3章4話 叛将
朧げな三日月。
動かない雲。
音もない世界。
そんな空を輝志は一人飛んでいた。
ー おそらく今が出陣直後くらいなはず。目指すべきは老ノ坂あたり。
目指すは老ノ坂。
飛んで行けば10分程度で到着した。
しかし、老ノ坂の拠点周辺や道中にもそれらしい集団は見つからない。
ー であれば亀山城方面に進んでみるか。
老ノ坂周辺の捜索を切り上げ、さらに西へと輝志は飛んでいった。
そして数分。
それらしき集団が視界に入った。
神社らしき敷地の周辺に多数の篝火を見つけた。
ー たぶん篠村八幡宮。謀反を打ち明けた場所…。ここにいる。
輝志はそう確信を持って地上へと降下していった。
時が止まったまま、固まって動かない人混みを抜けこの場の主を探す。
ー 三鈷剣に桔梗紋の兜だったよな。わからなければご都合主義様に期待…か。
当然ながら輝志が明智光秀の顔などわかるはずもない。
伝聞に残る兜、そして謀反を打ち明けた場であるという二つの情報をベースに辺りを探し回っていた。
ルピナから与えられた力を使えばおそらく一瞬で正解に辿り着ける。
だが、それで得られるであろう結果を最善とは輝志は思っていなかった。
非合理な、ある種の人間らしい選択。
その過程で得られる経験。
現実世界の輝志なら求めることのなかった部分を無意識に求めていた。
時間に制約のない世界だからか、得られるはずのなかった経験がそこにあるからなのか。
まるで失っていた何かを取り戻そうとするような、非合理な選択を当たり前のように選んでいた。
そうして探すうち、輝志は本殿の裏手にポツンとあった小屋の戸に手をかけていた。
現代的な感覚で言えば倉庫くらいにしか見えないそこが、密談をするにはうってつけに見えた。
そして、戸を開けると頭を下げる四人の男と上座に一人。
その上座、老齢に映るその男の横に置かれた兜には桔梗紋。
ー この男が、明智光秀で間違いないはずだ。
叛意をこれから打ち明けるという場面。
そしておそらくその始まりのタイミングを輝志は捉えた。
ー あとは無力化して連れていくだけ…だが諸々リスクもある…な。まずは確認からすべきか。
そんな思考の据え、輝志はさらなる非合理を選び、指を鳴らした。
すると、一人の男の声が響いた。
「面を上げ…」
そう言いかけた声の主は明智光秀と思しき男。
動きを見せない家臣と戸口に立つ見知らぬ人物が視界に入った。
「…誰だ?」
声の先は輝志だ。
即座に立ち上がり抜刀した声の主は、輝志に刃を向け正対した。
そんな様子に狼狽えることもなく、冷静な声で輝志は答えた。
「前右府様の使者、音月と申します。明智日向守殿とお見受け致しますが間違いありませんか?」
淡々と事務的な声。
光秀からすれば異形としか言えない格好。
この状況下で動きを全く見せない家臣たち。
信長の使者を語る目の前のそれと状況は、不気味にしか映らなかった。
「上様の…使者…だと?」
動揺、狼狽、混乱。
そんな様子が手に取るようにわかる有様だった。
それでも輝志は同じ問いを繰り返した。
「もう一度お尋ねします。貴殿が明智日向守殿でしょうか?そうであれば今のこの状況も全て説明致します。」
狼狽する相手にどこまでも冷静、むしろ冷淡とも言えるほど淡々と輝志は応対した。
目の前の人物が目的の人物なら良し、そうでないのなら用はない。
まるでそう言うかのように。
どこまでも合理的な発言だった。
そんな意図を察した光秀は刀を鞘に納めた。
そしてその柄に手を添え、警戒を解き切らないままではあったが、輝志の問いに答えた。
「…なるほど。その言い様、確かに上様の使者なのだろうな。いかにも明智日向は私だ。状況の説明をお願いしよう。」
さすがに歴史に名を残した人物。
即座に状況を進めるための選択を取った。
数瞬前の狼狽が嘘のような切り替えだった。
ー 合理には合理。これができる人物だから信長に重用されたんだろうな。
そんなことを考えながら、輝志は光秀の求めに応じた。
「今この瞬間、貴殿と私。そして前右府様以外の時を止めております。信じ難いでしょうが、貴殿の家臣が動かないのはそのためです。」
「……。」
信じ難い、まさにそのままだった。
目の前の現実、受け入れられない思考。
光秀には出せる言葉が見当たらなかった。
動かない家臣。
静かに語る輝志。
それぞれに視線を送り、最後に天井を見上げため息を吐いた。
そして、刀の柄から手を離し、その喉から声を絞り出した。
「そういうこと…か。」
そう言うと、光秀は小さく笑った。
全てを悟ったように。
全てが終わったと言うように。
輝志は不思議とどこか満足感すら感じさせる光秀の表情の意味を探るように、ただ静かに目の前の男を見つめていた。
そして、光秀は真っ直ぐに輝志の目を見た。
覚悟を決めた、そんな目だった。
「時を操るほどのものを差し向け、私を拘束しようとも斬ろうともしない。」
一拍おいて光秀は目を閉じた。
「なれば上様のお考えは一つ…か。」
そして、その目をゆっくりと開け、もう一度輝志の目を見据えて言葉を続けた。
「さて、お主への上様の指示は私を連れてくることであろう?上様のもとへ参ろうか。」
そう言い終えて光秀は腰の太刀と脇差を外して静かに床に置いた。
全てを悟り、覚悟を決めた男のその所作には、形容のしようのない美しさがあった。
輝志はそれを見届け、一歩下がり戸口の横に立った。
「…お連れ致します。」
輝志は戸を開け、光秀を外へと促した。
無言で歩き出す光秀。
光秀が外に出た後に付いて輝志も外へと出た。
「なんだ?歩いて行くのか?」
辺りに馬が見当たらないことから出た言葉であったが、少しだけいたずらな笑みを浮かべながら輝志は返答した。
「いえ、飛んで行きます。私の両肩を掴んでください。」
そういうと輝志は光秀に背を向けた。
その言葉にも行動にも光秀は呆気に取られてしまった。
「飛ぶ…だと?それにお主は背を向けて私に何かされると思わんのか?」
それに対し、輝志は振り返る事もなく答えた。
「この期に及んで無駄なことをされる方ではないとお見受け致しましたので。」
「…なるほど。」
その呟きと共に両肩に手が乗ったのを感じた輝志は指を鳴らした。
次の瞬間、二人を包む静寂が揺らいだ。
そして、ぐっと踏み込み地を蹴り飛び上がる輝志。
その反動で光秀を背に乗せ東の空を目指した。
「勝ち筋が見えぬわけだ…。」
呆れとも諦めとも取れるそんな呟きは、朧げな三日月だけが拾い上げた。
あるはずのない明滅が、そこにあった。




