2章最終話 『神』のいなくなった世界
ドアを抜ける。
そこは一足だけ靴の置かれた玄関。
見慣れた自分の靴。
ー 戻って…きた。
二度目のはずの部屋。
だが、身体は『いつも通り』を知っていた。
記憶と感覚がズレる気持ち悪さを感じながらも輝志は短い廊下を抜け、リビングに入ると一度目と変わらぬ高層からの光景が目に入った。
ー 変わったところは…ないな。
一度目とは違い、目に見えて変わったようなところはない。
しかし、輝志はすぐに思考の違和感に気付いた。
ー 今回は最初から全部の記憶がちゃんとある。違いは…なんなんだ?
前回は改変後だと記憶と意識が一致するのにラグがあった。
だが、今回はそれがない。
ストレートに認識できてしまっている。
ー その答えに辿り着く材料はひとまずない…か。
疑念はある。
ルピナに何かをされているんじゃないかと。
が、判断材料がないと割り切り、輝志はパソコンの前に座り電源ボタンを押した。
ー まずはあの後の歴史を知りたい。
そう。
民衆の救世主のその後、そして歴史のその後。
輝志が手を加えた後の世界。
ルピナとの会話で断片は頭にあるが、それがどうなったのか。
輝志自身が最も気になっていたところだ。
まずは彼の名前で検索をかけた。
そして、その名の下に書かれた称号に目を向けた。
『初代シャマール元首』
ー シャマールって国を作ったのか。風?とかそんな意味の言葉だった気がするが。
シャマール。
夏に吹く強風、そういう意味で知られている言葉だ。
ー 彼はそんなところから国名を決めない気がする。もっと…想いがそこにあるはず。
輝志はそう考え発想を少し別路線に置いた。
ー 聖書絡みか…?
そう思い深掘りしていく。
そして、たどり着いた。
ー 見守る…そこに掛けてきたのか。観測者の使徒って名乗ってしまったしな。
彼の意図に辿り着き、輝志は笑みが溢れた。
それが正確なものかはわからない。
だが、輝志は観測と国を守っていくという彼の意志を合わせたものだと捉えた。
ー お前の『生きた先』とその信念…見せてもらったよ。
そんな感傷に浸りながら棚に置いてある水色のボトル、ラディ10に手を伸ばしテイスティンググラスに注いだ。
琥珀に染まったグラスを持ち、ベランダに出て空に掲げる。
そして、飲み干した。
遥か昔の1人の男へ、想いを手向けながら。
献杯を終え、パソコンの前に戻るとそこからはまた歴史の掘り返しへと向き合った。
小規模国家が乱立したあの地域は、改変時点から150年ほど経った頃から乱世のような様相となっていた。
戦争、戦争、また戦争。
歴史に刻まれるのはそればかりだった。
シャマールだけは中立、仲裁、そんな立場を維持していたようだが、600年ほど経過したところで周辺もろとも滅ぼされてしまっていた。
結果的に強固な軍事国家が誕生し、誰もが次の戦争を前提に生きていた。
ー にしても600年か…。時代が動くタイミングは変わらないんだな。なら、もしかしてシャマールを滅ぼしたのって…
輝志は気付きに従って、彼の創った国を葬った首謀者を探す。
見つけたその名を見て目を閉じ、深く大きな息を吐いた。
ー そこに『神』があってもなくてもやること変わらないんだな…。
歴史の強制力なのか、本質だからなのか。
元の歴史にも名を残した商人上がりの戦争屋は、この世界線でも結局は同じような立場で名を残していた。
神を語らなかった分、より利己的かつ強権的な手法で。
さらにこの戦争屋は自らの正当化の手段として輝志を利用していた。
『観測者は罰を与えにこない。なぜならこれが正しい戦いだからだ。』
そんな言葉を残していた。
輝志の残した言葉は600年で力を失った、そんな瞬間だった。
その先にあったのが軍事国家と不安定。
はっきりとした弱肉強食、強者カースト。
聖地が最前線の修羅の世界がそこにあった。
ー 欲望の果てを求めた結果…か。俺のした事が無になったのがこの時期。その先は…。
輝志と民衆の救世主の想いが無に消えたあとの歴史も結局は戦いの歴史だった。
手を組み、封じ込め。
崩れて、クーデター。
そしてまた転覆。
