再会
もしこれを読んでいる人がいたら、私のことをなんと薄情だとお思いになるかもしれません。実際に私がしたことといえば、エリアス様のお気持ちを一顧だにせず、自分の都合を押し付けていただけのことですから。
しかし幾ら人様から罵られようと、それだけのことをしなければ、エリアス様をあの地の底から這い上がらせることができなかったと思います。それほどエリアス様は救いがたく、またどうしようもない人間だったのです。
何よりも厄介なことは、エリアス様ご自身が瀬戸際に立たされていることを理解していないことでした。本人が危機感を持っていないのでは、他人がそれを幾ら指摘したところで変わりません。言葉だけでは変化を促すのは足りないのです。
もっともその後のエリアス様の活躍を見るに、私の抱いたものは杞憂であったのかもしれません。ひょっとしたら単なるお節介であった可能性もあります。
ですが、私はホレイショー様の大恩に報いるべく、一刻も早くエリアス様を一人前の立派な人間にしてあげようと躍起になっていたのです。ですから、一秒でも長くあの不甲斐無いエリアス様を見るのは我慢がなりませんでした。
私が再びエリアス様のお顔を見ることができたのは、あれから三年後のことでした。私はその間、コリングウッド卿のお屋敷でメイドとして働く一方、いつエリアス様が帰ってきてもいいように、エリアス様の「犬小屋」を定期的に掃除していました。エリアス様と出会ったのは、ちょうどその小屋を掃除している時でした。
「セリア……セリア・ロングフェローか、お前は」
いきなり部屋の扉が開かれると、そこには何とも汚らしい顔を晒した男性が立っていました。肌は潮焼けしており、鼻の下に不精ひげを生やして、歯は黄色に染まっている。赤く血走った目は不気味なぐらいに開かれ、その目元は焼けた肌より黒く染まっている。端的に言って、その男は衛生概念を巧みに排した醜悪な顔をしていました。
そして尚一層それを際立たせていたのが、その男の格好でした。白いチョッキに白い膝丈ズボン、その上に垂れの付いた青い上着という海軍の士官の制服。そのどれも染み一つ無く、綺麗なだけに余計に顔の不潔さが目立っていました。
「失礼ですが、どちら様でしょうか?」私は男の顔に眉をひそめながら訊ねました。
「どちら? どちら様だと!? お前はそんなことを聞くのか!? 俺はこの三年間、お前の顔も名前も一度も忘れたことはないぞ!」
そこまで言われて、はたと気がつくことがありました。眩しいほどの金髪に空を映したかのような瞳、そしてホレイショー様を感じさせる整った面立ち。そのどれもが長き航海によって汚らしく変貌を遂げていましたが、私に一人の人間を思いつかせるのには十分な材料でした。
「エリアス様! エリアス・ニーソン様でございますか?」
「そうだ、そのエリアス・ニーソン様だ! よく思い出してくれたな、セリア・ロングフェロー!」
「ええ、忘れるわけがございません。私はずっとエリアス様のことを心配していたのですから」
「心配? 心配だと? どの口がそんなことを言うんだ? お前が俺を強制徴募隊に売ったんだろうが! おかげで俺はこの三年間、死と隣り合わせ。まるで地獄のような生活を送ってきたんだ。お前にこの苦しみ、辛さが分かるか? こんな陸でのんびりと生活を送ってきたお前に少しでも分かるか? 俺はお前に復讐するために、この三年間を耐えに耐え続けてきたんだ!」
「そうですか。ですが、おかげでご立派になられたようで」私は、感動ではらりとこぼれ落ちる涙をハンカチで押さえながら答えました。
「ああ、おかげで今は海軍の海尉だ。だけどな、そんなことでな、俺がお前に感謝するわけがないよな」
「ええ、感謝などいりません。私は当然のことをしたまでです」
「そうか。後悔など微塵もしていないってか。そうか、そうだよな。でも、それなら俺も後悔などしそうにないな」
「どういうことでしょうか?」
「こういうことだよ!」エリアス様はそう言うなり、両手を上げて私に襲いかかってきました。「死ねぇ、このクソメイドが!」
三年間、荒波を乗り越えただけあって、エリアス様のお身体は頑健で逞しく、威圧するような筋肉を飾っていました。かかるエリアス様を相手にしては女、子どもなど、皆エリアス様の餌食となってしまうことでしょう。
しかし、私もホレイショー様のために、と幼き頃より身体を鍛え続けていましたし、またエリアス様の家がある貧民窟へ赴く際に、コリングウッド卿の部下である一人の武官から、剣の手ほどきを受けてきました。それを三年間、休まずに研鑽を続けてきたのです。
私は女性に手を上げようとするエリアス様の素行を正すべく、手に持っていたモップの柄を素早くエリアス様の鳩尾へ思い切り捻り込みました。そしてその衝撃に身体を折り曲げ、苦悶の顔を晒すエリアス様のお顔を目にとめると、私は矢継ぎ早にモップの先をその顔面に叩きつけてさしあげました。
一呼吸と間を空けることなく、流水のように淀みなく流れる瞬息の連撃。エリアス様が三年間によって培った身体を私に見せてくれたように、私もこの三年間で磨き上げた技をエリアス様に存分に披露しました。
「お粗末さまです」
私はエリアス様に向かって一礼します。そしてそれに呼応するかのように、エリアス様はうめき声と共に意識を失いました。
女だてらによくやったなと自分でも思いますが、私が勝てたのは何もエリアス様が弱かったというわけではありません。船上で敵の斬り込み隊と幾度も剣を交えて、生き延びてきたエリアス様は、世に伝えられる通り武勇に誉れ高いお方です。
では何故私が勝てたかといえば、エリアス様は長き航海によって体調を崩し、壊血病にかかり始めていたからです。幾ら筋肉をつけたところで、それでは本来の力は発揮できないでしょう。その証拠にエリアス様の息がやたらと臭かったのを、今でも私は覚えています。




