第36話 シュゼットは、諦める
それからさらに1週間が経ち、ようやく医師から起き上がる許可を得られた。
その間ずっと考え続けて、わたしの心は定まった。
レナルド様に婚約解消を申し出よう。
わたしはレナルド様に相応しくないわ。
わたしは今までレナルド様がくださったお手紙とお花のお礼の返事にその旨を記した。
この手紙をレナルド様に出したら、もうあと戻りはできない。
一瞬だけ躊躇ったけれど、頭を振って未練を断ち切り、エメに手紙を託した。
ふと窓の外に目を向けると外は土砂降りの雨だった。
左腕の怪我の痛みはだいぶ和らいでいたけれど、今日はじくじくと鈍く疼いた。左腕と同じく胸も痛む。
本当は先日の収穫祭までレナルド様のお気持ちが変わらなければ、わたしを愛してくださっているという、彼の言葉を信じようと決めていた。
けれども、こうなってしまった以上、わたしは申し訳なくてレナルド様のお側に居続けることを選べなかった。
だからきっとこれで良かったのよ。
あんなに悩んで決めたのに、腕が痛むせいかつい弱気になってしまう。
あたたかい飲み物でも用意してもらって少し落ち着こうと、使用人を呼ぶベルに手を伸ばした時、ノックの音が聞こえた。
入室を許可すると、つい先刻レナルド様への手紙を託したはずのエメがもう戻ってきていた。
「まぁ、エメ! 雨の中ありがとう。一緒にあたたかいお茶でも飲んでひと休みしましょう」
「ありがとうございます、シュゼット様。ですが、レナルド様から至急のお手紙をお預かりしております」
「え!? もうお返事をくださったの!?」
異例の速さに驚いて慌てて封を切る。
この速さは婚約解消に是なのか非なのか。
どきどきしながら手紙を開くと、レナルド様らしかぬ走り書きで「今すぐ会いたい」という訪問許可を尋ねる一文だけが記されていた。
正直申し訳なくて合わせる顔がないのだけれど、レナルド様の筆跡に切羽詰まったものを感じて、断る言葉を書くことができなかった。
エメに訪問を受け入れる返事を託して、わたしはレナルド様の到着を待つことにした。
この土砂降りの雨だから、レナルド様がこちらにいらっしゃるまでにだいぶ時間がかかるだろう。それまでに落ち着いてお話ができるように心の準備をしておかなくては。
そんなことを考えていると、雨音に混じって馬の蹄の音が聞こえて来た。
まさかと思って、窓から屋敷の外を見ると、なんとこの土砂降りの雨の中、雨衣の外套をはためかせてレナルド様は騎馬でいらっしゃった。
わたしは慌てて応接室に向かうと、メイドに暖炉に火を入れてもらい、タオルを用意してもらった。
タオルを持って玄関ホールに向かうと、レナルド様が雨衣の外套を従僕に渡しているところだった。
「レナルド様! この雨の中、馬でいらっしゃいましたの!?」
「……! シュゼット! もう動いても大丈夫なのか?」
レナルド様はご自身がびしょ濡れにもかかわらず、真っ先にわたしの心配をしてくださった。
「ええ、本日医師から許可を得られましたの。それよりもレナルド様、びしょ濡れですわ! 応接室の暖炉に火を入れましたから、そちらで温まりましょう」
レナルド様にタオルを渡しつつ、応接室に誘導する。
申し訳なくてどんな顔をして会えば良いのかわからなかったはずなのに、びしょ濡れで駆けつけたレナルド様を見たら気が動転して、その考えは吹き飛んでしまった。
メイドにあたたかいお茶を用意してもらってひと息つくと、レナルド様はおもむろに口を開いた。
「……君からの手紙を読んだ。私になにか不満があるのならば改めるから、遠慮なく言ってほしい」
「え!? いえ、レナルド様に不満などございませんわ!」
わたしは予想だにしなかったレナルド様の言葉に驚いた。
レナルド様に不満などあるはずもない。申し訳なくなるくらい、いつも良くしてくださっているのだから。
「では、なぜ……」
レナルド様は困惑した表情でつぶやいた。
わたしがレナルド様との婚約解消を申し出たのには2つ理由があった。
1つは、今回の誘拐事件でわたしが名実ともに傷を負い、ベルクール公爵家に相応しくなくなってしまったから。
そして、もう1つは今さらながら時を遡る前のレナルド様にしたことが申し訳なくなって、とてもお側にいられなくなったから。
この2つのうち後者は説明ができなかったので、前者のみお答えした。
「今回の件でわたしは名実共に傷を負いました。今のわたしではとてもレナルド様に相応しいとは思えません」
「誰が私に相応しいかは私が決めることだ」
けれど、レナルド様はそれに納得はされなかった。
わたしはもう1つの理由を言葉を選んで伝えようと試みた。
「今回の件ももちろん理由のひとつではありますが……その、非常に説明が難しいのですが、わたしはレナルド様に対して到底お返ししきれない負い目があるのです。今回の件でそのことに改めて思い至って、とても申し訳なくてお側に居られないと思いましたの」
「…………それは、あの卒業パーティーでのことを言っているのか?」
「え……?」
「前にも言ったが、君が負い目を感じる必要などなに1つない。あれは私が君の信頼を得られなかったから招いた事故で、全ての責任は私にある」
レナルド様の言葉にわたしは耳を疑った。
卒業パーティーは来年の3月だ。時を遡ってからはまだ1度も出席していない。
それにもかかわらず、レナルド様はまるで卒業パーティーに出席したことがあり、そこでなにがあったのか知っているかのような口ぶりだった。
まさかと思いつつ、恐る恐る尋ねる。
「……レナルド様、もしかして、時を遡る前の記憶がありますの……?」
わたしの問いにレナルド様はそっと目を伏せた。
「……ああ」
「……っ!!」
わたしは驚きのあまり言葉を失った。
「君を失いたくなくて言えなかった。すまない」
「……っ!! レナルド様はなにも悪くはありませんわ!! あれは全てわたしが……」
「シュゼット、君はなにも悪くない」
レナルド様は珍しくわたしの言葉を遮った。
そして、ぽつりぽつりとその胸の内を語り始めた。