そんな繰り返しが続いていた。
ー どこにでもある、よく見た歴史。結局人の本質なんだろうか…。
軽い眩暈を感じながら、輝志は歴史を見続けていった。
ルピナの言っていた1500年ごろになると、元の歴史との大きな差異が生まれていた。
まず、スペイン、ポルトガルによる世界分割は起きていなかった。
ー そこは予想通り。だが、これは…
輝志の思考がそこで止まった。
思考を止めたもの、それは蒸気船の記載を見つけたからだ。
元の歴史よりも300年近く早い登場に輝志は衝撃を受けていた。
ー 確かに考えることを促しはしたが…宗教と科学の対立のない世界はこんなにも発展が早いのか。
宗教権力が存在しない世界線、ゆえに宗教と科学の対立もなくなっていた。
その対価は加速のついた技術発展。
輝志からすると、想定していなかった面での結果だった。
ー 他の面でも発展してそうだが、まずはこの1500年あたりの歴史をちゃんと把握しておこう。
興味で思考が散らかりそうなところを自制し、輝志は目の前の歴史に向き合った。
最初に目に入ったのはイギリスの名だった。
ー イギリス…?この時期って百年に薔薇で疲弊してたはずだが…。
この世界線で蒸気船を初めて世に送り出したのはイギリスだった。
この世界線では早い段階から海洋国家として商圏の拡大に焦点を置いた結果、無駄な権力闘争が起きていなかった。
そのために長く船の研鑽が続けられ、この段階での蒸気船を登場させるに至っていた。
ー この時点で海での機動力は強いよな。商売でも軍事でも…。
輝志の想像した通り、イギリスは世界を席巻していた。
商売の成立しなかった北アメリカ大陸は武力制圧し支配下に。
ー そうなると南アメリカも資源もあるしで、単独制圧したのか…?
そう考え続きを辿っていくと、まさかのイタリアの名があった。
ー イタリア?なんでだ?
その疑問を解消したのはイタリアがイギリスに続いて蒸気船を実用化していたという事実だった。
これによりイギリスに遅れて南アメリカにたどり着いたイタリアはこの大陸を分割支配。
ー スペイン、ポルトガルがイギリス、イタリアに入れ替わったのか。
そうして得た資源でさらに商圏を拡大して、この時代に日本に辿り着いたのもまたイギリスだった。
そして、これだけ技術発展をした結果、経済の概念の発達も相乗的に早まっていた。
より合理的に、ひたすらに利益を求めて。
利益を出すことが正義だと言わんばかりに。
世界は相互に利益を出せる関係なら手を取り、そうでないならその顔を叩く。
金で、物資で、資源で。
そして力で。
輝志の生きた現代に近い価値観が既に世界に出来上がっていた。
この価値観が出来上がった世界。
ー まぁ、こうなるよな。歴史は繰り返す…か。
輝志はその後に起きていた、世界中を巻き込んだ戦争の歴史を読み流しながら思った。
有史以来、人間が争わなかったことはない。
純粋な嫌悪、利権の取り合い、そして発展した先ではより早く、より大きな利益を取れる手法を選択して。
いつの時代でも、どんな背景があっても。
ー 本質なんだろうな。人間の。
そして、輝志はパソコンの電源を落とした。
天井を見上げ、何かを考えるように静止すること数十秒。
静かに立ち上がり、おもむろに身支度を始めた。
掛かっていた白いパーカーを手に取り窓の外を見る。
ー 外を、日本を見てみよう。
そう思い立ち、ドアを開けた。
自宅を出てみれば、そこはいつもと変わらない光景だった。
街を歩いてみても変化を感じたのはコンビニが全自動化していて店員がいなかったくらいだ。
ー 技術が進んで車が飛んでるくらいのことは期待してみたんだけどな。
そんなSF映画で観た世界を期待していた輝志としては少し肩透かしをくらった形だった。
駅前に出てみれば、相変わらずの人の群れ。
政治屋も、反戦集団も、修行僧も。
そして、無表情な人々も。
ただ、そんな人々からの視線だけは感じて。
ー たいして変わってない…のか?
そして抱いた印象があの違和感へと繋がった。
ー 俺の周辺の変化が少ないから現実に戻っても前みたいに記憶の乱れがなかった…ってことか?
