3章2話 英傑との対面、本能寺の夜
回る、全てが。
世界が回る。
時を遡るために、全てを書き換えるために。
我欲で望みを手に入れるために。
そこに正義も悪もない。
いつの時代も勝者が正義。
人間の世界の真理は変わらない。
変えられるのは己だけ。
変えてはならないのは己が信念だけ。
気付けば世界が形作られている。
足元に確かな大地を感じた。
水の流れる音、優しい風の音。
全ての感覚がはっきりしていった。
ー やろう。思い描く世界のために。
決意と共に輝志はその目を開けた。
「川…だな。山も近いから鴨川か?」
目を開けた輝志の視界の先にあったのは、静かに流れる川。
ちょうど日が落ち、わずかな残光が残る夜との境目。
ー おそらくは翌朝に事は起こる…つまりリミットは今夜。この前提でまずは本能寺を探しつつ情報収集、か。
誰もいない河原で一人、状況を推察し終えた輝志は京の街へと歩き出した。
鋭い三日月が夜を告げる闇の中、ゆっくりとその背中は闇に同化していった。
川沿いに街を目指して歩くこと30分ほど。
輝志は遠目に揺れる篝火を捉えていた。
ー 鴨川上流から歩いてきたとすれば鞍馬口なはず。であれば…。
この間、輝志は考え続けていた。
夜になればこの時代の人々はほとんど外にはいない。
そんな中で一つ、確実に把握しなければならない情報を得るためにはどうすればいいかを。
気付けば篝火に照らされた二人の番兵の姿がはっきりと確認できる所まで歩を進めていた。
輝志もまたはっきりと二人の番兵の視界に入っていた。
そして、番兵の目に映る輝志の姿は初老の僧体であった。
「坊さんや、こんな時間に如何された?」
番兵からの問いかけが飛んだ。
輝志からすれば想定通りの流れだ。
「道中諸々あってこんな時間になってしまっての。ほれ。」
そういって輝志は懐から箱を番兵へと見せた。
織田木瓜の家紋が見えるように。
それを見た番兵はびしっと姿勢を正した。
「使者殿であったか!失礼を。」
「よいよい。柴田修理様からの書状じゃ。時に番兵殿。今日は何月何日かの?」
「はっ。本日は水無月の一日であります!」
「…そうか。では急がねばの。書状の件は他言無用じゃ。では、通らせてもらおう。」
「無論であります!」
そういうと二人の番兵は道の脇へ寄り、輝志へ道を開けた。
二人は正した姿勢のまま、街中へと進む輝志を見送った。
その輝志は、求めていた情報を得て満足げに口角を上げていた。
ー 想定通り事が起こるのは明日の朝。確実な手段で行くか。
街中を進み、周囲に人の目が無いことを確認し、輝志はその姿をふっと消した。
リーン、リーン、リーン…。
季節外れの虫の歌が聞こえた。
そんな自然の合唱を遮ったのは、複数人の足音だった。
門が開かれ、一人の男を先頭に数十人の男たちが門を通った。
先頭の男は何も迷いなく、自らの居室へと進む。
その後に続くのは秀麗な男と、姿の見えないもう一人。
院の奥まった襖の前へと辿り着くと、秀麗な男が音もなく華麗な所作で襖を開けた。
先を歩いていた男が部屋へ入り、着ていた服を脱ぎ捨てた。
秀麗な男が、いつの間にか準備していた着替えを手渡す。
お互いに言葉はなく、淡々と。
理解しているのなら言葉など不要であり、不要なものは排除するのがあるべき姿だと、そう主張するように。
「御休みなさいませ。上様。」
流れるように着替えが終わり、秀麗な男が部屋の外で膝を付きながら挨拶をし、襖を閉めた。
そうして部屋の中には、その主と姿の見えないもう一人。
このまま寝るのだろうな、姿を消している輝志はそう思っていた。
部屋の主も布団へと歩いていく。
しかし、そうはならなかった。
「……姿なき者よ。何用じゃ?」
枕元に置かれた太刀を手に取り、静かで凛とした声で問いかけた。
その視線の先に輝志がいたわけではない。
それでもその存在全てから発せられる殺気に、輝志は生まれて初めて死を覚悟した。
ー これが英傑、織田信長か。
なぜ見つかったのか、そんなことよりも驚嘆。
純粋な尊敬の念がそこにはあった。
そして、その念に対して輝志がすべき行動はたった一つだけだった。
パチン。
指を鳴らす音が響いた。
「…降参です。」
そう言いながら、輝志は両手を上げ、姿を晒した。
変装した姿ではなく、現代の輝志そのままの姿だ。
さすがの織田信長も、驚きの目を隠せはしなかった。
信長からすれば異形で不気味、何もないところから姿を現した相手なのだから。
それでも太刀に手をかけながら、いつでも斬りかかれる状態で信長はさらに問いかけた。
「……もう一度問おう。何用じゃ?」
輝志はもうすでにどう返答すべきかを決めていた。
現代そのままの姿を晒した瞬間に、この目の前の英傑にどう相対すべきかを決断していたのだ。
輝志はゆっくりと両膝を付き、信長と正対してその目を真っ直ぐに合わせた。
「織田前右府様に明朝起きる謀反の知らせ、並びにその対処についての相談と提案。そしてこれらの情報への対価を求めに罷り越しました。」
言い終えてもお互いの目線は外れないまま。
何かを探るような信長の目を、輝志は真っ直ぐに捉えて逃げなかった。
時が止まったような静寂が空間を支配する。
そして、静寂を破ったのは英傑の言葉だった。
「ほぅ…。申せ。」
そう言うと信長は胡座をかいて座り、その傍に太刀を置いた。
そして、目線が輝志へと戻った。
それを合図に輝志は口を開いた。
「明朝、明智日向守の軍勢が前右府様ならびに岐阜中将様を襲撃する由にございます。」
重臣と言える家臣による謀反、そんな衝撃的なはずの内容にも信長は一切表情を変えなかった。
「十兵衛…か。真偽はさておく。して、貴様の考える対応策とは?」
激昂しない。
そして、素性も謎の人物の発言を聞こうとしている。
後世に残る織田信長の人物像からは想像できなかった返答に、輝志は一瞬固まってしまった。
「……申せ。時が無駄になる。」
そんな輝志の逡巡を見透かしたような信長の一言。
それに輝志も思考を取り戻し、そして答えた。
「…如何様にも。時が無駄になるのなら、まずはこの時を止めましょう。」
パチン。
指が鳴った。
そして、二人を除いたこの世界は完全な静寂となった。
輝志の発言を聞き、すぐさま太刀に手を伸ばしていた信長もその異変を感じ取り、その手が止まった。
ー まずは、説明してからだな。全部を。
そう考えて、輝志は再度口を開いた。
「前右府様。今の状況も私の素性も目的も…全て語ります。その上でご裁断を。」
言い終えて、輝志は頭を下げ返答を待った。
切り捨てるならそうすればいい、そう言わんばかりの無防備な姿で。
信長はしばし輝志を見つめていた。
そして、静かに口を開いた。
「…貴様は何者じゃ?」
これを聞かれた時の返答は、もう決めていた。
「今この時より、450年ほど先の世の者でございます。」
こうして戦国の英傑と未来の大凡人の時間が、ようやく幕を開けた。
英傑も大凡人も、目指す未来、望む世界のために。
異質で完全な静寂の闇夜を照らす三日月だけが、その様を見つめていた。




