3章3話 英傑と理解者、その始まり
先の世の人間である。
その荒唐無稽と言える輝志の言葉を受けた信長は、輝志の目をじっと見ていた。
その目の奥にあるものを探るように。
その思惑が何であるのか調べるように。
輝志もその信長の視線の意味を察して、無言で目を見開き、信長の反応を待っていた。
静寂。
互いに少しも動くことなく、視線での会話がなされていた。
輝志が瞬きをした次の瞬間、信長が動いた。
素早く無駄の無い動きで抜刀し輝志の首へと斬りかかった。
目を開ければ首元に刀。
輝志は一瞬の出来事で反応すらできなかった。
そして、額から冷や汗が一滴流れ落ちたのを感じていた。
「反応もできぬか…。武の心得もなし。貴様、名は?」
信長は刀を鞘に戻しながら輝志に問いかけた。
鞘に刀が収まった音が聞こえ、輝志は深く息を吐いた。
そうして落ち着かせてからその問いに答えた。
「…音月輝志と申します。」
「音月…?どこぞの公家の流れの者か?」
信長の疑問に、輝志は言葉足らずであったことを認識してバツの悪そうな顔でこの疑問に答えた。
「私の世では誰もが苗字を名乗っているので特別な立場のある者でも、その流れでもありません。また、諱の概念もないのでその辺りも気遣いは無用に御座います。」
「ほぅ。名字も立場を表さんのか。それに諱ものぅ…。名の価値さえも変わる、か。何事にも不変なぞあり得ぬものよな。」
そう言う信長の表情は物憂げにも、満足げにも見えた。
輝志にはその反応に続けるべき言葉が見つからずに思考を巡らせていると、信長がさらに言葉を続けた。
「して、音月よ。目的はなんじゃ?」
信長は真っ直ぐに輝志を見ながらそう言った。
嘘も誤魔化しも通用しない、そう思わせる視線がそこにあった。
輝志もまた、同じ真っ直ぐな目をしていた。
「過去を変え、望む世を創ること。それが私の目的です。そして、前右府様が生きてその思惑を成し遂げた先にその道があると考え、時を遡りました。」
「カッカッカッカッ。貴様もうつけか、音月。良き大言じゃ。その志貫いてみよ。どんな大言も成せば誠、成さねば虚言じゃ。」
信長の豪快な笑い声。
そして、望む世の中を創るという妄言にしか聞こえないであろう夢物語をやってみせろと言い切るその器。
輝志は惹きつけられていた。
織田信長という名将に。
目の前の英傑に。
そして、そんな想いが自然と口を開かせた。
「私の名は文字にすれば輝く志。この名に恥じぬよう、この志、成してみせましょう。」
言い切ってから我に返る輝志。
ー 今何を言ったんだ俺は?
言っておきながらあまりの気恥ずかしさに顔の温度が上がったのを感じる。
そして、そんなことを言わせてしまうほどに人を惹きつける織田信長という存在。
そんな熱の上がったような混乱を信長は見抜いたように、にやりと笑った。
そしてまた信長の凛とした声が続いた。
「よう言う。して音月、貴様が十兵衛の謀反を知っておるのは先の世にそれが歴史として残っているから、これが根拠で相違ないな?」
その声に輝志も即座に切り替える。
「左様に御座います。」
「さらに貴様はこれを如何様にもできると申した。つまり、戦うにしろ逃げるにしろどうにでも出来る力がある、ということで良いか?」
「それこそ無力化して目の前に連れて来いと言われても可能です。」
「ほぅ…。で、貴様と同様の力を持った者は他にもおるのか?」
「おりません。少なくとも今この時においては。」
輝志の濁した言い方に、信長の目に若干の怒気が宿った。
それを感じ取った輝志は息を呑んで次の言葉を待った。
「…根拠は?」
「私にこの力を与えている存在への信用…でしょうか。この場を壊す意味があの存在にはない、というところです。」
それでも煮え切らない輝志の回答。
信長もまたその言葉に目を瞑った。
「…詮無き事か。この変事、貴様の知るところではどう決着する?」
「羽柴筑前守様が毛利と和睦し備中より取って返し、神戸侍従様と合流。山崎にて明智勢を討ち果たしました。変より10日程で全てが完結した、というのが私の知る歴史です。」
「……次郎三郎の動きはどうなっておったかわかるか?」
「徳川三河守様は堺から伊賀を抜け岡崎城へ帰還。この道中で穴山梅雪斎ご生害。ここまでがおおよそ二日ほどと伝わっております。」
「穴山が…?まぁよい。その後は?」
「九日ほどで軍を率いて上洛を目指すも鳴海で羽柴筑前守様の勝報を受け引き返し穴山領の駿河を接収。さらに一揆や上杉、北条の侵攻を受けた旧武田領で戦い、結果的に駿遠三に加え甲斐、信濃を手中にしております。」
「……既に動いておるか。で、その後の天下の趨勢は?」
「簡潔に言えば羽柴様が天下を一統するも、その死後、徳川様が実権を握り将軍任官。幕府を興すに至りました。」
