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第34話 シュゼットは、誘拐される

 すえた匂いが鼻をついた。

 のろのろとまぶたを持ち上げると薄暗い天井が目に入った。起き上がろうとしたところで、両手が縛られていることに気がつく。


「なに、これ……?」


 縛られたままの両手を支えにしてなんとか起き上がってあたりを見渡すと、そこは荒れた室内だった。

 蜘蛛の巣の張った天井に、破れたカーテン、傷んだ調度品、散乱した本や雑貨類にはほこりが積もっている。窓は締め切られており、室内は薄暗くほこりっぽい。


 どうしてわたしはこんなところにいるのかしら?


 霞がかかったようにぼんやりした頭で、自分の行動を振り返る。

 確か西広場のバザー会場へ向かう途中の道でうずくまる人影を見つけて、その人物がナイフを振り回して、逃げようとしたら後ろから羽交い締めにされて、そのまま意識を失った。そして、気がついたら両手を縛られた状態でこの場所にいた。ここから考えられるのはどう考えても……。


「誘拐……?」


 そう思い至ると、ぞくりと体が震えて、胸の鼓動がどくどくと早鐘を打ち始めた。


 エメとジャンは無事かしら?


 わたしが拐われたのはジャンが目撃している。彼が無事ならば、すぐに騎士団に通報してくれるだろう。それに、わたしが約束の時間にバザー会場に現れなければ、西教会の皆やレナルド様が異変に気づいてくださるはず。


 問題は騎士団がわたしの居場所を探し当てるまで無事でいられるかどうかだけれど。それはこの誘拐の目的次第かもしれない。

 ふと思いついて縛られたままの手を頭の後ろに回して、髪飾りを探る。


「良かった……盗られていない」


 レナルド様からいただいた髪飾りは大粒のブラックダイヤモンドがいくつも嵌め込まれた、一目で高価とわかる品だ。


 これが無事だということは、この誘拐の目的は金品ではないのかしら?


 そこまで考えたところで、どたばたと慌ただしい足音が締め切られた扉の向こうから聞こえてきた。それはあっという間に近づいてくると、身構える間もなく、ばたんと大きな音を立てて扉が乱暴に開かれた。


「……っ」 


 恐怖のあまり思わず息を呑む。


 現れたのは顔に大きな傷のある人相の悪い大柄な男だった。その男はまるで荷物のように小脇に人を抱えていた。意識がないらしく、ぐったりしたその人物の顔は、髪に隠れて見えないけれど、その特徴的なストロベリーブロンドには見覚えがあった。


 まさか……。


 驚きのあまり固まるわたしの前に、男は小脇に抱えた人物をぞんざいに放り投げた。


「う……」

「バリエさん!?」


 間近で見たその人物は、案の定リリアーヌだった。

 床に強か体を打ちつけた衝撃で意識が戻ったらしいリリアーヌの目がゆっくりと開いた。


「……コルネイユ、さま……?」


 困惑したお互いの視線が交わる。


 どうしてリリアーヌまでここに?


 そう口にしようとしたその時。


「あーっ! シュゼット様、ようやく気がつきましたぁ?」


 この場に似つかわしくない、やけに明るい少女の声が響いた。

 そして、開け放たれたままの扉から、ヘーゼルの髪と瞳の少女が姿を現した。


「アニエス!?」


 現れたのは、なんと学園を休学中のアニエス・オベール子爵令嬢だった。


「お久し振りです〜。あ、でも、初めましての方がいいかなぁ?」


 こんな状況にもかかわらずどこか楽しげなアニエスの様子を見て、この誘拐の首謀者は彼女に違いないと確信した。


「……あなたが仕組んだことなの?」

「そうですよぉ。ちょっとシュゼット様にお願いしたいことがあったので、来てもらっちゃいました!」

「……お願いしたいこと?」

「大したことじゃないんですけどぉ、またリリアーヌを殺して欲しいんですよねぇ。今度はちゃんと」

「……っ!? そんなこと、できるわけがないでしょう!!」

「えぇ〜? 前はあっさりやってくれたじゃないですかぁ。まあ、いいや。じゃあ、こっちでやるんで〜、シュゼット様は罪だけ被ってくださいね!」


 アニエスの言葉に引っかかりを覚えたけれど、目の前の男がリリアーヌに向かってナイフを振りかぶったのでそれどころではなくなった。


「バリエさん!!」


 気がついたら、わたしは恐怖で固まるリリアーヌの体に体当たりをしていた。


 次の瞬間、左腕に鋭い痛みが走る。


 2人でもつれるように床に転がると、分厚く積もったほこりが舞い上がった。


「けほっ、けほっ……コルネイユ様っ!!」

「う……っ」


 我に返ったリリアーヌが血相を変えて覗き込んでくる。

「大丈夫」と答えたかったけれど、痛みで言葉にならなかった。

 ずきずきと激しく痛む左腕をちらりと見ると、オレンジ色のワンピースの袖が真っ赤に染まっていた。


「えぇ?? リリアーヌを庇うなんて! シュゼット様、一体どうしちゃったんですかぁ?」


 アニエスは顎に手を当てて困った素振りで首を傾げた。


「まぁ、いっか。揉み合って相打ちになったってことにしよー。……というわけで、2人ともやっちゃって! 報酬は2倍払うから」

「了解」


 アニエスの言葉を聞いた男が残忍な笑みを浮かべてナイフを振りかぶる。


「……っ」


 リリアーヌが果敢にも痛みで動けないわたしを庇うように前に出る。

 有り難いと思うけれど、もうどうやっても2人とも助かる見込みがない。

 目の前で振り下ろされるナイフがやけにゆっくりと感じた。

 わたしは現実から目を逸らすようにぎゅっと目を閉じて、襲い来る痛みを覚悟した。


 けれどもいつまで経っても痛みは襲ってこない。


 不思議に思って恐る恐る目を開けると、ナイフを振りかぶった男が肩を押さえてうずくまっており、その肩には背中から別のナイフが刺さっていた。


「きゃあっ!?」

「確保しろ!!」


 アニエスの悲鳴と同時に、部屋になだれ込んできた数名の騎士達が彼女と男を拘束する。


「ちょっとぉ!! 痛いんだけどぉ!! 離してよぉ!!」


 アニエスと男は騎士達に手枷をはめられると、引きずられるようにして、騎士達に連行されて行った。


 良かった……、助かったのね……。


 助かったのだと思うと、気が抜けて急に意識が遠くなっていく。


「シュゼット……っ!!」


 遠のく意識の中で、なぜかこの場にいるはずのないレナルド様の声が聞こえた気がした。

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