EP 5
天然サイコパスお嬢様ルナと、ファミレス『ルナキン』の偽金騒動
キャルルに砂糖入りの温かいミルクを飲ませ、無償治療の反動による貧血が一段落したところで、俺の胃袋が情けない音を立てて自己主張を始めた。
考えてみれば、朝八時に交番で納豆定食を食べ、リーザに支給品のカツ丼を食わせ、悪徳スカウトマンをM870でドナドナし、さらにキャルルの重すぎる愛と吐血治療を受け止めていたのだ。時計の針はすでに正午を回っている。
「……腹が減ったな。交番に戻ってカップ麺でも啜るか」
「いけませんわ、リオン様!」
ソファからむくっと起き上がったキャルルが、プラチナブロンドの長い兎耳をピンと立てて俺の手首をぎゅっと握りしめてきた。
相変わらずの至近距離である。ルビーの瞳が熱っぽく潤んでおり、俺の心音に聴き惚れるようにうっとりと微笑んでいる。
「リオン様はリーザちゃんの恩人であり、私の『運命の人』です……♡ そんな尊いお方に、お昼に侘しいインスタント麺など食べさせられませんわ! 我がシェアハウスの全財産……いえ、私の今週のパフェ代を投じてでも、最高のおもてなしをさせていただきます!」
「いやパフェ代を削るな。命より大事にしてるんだろそれ」
「ご安心くださいまし、リオン様! キャルルさんの懐が寒くとも、私たちには帝都が誇る庶民の聖域——二十四時間営業ファミリーレストラン『ルナキン』がありますの!」
芋ジャージの袖を捲り上げ、鼻息も荒く叫ぶ人魚姫リーザ。
ルナキン。
百年前、伝説の転生者・佐藤太郎がこのアナスタシア世界に持ち込んだ、かの有名なファミレスチェーンである。安価でボリューミーなハンバーグやドリアが食べられ、何より数百円で清涼飲料水やハーブティーが飲み放題になる『魔導ドリンクバー』が存在する、帝都民の憩いの場だ。
「それに……ちょうどルナさんも、お部屋から出てこられたようですし!」
リーザが廊下の奥を指差した。
ふわり、と奥の寝室から漂ってきたのは、まるで原生林の奥深くで咲き誇る白百合のような、清廉で神聖な芳香だった。
姿を現したのは、絵画から抜け出してきたかのような絶世のエルフ美少女だった。
床に届かんばかりの透き通るような白銀の長髪、風に揺れる優美な尖り耳、そして世界樹の若葉を思わせるエメラルドグリーンの澄んだ瞳。着ているのは最高級のシルクで仕立てられたエルフ伝統の純白ローブで、佇まいだけでその場が聖域化しそうな気品を放っている。
「あらあら、リビングがとても騒がしいと思ったら……珍しいお客様ですね。初めまして、人間の騎士様?」
鈴を転がすような美声で、優雅にカーテシーを決めるエルフ。
「あ、どうも。交番勤務の巡査長、リオン・フォン・アルディスです」
「エルフ族の聖地より参りました、ルナと申します。一応……次期エルフ女王候補、ということになっておりますよ♡」
「女王候補!? 王族がなんでこの4LDKに密集してんだよ!?」
獣人王国の元姫君キャルルに、海洋国家の人魚姫リーザ、そしてエルフの女王候補ルナ。
このシェアハウス、国家首脳会談でも開く気なのか?
