EP 2
交番前の反復横跳び少女! 地下アイドル人魚姫リーザへの職務質問
「はっ! ほっ! はっ! ほっ! ……ぐぅぅ、お腹減った……! でも、捕まらなきゃ……! 交番に捕まるような不審な動きをして、現行犯逮捕されて、取調室のカツ丼を食べなきゃ……ッ!」
シャカシャカシャカシャカッ!
交番のガラス扉の向こう、白線の上で目にも留まらぬ高速ステップを踏み続ける謎の芋ジャージ少女。
鮮やかなアクアブルーの長髪が反復横跳びの風圧で激しく左右になびき、すれ違う帝都の通行人たちが「うわ、関わらんとこ……」と露骨に距離を取って足早に去っていく。
「…………」
俺——アルディス外れ交番の巡査長、リオン・フォン・アルディスは、事務机の上で深く頭を抱えた。
朝の八時である。
母マリアが作ってくれた美味い納豆定食を食べ終え、給湯室の緑茶で一息ついて、平和な一日を願った直後のこれだ。
「……はぁ。見なかったことにしたいが、管轄内の道路交通法違反、あるいは不審者事案ど真ん中だからなぁ」
腰のホルスターに収まったニューナンブ魔導拳銃の位置を確かめ、制服のシワを伸ばす。
俺は立ち上がると、ガラガラと交番の正面扉を開けて外に出た。
「シャッ! シャッ! はっ! ほっ! ……ふ、フフフ……どうです! この明らかに公道で奇行を繰り返す、怪しさ満点の挙動不審者! これなら警察も見過ごせないはず——!」
「もしもし。お巡りさんですよ」
「ひゃんっ!?」
背後から声をかけると、少女は跳び上がってその場に硬直した。
恐る恐る振り返った彼女と、至近距離で視線が交差する。
顔立ちは驚くほど整っていた。大きな翠色の瞳に、陶器のように白い肌。濡れたようなアクアブルーの髪は、どう見ても高貴な血筋を思わせる美少女のそれだ。
——だが、着ているのは毛玉だらけの臙脂色の芋ジャージ。
そして膝のあたりには、公園の芝生と泥の汚れがびっしりとこびりついている。
ピクッ、と俺のユニークスキル『犬のお巡りさん』の嗅覚レーダーが反応した。
鼻孔をくすぐる匂い情報は——。
・極限の低血糖(胃袋が完全に空っぽ)
・公園の噴水とベンチの匂い(昨晩の野宿確定)
・鳩の糞とパンの耳の匂い(数時間前に公園で激しい争奪戦を繰り広げた形跡)
・野良犬の威嚇臭(縄張り争いに巻き込まれた形跡)
……悲惨すぎるだろ、この子。
「あのー……君、朝っぱらから交番の前で何をしてるのかな?」
「な、ななな、何も怪しいことなんてしてませんよ!? ただの、そう! 帝都の風を感じながら行う、最新のエクササイズですわ!!」
犬の聴覚が、彼女の心音を捉える。
トックン、トックン、と嘘をついた瞬間にわかりやすく跳ね上がった。
「嘘だね。さっき『現行犯逮捕されて取調室のカツ丼を食べなきゃ』って、声に出して思いっきり叫んでたぞ」
「ギクッッ!?」
少女は白目を剥き、がくがくと膝を震わせた。
「ば、バレて……!? し、しかし! 公道で反復横跳びをするのは立派な通行妨害! 治安を乱す重犯罪ですわ! さあ、さっさと私をその薄暗い取調室にぶち込んで、あの甘辛いタレと半熟卵が絡み合った黄金のカツ丼を机の上にドンと出すのです!!」
「どんな刑事ドラマのテンプレだよ。ここは日本の昭和の警察署じゃないんだ。あと反復横跳びくらいじゃ逮捕令状は出ない」
俺がやれやれと首を横に振ると、少女の顔からスッと血の気が引いていった。
「そ、そんな……。反復横跳びじゃ……カツ丼は出ない……? じゃあ私は……朝の貴重なカロリーを無駄に消費しただけで……うっ……うぅ……」
ぐうぅぅぅぅぅぅぅぅ〜〜〜〜〜〜ッ!!
