第25話 シュゼットは、湖で遊ぶ
リヴィエール王立学園に入学してから初めての夏期休暇。
わたしは慌ただしくも充実した日々を過ごしていた。
レナルド様とは3日と空けずお茶会をし、週に1度は慈善活動をして、残りの空き時間はひたすら寄付金の足しに売る用の刺繍作品を作成する。
そんな充実した日々を過ごすうちに8月になり、レナルド様とベルクール公爵領の別荘に行く日がやってきた。
昨年同様、レナルド様はコルネイユ侯爵邸に馬車で迎えに来てくださった。
わたしとレナルド様を乗せた馬車と、エメと荷物を乗せた馬車の2台と、それらを警護する数名の護衛の騎馬がコルネイユ侯爵邸を出発する。
別荘に行く時期が昨年よりも1ヵ月遅いため、王都を出た街道沿いに広がるライ麦畑では、収穫作業が行われていた。
馬車の車窓を流れるのどかな景色を眺めたり、レナルド様と他愛のない会話をしたりするうちに3時間が経ち、ベルクール公爵領の別荘に到着した。
先に降りたレナルド様の手を借りて馬車を降りると、清々しい森林の香りがした。
別荘の前には澄んだ水をたたえた大きな湖があり、裏手には青々とした木々が生い茂る森が広がっていた。
昨年同様、この別荘には3日間滞在する予定だ。
今日明日と宿泊し、明後日の朝にはこちらを出発するスケジュールになっている。
荷物を片付けたわたし達は、さっそく2階のバルコニーで昼食をとることにした。
澄んだ水をたたえた眼前の大きな湖は、凪いだ湖面に入道雲を浮かべた夏空と青々とした森の木々を鏡のように映していた。
うつくしい自然の中で、レナルド様との穏やかな会話を楽しみながらおいしい食事をいただくのは、とても贅沢なひと時だった。
食後のアイスティーを飲みながら、レナルド様がわたしに尋ねた。
「この後はどうする?」
「わたし、ボートに乗りたいです!」
「では、そうしようか」
食後にひと休みしたあと、わたし達は散歩を兼ねて湖の桟橋に向かった。
湖の周りに造られた遊歩道をしばらく歩くと、湖にせり出した桟橋があらわれた。
桟橋にはボートが1艘繋いであった。
わたしは差していたパラソルをたたむと、先にボートに乗ったレナルド様が差し出してくださった手を取る。
レナルド様はわたしの手をしっかり握って腰に腕を回すと、そのまま支えて彼と対面するかたちで座らせてくださった。
「準備は良いか?」
「はい!」
わたしの返事と共にレナルド様はオールを漕ぎ、ボートはゆっくりと湖上を滑り出した。
レナルド様がオールを漕ぐ度にボートが進み、湖上を吹き抜ける心地良い風が頬を撫でる。
「気持ちが良いですね!」
「ああ」
「わたし、ボートに乗ったのは昨年レナルド様とご一緒した時が初めてでしたの。初めは少し怖かったのですが、風が心地良くてすっかり好きになってしまいましたわ」
「そうか。君が望むならいくらでも一緒に乗ろう」
「ありがとうございます。……でも、レナルド様はわたしに少々甘すぎますわ。わたしがわがままになってしまったらどうなさいますの?」
「君は婚約者なのだから当然だろう。もっとわがままを言っても良いくらいだ。それを叶えるのが私の喜びなのだから」
「まあ……っ」
まるでわたしのことを好ましく思ってくださっているかのようなレナルド様の言葉がとても嬉しかった。
レナルド様はいつもわたしの意見を尊重し、希望を叶えてくださる。
それに対してわたしは、彼にとって良い婚約者でいられているのかしら?
「……レナルド様はいつもわたしにとても良くしてくださいますが、前にも申し上げました通り、わたしはレナルド様にお返ししなくてはならないものがたくさんあるのです。ですから、それを少しでもお返ししたいのですわ。なにかわたしに望むことはございませんか?」
わたしの言葉を聞いたレナルド様はオールを漕ぐ手を止めると、まっすぐにわたしを見つめて言った。
「君は素晴らしい婚約者だ。だから望むことは特にはないが……強いて挙げるとすれば、私はかたちだけの婚約者ではなく君と親密になりたい」
「わたしと親密に……」
初めての顔合わせの時にレナルド様はわたしにおっしゃった。「かたちだけの婚約者ではなく、君と親密になりたい。君の良き婚約者であれるように最大限努めるつもりだ」と。
「ああ、私が君を愛するように、君からも愛されたいと願っている」
どきりと胸の鼓動が大きく跳ねた。
聞き間違いかしら? レナルド様は「私が君を愛するように」とおっしゃったわ。レナルド様はわたしのことを愛してくださっている……? いえ、まさかそんな。
胸の鼓動がどくどくと早鐘を打つ。
うぬぼれかしらと思いつつも、わたしは恐る恐るレナルド様に尋ねた。
「……レナルド様は、わたしのことを愛してくださっていますの……?」
「当然だ。私は君を心から愛している」
レナルド様の言動から、わたしのことを好ましく思ってくださっているのではないかと思ったことは過去にも何度かあった。
けれども、はっきりと彼の気持ちを聞いたのはこれが初めてだった。
「…………っ」
驚きのあまり言葉を失ったわたしを見て、レナルド様は苦笑した。
「……だが、強制するつもりはない。君の気持ちが私に向くまでいつまでも待つつもりだ」
レナルド様はそう言うと、再びオールを漕ぎ出した。
レナルド様はわたしを愛していると言ってくださった。
けれど。
わたしはその言葉を信じることにためらいがあった。
たとえ今はそうだとしても、この先のことはまだわからないわ。
だって、時を遡る前は命懸けで庇うほどリリアーヌに強い想いを抱いていたのだから、いずれまた彼女のことを好きになるのではないかしら?
でも、時を遡る前と行動を変えた結果、レナルド様と親しくなれたのだから、それに伴ってレナルド様のお気持ちも変わったのかしら?
それでも、リリアーヌはあんなに魅力的ですもの。なんの取り柄もないわたしでは到底敵わないわ。
それなのに、レナルド様はなぜわたしを?
ぐるぐると思考が堂々巡りをくり返す。
時を遡る前にレナルド様が命懸けでリリアーヌを庇ったことがわたしの中で非常に強く印象に残っていた。
そのため、レナルド様の言葉をとても嬉しいと思う反面、どうしても信じることができなかった。
わたしはその後ボートから降りて、夕食を食べて、入浴し、寝る前までずっと彼の言葉を考え続けていた。