その後の歴史を聞いた信長は一つ大きな息を吐いた。
精神集中するかのように。
まるで、何かに没頭するように。
そんな信長の様子を輝志は真っ直ぐに見つめ、信長の思考を乱してはいけない、とでも言うように無言で次の言葉を待っていた。
そして、目を見開いた信長の言葉が静寂を破る。
「次郎三郎の幕府…本拠はどこに据えた?」
「江戸にございます。」
「江戸?つまり発展より安泰を選ぶか次郎三郎よ…。音月、貴様がわしを生かしにここに来た意図も合点がいったわ。その流れを汲んだ世、つまらぬ世になっていような。」
輝志は一瞬言葉を失った。
江戸が本拠。
それを聞いただけで、その思想やその結果。
そこまでを察することができる目の前の英傑の凄みに圧倒されていた。
信長の思考の世界では既に道筋が出来上がっているのであろう。
だが、輝志にはまるで理解ができなかった。
そして、圧倒され思考もままならないままに、その言葉の端々に感じていた疑念を輝志は言葉にしてしまった。
「…前右府様はこの変に徳川様が絡んでいるとお考えなのでしょうか?」
「おそらく絡んではおらん。」
即答だった。
感情や願望などではなく、既に結論に至るだけの議論を積み上げた上での返答。
輝志にはそう聞こえた。
だが、まだ信長の言葉は終わっていなかった。
「が、わし亡き世の準備はしておる。ゆえに何かを掴んでおった可能性は残る、といったところか。」
「それは…徳川様に機会さえあれば離反、謀反の可能性がある、と。」
「この戦国乱世で戦国大名としての責を果たしておるだけよ。次郎三郎はその根本がお家安泰であり、この日の本という国は見ておらん。ゆえにそのために必要なことをしておるだけじゃ。少なくとも現段階では…な。」
「ならば今回は明智日向守へ手が打てればよいでしょうか?」
「急くな。今一度、後世に伝わる明日の十兵衛の行動を教えよ。」
「承知致しました。明日日の出の頃に明智勢は老ノ坂から桂川を越え京へ進軍。本能寺へと向かい襲撃。その後、妙覚寺から二条御所へと籠城した岐阜中将様を襲撃、というのが一連の流れにございます。」
「待て音月。わしと奇妙は同時ではなかったのか?」
「はい。確かな史実として、源五郎様が逃げ延びておりますので岐阜中将様には脱出の時間はあったものと思われます。」
「十兵衛が奇妙を逃し得る状況を?」
信長の返答に輝志は答えを持ち合わせていなかった。
だが、信長は史実にはない事実を見つけているように、笑った。
静かに、何かを確信するように。
「くっくっくっ…。ならばおるであろうよ。少なくとももう一人は。」
「なれば、そのもう一人にも何か手を打つ必要がありますか?」
「捨て置いて良い。いずれ尻尾を出すか、理に気付き従順になる。十兵衛への手を考えるだけで良い。音月よ、貴様の考えは?先の世の人間だという貴様ならどう見る?」
「私の…考え?」
「そうじゃ。貴様ならこの状況、何をする?」
「私であれば…まずは無力化して連れてきて真意を確かめてからどうするかを決めるかと。」
「甘いのぅ…。」
否定されると思っていた。
あるいは笑われると思っていた。
しかし、信長は言葉こそ否定のそれに近かったが、笑っている。
にやりと、既にこの先が見えているかのように。
そして、まるで弟子に課題を与えるかのように言葉を続けた。
「だがこの状況を作ったのは貴様。そのままやってみせい。」
「承知致しました。」
「わしは座興に時が止まった世でも眺めて待っておるわ。行け。」
輝志はすっと立ち上がり、外へと向かい進み出した。
すると、信長も同様に立ち上がったのを背後で感じた。
「貴様は如何様にして十兵衛のもとへ向かう?」
輝志はここで初めて織田信長の純粋な好奇心を感じた。
それを感じ取って、にやりといたずらな笑みを浮かべてこの問いに答えた。
「飛んで行こうかと考えております。」
その言葉に信長の眉がピクッと反応した。
「ほう?」
だが、意を察して信長もいたずらな笑みを返した。
「面白い。見届けよう。」
そうして二人連れ立って外へと向かった。
縁側に並んで立つ二人。
雲間に半分隠れた三日月だけがその光景を見つめていた。
「さて、見せてみよ。」
にやけた顔のままの信長。
輝志も同じ顔だ。
「では、行ってまいります。」
そう輝志が告げて飛び上がる。
一直線に、真っ直ぐに、三日月の微笑む漆黒の空へ。
「ほぅ。やりおる。」
そんな輝志を見た信長から漏れる賞賛の声。
その声はもう届かない。
「先の世の人間。それがわしの先に期待する…か。」
「誰にも見えぬが、あやつには見えておるのかもしれぬな。」
「くっくっくっ…。」
信長の静かな笑い声だけが、静寂の中響き渡っていた。
朧げな三日月は、そんな様子を静かに見守っていた。