「ふふ、森の掟が退屈でしたので、知見を広げるために帝都へ留学してまいりましたの。リオン様、お腹が空いていらっしゃるのですね? それでは皆様で、その『ルナキン』へ参りましょうか♡」
微笑むルナの背後には、まるで後光が差しているかのようだった。
……今のところ、このエルフが一番まともそうに見える。
俺は心の中でそっと安堵のため息をついたのだが——その認識が致命的な誤りであったことを、わずか三十分後に思い知ることになるのだった。
帝都大通り沿いに建つ、黄色い看板が目印のファミレス『ルナキン』帝都中央店。
自動ドアをくぐると、カランコロンと涼やかな魔導ベルの音が鳴り、香ばしいデミグラスソースと焼き立てピザの暴力的な匂いが鼻腔を直撃した。
ボックス席に案内された俺たち五人……いや、四人席のテーブルに、俺、キャルル、リーザ、ルナの四人が向かい合って座る。
「リオン様、お冷とおしぼりですわ♡ あと、ドリンクバーのボタンは私が押してまいりますね!」
「あ、ああ、ありがとうキャルルさん」
甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるキャルルの横で、リーザはメニュー表の端から端まで血走った目で凝視していた。
「うぐぐ……! 『粗挽き魔導ハンバーグステーキ・目玉焼き乗せ』、金貨一枚(千円)……! 『濃厚チーズミラノ風ドリア』、銀貨三枚(三百円)……! 食べたい、全部食べたいですわ……! でも私の現在の全財産は、ポケットに入っている五円玉三枚のみ……ッ!」
「十五円でファミレス入ってくるなよ。ほら、今日は俺のおごりだから、ドリアでもハンバーグでも好きなの頼め」
「神様ーーッ!! リオン様は私の生涯のスポンサー神ですわーーッ!!」
感涙にむせぶリーザを横目に、ルナは優雅に足を組み、ストローで緑色の特製メロンスムージーをちびちびと吸い上げていた。
その神々しい横顔を見ながら、俺は何気なく尋ねた。
「そういえばルナさんは、家賃とか生活費はどうしてるんですか? エルフの国からの仕送りとか?」
「ええ、毎月世界樹の長老会から、純金百キログラムほどが魔導コンテナで転送されてまいりますよ♡」
「ぶふっ!?」
俺は吹き出しそうになった。
純金百キロ。
前世の相場で換算しても、軽く十億円近い資産が毎月このエルフの手元に届いている計算になる。
「じゅ、純金百キロ……!? じゃあ、家賃金貨三枚なんて端金どころか鼻紙以下じゃないですか!?」
「ええ。ですが金貨に両替するのが面倒で、すべて自室のベッドの下に敷き詰めてマットレスの土台にしております♡ 硬くて腰にとても良いのですよ」
「十億円の金の延べ棒をベッドのスプリング代わりにするな!!」
隣でリーザが「ぐぬぬぬぬ……!」と血涙を流しながらハンカチを噛み締めている。
年収数千円の極貧人魚と、月収十億の貴族エルフ。
このシェアハウスの格差社会はどうなっているのか。
「ルナさん、ずるいですわ! そんなに大金持ちなら、私の今月の家賃も立て替えてくださればよろしいのに!」
「あらあら、リーザちゃん。安易な施しは人の自立心を奪うと世界樹の教えにもございますよ? お金に困っていらっしゃるのなら——」
ルナは圣母のように慈愛に満ちた笑みを浮かべ、透き通るような白銀の指先をそっとリーザの脇腹へと伸ばした。
「——腎臓を二つとも売り払いましょう? 摘出した直後に私の最上級回復魔法『生命の萌芽』で再生させれば、無限に新鮮な内臓を出荷して大富豪になれますわ♡」
「ヒエッッ!?」
リーザが悲鳴を上げて飛び退いた。
俺は即座に腰の警棒をガタッと鳴らし、ルナの額にツッコミ気味に突きつけた。
「笑顔でコンプラ違反の臓器売買永久機関を提案するなァッ!!」
「あら、ダメですか? 痛覚遮断の魔術もセットでお掛けしますのに♡」
「ダメに決まってるだろ! 臓器売買は帝都刑法および大宇宙管理局の倫理条項で重罪だ! お前、見た目は清楚系エルフなのに発想がどす黒いサイコパスだな!?」
「ふふ、よく言われます♡」
ウフフと微笑むルナ。
ダメだ、こいつの常識のネジは世界樹の根元に埋没している。
やがて、テーブルに注文した料理が運ばれてきた。
ジュージューと音を立てる鉄板の上で、分厚い合挽き肉のハンバーグが溢れんばかりの肉汁を噴き出している。特製の濃厚デミグラスソースが焦げる香ばしい匂い、とろりと溶けた半熟の目玉焼き。そしてリーザの前には、香ばしい焼き目のついたホワイトソースとミートソースがグツグツと泡立つミラノ風ドリア大盛り。
