱々寧が呟く。
「同中だったんだ。じゃあ朱々寧と由川さんって前から面識あったんだね。……あんまり良さそうな面識っぽくは見えなかったけど」
私が触れた逆鱗以上に意味がわからないけれど、朱々寧も由川さんと何やら揉めていたのだ。むしろそれを仲裁に入ろうとして拗れてしまったのだから。
「面識っていうか、まあ、うん。でもね、私はこれのおかげでここに通うしかなかったけど、あの子は真剣に陸上に取り組んでたからもっと別の高校にだって行けたはずなのに……」
車椅子の後輪リングを滑らせるみたいな手付きで撫でながら、朱々寧はうっかりすると聞き逃しそうに語尾を窄ませていく。
生徒指導室の前で朱々寧は推薦を取り下げたと言っていた。そのせいで慌てて受験先をこの学校にしたのだ。
朱々寧がこの学校を選んだ理由はおそらく、おあつらえ向きと言って良いのかわからないけれど、校内のほぼ全てがバリアフリーとなっており車椅子に対応した設備が整っていたからだ。
きっと過去にも足の不自由な生徒がいたに違いなく、普段だったら気にもしないそれに気が付くことが出来たのも車椅子の朱々寧と友達になったからだった。
「そっか、由川さんが中学時代に陸上部を辞めていることはわかった。で、どうしてこの学校を受験したのかはわかんないと。それで私が触れちゃった逆鱗の話は……?」
「……一度辞めた陸上を、高校でまた始めようかと考えていたわけでしょ。きっとそこにはすごい葛藤とか覚悟があったと思うんだよ。そこでタイミング悪く『リレーに出れば良かったのに』って依乃里ちゃんに言われちゃったから」
「いや待って。その部分なの? あー、確かに睨まれてたけど、性格悪くない? って言っちゃったことじゃないんだ……。つまり陸上に興味持ってる人にリレーを薦めたことが逆鱗に触れた原因だったってこと?」
「……えっと、うーん、……たぶん」
逆鱗を断言したわりに朱々寧は逡巡しながら煮え切らない返事を寄越す。
「そんなの相手との共通の話題が陸上くらいしかなかったら誰でも言っちゃうでしょ? 逆鱗の当たり判定が広すぎて無理ゲー過ぎるんだけど……」
濃すぎる塩水の中で素潜りさせられているくらいの塩対応の応酬だったのだ。やっと見つけ出した会話を弾ませるには、むしろそれしかないくらいの話題の振り方だったと思う。
「と、とにかくさ、逆鱗って言ってもそれくらいのことだから。依乃里ちゃんは知らなかったんだから気にする必要ないよ。それにこれから勝負でしょ? 早く行ったほうがいいよ?」
「あ、そうだった。朱々寧も一緒に来る?」
「ごめん、私はちょっと用があるから。それにさっきはあんな言い方したけど勝負とか関係なく、たぶん一緒に陸上部復活を手伝ってくれるよ。じゃあね」
早口に告げてきた朱々寧の口調には、この話自体を早く切り上げてしまいたい焦燥が滲んでいるみたいに感じた。
きっぱりそれだけ言い切った朱々寧は癖っ毛を慌ただしく揺らして車椅子を漕ぎ、大急ぎで逃げるみたいに教室を後にしてしまった。
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