13
大急ぎで支度を終えてトーストを口に捻じ込みお婆ちゃんの家を飛び出す。
ひとまずLINEで謝ってみたが既読にすらならなかった。
これは乳揉みの刑が冗談では済まなさそうで朝から憂鬱な気分になってしまう。
茉椰の揉み方は乱雑ではないけれど並々ならぬ癖を感じさせて、ちょっぴり背筋に悪寒が走るのだ。
飛び込む勢いで教室に辿り着いた私を、大仰に足を組んでふんぞり返っていた茉椰が手招きしてきた。私の前の席に陣取っているあたり待ち構えていたに違いない。
「ごめんっ、寝落ちしちゃった……っ!」
「ふむふむー、ひとまず昨日の生徒会指導室での話を聞こうじゃないかー。面白かったら乳揉みの刑の免除を考えてあげようー」
その演技じみた態度から本気で怒っているわけではないことは一目瞭然だったけれど、そこだけ別の生き物みたいに艶めかしく動かす指先は乳を揉みしだく気満々に見えた。
背に腹はかえられず、昨日繰り広げられた朱々寧の母親とのバトルを包み隠さず説明すると、
「えー、素直に生徒指導室に行くのもスゲーって思ったのに、行ったら行ったでそんな問題に巻き込まれるとか依乃里ってば修羅場に愛されてんじゃん!」
まるっきり他人事だからだろう、茉椰は前のめりになりながら説明を聞き終えて大層御満悦な様子で整えた眉を持ち上げた。
修羅場に愛されたってちっとも嬉しくはないけれど乳揉みの刑は免除されそうで助かった。
「ほんと私って不幸体質なのかもしれないわ……」
「いや朝からウケるわー。それにしても、これでもうウチと依乃里は生徒指導室への呼び出し仲間だねー!」
心底満足したほくほく顔で茉椰が机越しに私の肩に腕を回す。
そして逆の手で私の胸をまさぐり始める。乳揉みの刑、免除されなかったらしい。
「え、茉椰は呼び出しても逃げてるってめーこせんせーから聞いたけど?」
「うん。だってお小言もらうってわかってて行くのなんて面倒だしー」
「ぜんぜん仲間じゃないじゃん……?」
「じゃあ問題児同盟にしよー! なんか強そうっ!」
私の指摘に欠片も悪びれることもなく茉椰は名案を思い付いたみたいにパッと表情を明るくして軽快な声を上げる。私の胸をまさぐる手が止まる様子はない。
「改めて言うけどさ、私は別に問題児じゃないからね……?」
私の念押しをどれくらい真面目に聞き入れているのか、嬉しくて仕方ない様子で茉椰はにんまりと笑みを寄越してくる。
「んで、いつまで触ってんのよ」
あいかわらず私の胸を持ち上げるみたいに触り続ける茉椰の手を叩いて払い除ける。
「おお? 良いではないか良いではないかー、依乃里ってばツンデレかー? ウチと一緒におもしれー女を目指して同盟組もうぜー?」
「問題児同盟も嫌だけど、おもしれー女が同盟組んだらそれはもう女性漫才師でしょ……」
「ふむー、となるとウチは知的なツッコミだなー。なに胸デカくしとんねんっ!」
エセ関西弁と共に私の胸目掛けて手の甲をビシッと当ててくる。
なにがどうあれ執拗に胸を狙ってくるのはもはや逃れられないのかもしれない。
「ふー、ギリギリセーフ。二人ともおはよう。何の話してたの?」
「あ、朱々寧おはよー」
たったいま登校してきた朱々寧が膝の上のスクールバッグを机に乗せながら訊ねてきた。
車椅子の位置を微調整して俯いている朱々寧の名前を口にした瞬間、ほんのちょっぴり気恥ずかしさが滲んで声が裏返りそうになってしまった。
「うん、おはよう、依乃里ちゃん」
「おおお? 朱々寧と依乃里も名前呼びになってるじゃん。昨日、依乃里が朱々寧ママと世紀の大怪獣バトルを繰り広げたことで一気に親密になったのかー?」
私の胸への攻撃に満足したのか、茉椰は得意のがおがおポーズを朱々寧に向けながら冗談めかして昨日の生徒指導室前での出来事を話題に上らせる。
「あー……、その話かー、あはは……」
それだけでピンときたのだろう、朱々寧はしおらしく眉尻を下げて愛想笑いを浮かべる。
「ちょっと誰が怪獣よ、面白がって大袈裟にしないでよっ」
茉椰に被さる勢いでがおがおポーズを繰り出して応戦した私が唇を尖らせたところで、
「はーい、みんな席に着いてー。ホームルーム始めるぞー」
間延びした声でめーこせんせーが教室に入ってきた。追いかけるようにのんびりとしたチャイムが鳴り始める。
ひょこひょこと自分の席へと戻っていく茉椰を見送ってから、私は朱々寧の耳元まで身体を捻って伸ばし耳打ちする。
「朱々寧、気を悪くしてたらごめんね」
茉椰は冗談のつもりだろうし私がそんな喩え方をしたわけじゃないけれど、自分の母親を怪獣呼ばわりされて良い気はしないだろうと謝った。
すると朱々寧はぱちぱちと音が聞こえそうなほど大きな瞬きをして見せた。私の心配をよそにちっとも気にした様子もなく、
「ううん、平気だよ。けど確かに大怪獣バトルっぽさはあったよね、えへへっ」
と悪戯っぽい笑みを寄越した。
「ちょっと、誰が怪獣ピンクモゲラよっ」
「そこまで言ってないよっ? けど、ありがと」
ぺろっと舌先を出す朱々寧の仕草は小動物っぽい可愛らしさが滲んで見えて、たったそれだけで私の内なるお姉ちゃんが慌てて顔を出しキュンキュン胸を高鳴らせる。
「……くふっ、ピンクモゲラって、依乃里ちゃん可笑しー……っ」
咄嗟の思いつきで爆誕した怪獣の名前がツボったらしく朱々寧は俯いて肩を揺らす。
朱々寧から無自覚に滲み出す末っ子成分が強烈なのか、私の秘められたお姉ちゃん気質がチョロすぎるのか、気を引き締めていないとうっかり朱々寧を抱き締めちゃいそうで末恐ろしい。
「おーい西森、ピンクが名波に感染するから離れろー」
「感染とかしないからっ! めーこせんせーモラハラ!」
「うるさい黙れピンクハラスメント。じゃあ連絡事項からなー」
まったく取り合う気のないめーこせんせーから身も蓋もない反撃を受けてクラス内がどっと笑いに包まれる。
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