「わ、わぁぁぁ……! チーズが……チーズが糸を引いていますわぁぁぁ!!」
リーザはスプーンを握りしめ、ハフハフと息を吹きかけながらドリアを口に放り込んだ。
「熱っ! でも美味しいっ! クリーミーなホワイトソースにお米が絡んで……カツ丼とはまた違う、洋風の天国が広がっていますわーーッ!!」
ガツガツと猛スピードで平らげていくリーザ。
俺もナイフでハンバーグを切り分け、口に運ぶ。
肉厚なパティからじゅわっと広がる牛と豚の旨味、甘辛いソースのコク、そして黄身のまろやかさ。ほかほかの白米が進む、完璧な庶民の味だ。
「うん、やっぱりルナキンのハンバーグは外さないな」
「はいっ、リオン様! ドリンクバーから人参とリンゴのミックスジュースをお持ちしましたわ♡」
キャルルが満面の笑みでグラスを差し出してくる。
一口飲むと、人参の自然な甘みが爽やかに喉を潤してくれた。
カオスな会話はあったものの、食事自体は至って平和で幸福な時間だった——そう、最後のお会計を迎えるまでは。
「ごちそうさまでした! お会計は四名様で、銀貨十八枚(千八百円)になります」
レジカウンターで、若いエプロン姿の店員が伝票を差し出してきた。
俺が財布から硬貨を出そうとした、その時だった。
「お待ちなさい、リオン様。ここは私がスマートにお支払いいたしますわ♡」
ルナがすっと前に進み出た。
彼女は純白のローブの袖から、眩いばかりの黄金色に輝く、分厚い大金貨を一枚取り出したのだ。
「これで足りるかしら? お釣りはチップとして受け取ってくださいな♡」
「ひょええっ!? て、帝国特製大金貨……!? 金貨百枚分(百万円)の価値があるやつじゃないですか! い、今お釣りを確認します!」
目を丸くして慌てる店員。
だが——その大金貨がレジのカウンターに置かれた瞬間、俺の『犬のお巡りさん』の嗅覚と、キャルルの兎耳が同時にピクッと跳ね上がった。
(……待て。この金貨……金属の匂いがしないぞ……!?)
嗅覚レーダーが弾き出した情報——それは『道端に転がっている河原の小石』の匂いと、エルフ特有の『一時的物質変化魔法』のマナ残滓だった。
そしてキャルルが、青ざめた顔でルナの心音を聴き取る。
「ルナさん……? 貴女、心臓が『三日後に石に戻るから早く店を出ましょう♡』って、猛烈に邪悪なスキップを刻んでいますわよね……!?」
「あら、バレちゃいました?♡ 私の得意魔法『擬似金塊変化術』ですの。三日後にはただの石ころに戻ってしまいますけれど、今この瞬間は完璧な大金貨に見えますでしょう?♡」
ルナは人差し指を頬に当て、テヘッと可愛らしくウインクしてみせた。
「偽造通貨行使罪の現行犯じゃねえかァァァッッ!!」
バチィィィンッッ!!
俺の警棒と、キャルルの手刀による超音速のツッコミ峰打ちが、ルナの脳天に寸分の狂いもなく同時着弾した!
「ふぎゃっ!?♡」
綺麗な白目を剥いて前のめりに崩れ落ちる次期エルフ女王候補。
俺は転がる偽金貨を即座に回収して懐へねじ込み、自分の財布から正規の銀貨十八枚をレジスターの上へ叩きつけた。
「すいません店員さん! 今のは悪質なドッキリマジックです! 正規料金ピッタリ置いていくんでお釣りはいりません!!」
「ひ、ヒィィッ! あ、ありがとうございましたぁぁっ!」
泡を吹いて気絶したルナを俺が左肩に担ぎ、キャルルが右脇を固め、リーザが「デザートの無料クーポン券」をレジ横からちゃっかり鷲掴みにして、俺たちは逃げるようにルナキンを後にしたのだった。
ファミレスを出て、帝都の風に吹かれながら俺は深々と天を仰いだ。
肩の上では、たんこぶを作ったルナが「うふふ……痛いですわ……♡」と呑気に寝言を呟いている。
「……おいキャルル」
「な、なんでしょうかリオン様……?」
「あのシェアハウス、まともな住人は一人もいないのか?」
「うっ……そ、そんなことはありませんわ! あと一人、今はお部屋でお仕事中のキュララちゃんは、天界から来た大人気のインフルエンサーで、とっても現代的でスマートな常識人ですから……!」
必死にフォローするキャルルだったが、その耳は不安そうにへにょりと垂れ下がっていた。
月給二億円のゴッドチューバー天使・キュララ。
嫌な予感しかしないその最後の同居人と対面する時が、刻一刻と近づいていた。
読んでいただきありがとうございます。
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