3章1話 それぞれの望む世界、第六天魔王への扉
望む世界。
荒唐無稽な夢物語。
そのゴールは未だに見えていない。
それでも、進まなければならない。
一度進み出してしまったのだから。
中途半端な結末など、この男も、この存在も求めてなどいないのだから。
気がつけば、輝志が座っていたベッドはいつものソファーへと変わっていた。
いつもの白い空間。
いつもの対話のセット。
違うのはそこに声がないことだけ。
輝志は俯いたまま、ルピナもまたそれを見つめたまま。
無言の時間がまだ続いていた。
何にも邪魔されることのない静寂。
そんな絵画にでもなりそうな一枚絵を壊したのはルピナだった。
「もうそろそろ考えはまとまったかな?」
静寂の中に響いた凛とした一言。
言い回しこそ軽いが、そこには曖昧な返答ではなく明確な回答を求めていることがはっきりと輝志には伝わっていた。
だから、輝志はルピナの目をはっきりと見て口を開いた。
「次にやることはもう決めた。大丈夫だ。」
その一言を聞き、ルピナは指を鳴らした。
出てくるのはいつものコーヒーセット。
「じゃあいつも通り聞かせてもらおうか。ブラックでいいのかな?」
「寝起きだしな。頼む。」
そうして静寂が解かれた空間はいつもの対話の場になっていた。
コーヒーの香りとカップの音。
向かい合って座る一人と一つ。
口火を切ったのは輝志だった。
「なぁルピナ。次に何をするかの前に一つだけ教えてくれないか。」
「答えられることなら答えるけど、輝志の想像通りであってるよ、とだけは先に言うけどね。」
輝志はそんな読み切られた一言に、リアクションも、姿勢すらも変えずに淡々と続けた。
「なら俺自身の環境の変化の度合いによって戻った後の記憶やら認識やらのラグが生まれるってことか。」
「まぁインストールしてから正常作動するまで、ってくらいの感覚でいいんじゃないかな。」
「…つまりは今回は大した影響のある変化にならなかった、ってことだよな。俺の周り、というよりは日本においては、か。」
「そこは輝志の周り、の方が正解。日本って国そのものにも影響は多分にあったよ。」
「そうか…。なら俺の望む世界へは近づかなかった、があの改変の回答ってとこか。」
「それも踏まえた次を輝志は僕に示してくれるんでしょ?」
「そうだな。いちいち立ち止まっている時間は意味がない。まずは日本の構造を俺は変えたい。」
最後に見た、無機質な光景が輝志の脳裏によみがえっていた。
誰もが同じ方向を向き、違うことを恐れていたあの空気。
あの息苦しさだけは、どうしても受け入れられなかった。
「なるほど。大枠じゃなくて近いところからってとこだね。」
「そんな感じだ。戻ってみて感じた気持ち悪すぎるくらいの統一感というか…雑に言うなら右向け右社会。思考停止でもいいか。あれはもう人がどうこうじゃなく時間をかけて作られた社会構造だと感じてる。」
「いわゆる『日本人』の行き着いた先って感じかな?」
「まさにって感じだな。そしてその意識が薄かった時代。人々が自分たちの意思で生きる道を選択してたのが戦国時代だ。だから、既存の価値観を壊して合理性を突き詰めていた英傑、あの時代に唯一『日本と世界』を見据えていた織田信長の歴史を変えようと思う。」
口にした瞬間、自分でも驚くほど胸の内に熱が灯るのを感じた。
思いつきではない。
歴史を見続けた末に、ようやく掴んだひとつの答えだった。
「歴史を変える、ね。それが輝志の望む世界に繋がるなら僕はそれでいいよ。」
「含みのある言い方だな。」
「歴史を変えるのがメインになってたらそれは違うってだけの話だよ。で、どこから変えるのかな?」
「…刺された釘は留めておくよ。まずはその死を避けるところからだろうな。」
「まさに歴史改変って感じだね。その先に望む世界は作れる?」
「正直…わからない。でもあの段階で別の統治構造さえ作れれば、今の盲目的に周りに合わせるような社会じゃなくなるとは思ってる。」
それでも、何もしなければ何も変わらない。
確信よりも、その焦燥の方が今の輝志を突き動かしていた。
「うーん…輝志は本当にそうだと思ってるのかな?戦国時代に焦点を絞ったのはどうして?」
「少なくとも奈良時代あたりから続いてた職による人の分離だったり、世襲の慣習化。その分離の垣根が一番低かったからだ。秀吉は刀狩で、家康以降になればそれを推し進めて支配のためにまた分離していった。信長だけが能力を見て偏見なく人も制度も作り上げてた。だから、俺はその先に可能性を見てるんだよ。」
「珍しく熱があるねー。まぁそれくらい何かを見出してるならいいよ。僕にその可能性を見せてよ!」
「今度は…きっと明確に変えられる。俺はそう思ってる。」
「そう輝志が考えるなら、僕は扉を開くだけだよ。それを飲みきったら行く?」
「ああ、そうしよう。」
パチン、とルピナは指を鳴らす。
そしていつもの扉が現れた。
何度目かの光景であるはずなのに、その扉の向こうにはこれまでで最も大きな分岐点が待っている気がした。
輝志は手に取ったコーヒーカップの波紋を見つめた。
ー 今度は望む世界に近づくはずだ。きっと…。
言葉にはしなかったが、胸の奥に沈む不安を押し潰すように、心の中でそう言い聞かせた。
そんな輝志を視界の端で捉えながら、ルピナの口元はじんわりと上がっていた。
輝志からは見えないところで、はっきりと。
白い空間にカップが置かれる小さな音が響く。
ゆっくりと輝志は立ち上がり、扉へと歩き出した。
「いってらっしゃい。」
背中から聞こえたルピナの声。
輝志は振り返ることもなく、ドアを開けた。
「次は望む世界を見せてやる。」
決意の言葉をルピナに返し、輝志はドアの先へと踏み出した。
そして、扉は閉まり、ゆっくりと消えた。
「期待しているよ。僕の望む道に進んでくれることを。」
残ったルピナはそう呟き、その瞳からすっと光が消えた。
何もいなくなった空間は、静寂だけが残された。
望む世界、荒唐無稽な夢物語。
完璧な静寂だけが、その行く末を見つめていた。