世界の歴史は確かに変わっていた。
『神』構造による支配はなくなっていた。
結果、宗教と科学の対立の歴史がまるごとなくなり技術は発展していた。
技術発展が早まったがゆえに世界の歴史も早巻に進んでいた。
だが、目の前の人々は何も変わっていなかった。
今目の前の光景はほぼ見知ったものだった。
全てが同じにしか映らなかった。
ー 確かに日本の支配構造に影響はなかっただろうけど、こんなにも変わらないものだろうか?
ー もう少し見てみよう。もっと人のいるところで。
何かこの疑問の答えのきっかけになるものでもあればと考え、輝志は観察を続けることにした。
向かった先は大型のショッピングモール。
違和感は感じていた。
こんなに変化がないのか、と。
だが違っていた。
確かに変化は起こっていた。
モールに入った輝志は進むにつれてその変化を実感していた。
ー 何もかもが、同じだ…。似通うにも程がある。
すれ違う人々を見れば、誰も彼もが同じような服装、色、髪型。
モールの中の店を見れば、同じレイアウトに同じ値段に、同じラインナップ。
元々右向け右と言わんばかりの国民性はあった。
しかし、それが行き過ぎた様相になっていた。
ー 無個性…とでも言うべきなんだろうか。何が起きてるんだ?
人と違うことは許されない、そんな空気を輝志は感じていた。
そしてようやく感じていた視線の意味も悟った。
ー 俺が…世間とはズレた格好をしてるからか。
行き交う人々は黒や濃紺、そんな色味なのに対して輝志は白。
あからさまに浮いていた。
それが視線の原因になっていた。
ー こんなことで異端と取られる世の中なのか…?なぜだ?
輝志の行った改変の結果がここに繋がってることは間違いなかった。
けれど、そうなってしまう変化の理由が何も思い当たらなかった。
ー ただでさえ生きにくかった世の中が…こんなにも…。
混乱と失意。
そんな想いに支配されながら、輝志は逃げるようにモールを後にした。
できるだけ人のいなさそうな道を選びながら自宅へ向かう中、沈む太陽と代わりに顔を出す月が同居する空を見上げた。
人の映らないその視界に開放感を覚えながら輝志はこの結果について考えていた。
ー 神の支配を壊したのに、もっと見えない、気持ちの悪い支配がある。
ー これは…望む世界なんかじゃ、ない。これで終わりになんてできない。絶対に…。
ー こんな世界を受け入れられるわけなんて…ない。
そんな想いを抱えながら独り歩く男の背中を、水平線に消えかけた太陽だけが見守っていた。
そうして戻ってきた自宅のドアの前。
ー 前回はここ…だったよな。
ルピナの部屋へと繋がっていたのはこのタイミングのこのドア。
息を呑んでノブを掴む。
しかし、何も感じない。
ー これで…終わりなのか?
ドアは普通に開いてしまった。
先に見えるのは出た時と変わらない部屋の風景。
ー このままじゃ終われないんだ。ルピナ…。
失望を抱えたまま、輝志は自宅へと入っていった。
そしてそのままベッドへと倒れ込んだ。
ー これで終わりなら…これが俺の望んだ世界だった、ってことなのか?
天井をぼんやりと眺めながら、輝志は考え続けていた。
ー いや、それは違う。それだけは言い切れる。
ー じゃあ…なんで俺はルピナの部屋に行けないんだ?
そんな答えの出ない問いだけが頭を回り続けていた。
ー まだ、続けさせてくれよ…ルピナ。
そう願い、目を閉じた。
そして、意識もまたそこで途切れた。
リーン、リーン。
聞こえるはずのない鈴虫の音が聞こえた気がした。
その音に反応して、輝志は目を開けた。
視界に入るのは真っ白な空間。
その光景に意識は急激に目覚め、身体を跳ね起こす。
そして、聞こえた。
「おはよう、輝志くん!いい夢見れたかな?」
ルピナの何も空気を読まないふざけた挨拶。
「…人生史上最悪の寝起きだよ。」
「良かった、って本音が隠せてないよ。終われないんでしょ?」
「ああ…そうだな。ここにいるって事はまだ続けていいんだよな?」
「望む世界になるまで、どこまでも。だよ!」
「望む世界…か。」
そう呟き俯く輝志をルピナはただ静かに見つめていた。
その思惑を、その深淵を覗くように。
ただ静かに、真っ直ぐに。
望む世界を求める旅路は、まだ終わらなかった。