閑静な朝の街道に、雷鳴のような腹の虫が鳴り響いた。
少女は両手でお腹を押さえ、その場に力尽きたようにへたり込んでしまった。
瞳には大粒の涙が浮かんでいる。
「……はぁ。倒れられたらこっちの始末書が増える。とりあえず中に入りな。保護扱いで話を聞くから」
「ほ、保護……? それって、ご飯は……?」
「カツ丼はないが、交番の福利厚生支給品ならある」
その瞬間、少女の瞳にバッと光が宿った。
立ち上がる速度は、先ほどの反復横跳びを遥かに凌駕していた。
「行きますわ!!」
交番の奥にある取調室。
灰色の机を挟んでパイプ椅子に座った少女の前に、俺は湯気を立てるどんぶりを置いた。
「はい、お待ち遠さま。大宇宙管理局・交番支給品、魔導加熱式カツ丼大盛りだ」
実は交番の備蓄庫(PX機能)には、前世の警察署の売店さながらのインスタント食品やレトルトパックが魔導技術で常備されている。
紐を引っ張ると瞬時にアツアツに温まる、帝都警察仕様の『魔導カツ丼』だ。
蓋を開けた瞬間、甘辛い割り下と出汁の香ばしい匂い、そして三つ葉の爽やかな香りが六畳間の取調室いっぱいに広がった。肉厚の豚ロースカツは黄金色に揚がり、絶妙な半熟加減の卵でとじられている。
「あ、あああ……っ! 本物の、カツ丼……! 幻覚じゃない、実体のある炭水化物と脂質とタンパク質……っ!」
少女の手が小刻みに震えている。
「冷めないうちに食え。お茶もあるぞ」
「い、いただきますっっ!!」
割り箸をパチンと割り、少女は猛然とカツ丼にかぶりついた。
ガツッ、ガツガツガツッ!
「んぐっ! んん〜〜〜〜〜っっっ!! お、美味しい……っ! サクサクの衣に染みた出汁がじゅわっと広がって、お肉が柔らかくて……ご飯が、ご飯が無限に進みますわぁぁぁ!!」
リスのように両頬をパンパンに膨らませ、喉を詰まらせそうになりながら米をかきこむ少女。
給湯室から持ってきた冷たい麦茶を差し出すと、彼女は一気に飲み干し、再びどんぶりへと突撃した。
わずか三分。
米粒ひとつ残さず綺麗に平らげられたどんぶりを前に、少女は「ふはぁ……」とパイプ椅子に深くもたれかかり、昇天したような恍惚の笑みを浮かべていた。
「ごちそうさまでした……。神様、仏様、お巡り様……。これで私は、あと三日は生き延びられます……」
「三日と言わずもっとまともに生きろ。……さて、お腹も膨れたところで、簡単な身元確認(職務質問)をさせてもらおうか」
俺はスチール机の上に捜査手帳とボールペンを置いた。
「お名前は?」
「……リーザと申します」
「リーザさんね。年齢は?」
「十六歳ですわ」
「職業は?」
俺の問いに、リーザはすっと背筋を伸ばした。
ジャージの胸元を右手で押さえ、どこか誇らしげに胸を張る。
「帝都を中心に活動しております、フリーランスのマルチエンターテイナー——要するに、売れない地下アイドルですわ!」
「堂々と『売れない』って言うなよ。で、年収は?」
「年間で、だいたい銅貨五十枚……日本円換算で数千円といったところでしょうか!」
「数千円!? 年収が!? 月収じゃなくて!?」
俺は思わず立ち上がりそうになった。
手取り十六万で「やってられねえ」と愚痴っていた自分が恥ずかしくなるレベルの極貧である。
「ええ。路上ライブの投げ銭も、帝都のハトに横取りされる始末でして……。普段は公園の噴水で水を飲み、生えている食べられる雑草と、タローソンの裏で貰ったパンの耳で飢えを凌いでおります」
「さっき嗅覚で拾った匂い、全部ビンゴだったよ……。待て、さっき犬の匂いもしたが、野良犬に襲われたのか?」
「ふふん、侮らないでいただきたいですわね。今朝も帝都東公園のベンチ下にあった『コッペパンの端っこ』を巡り、狂暴な野良犬ドーベルマンと命がけの死闘を演じましたの」
リーザは得意げにポケットから何かを取り出した。
彼女の指先に挟まれていたのは——真ん中に穴の空いた、一枚の五円玉だった。
「私はシーラン国の血を引く者。水と呼吸を操る術に長けておりますの。こうして鼻の穴に五円玉をきっちりと装填し……腹筋に力を込め、フンッ! と息を噴射することで、音速のコイン弾幕を放てるのですわ!」
「待て待て待て! 鼻に五円玉詰めるな! アイドルが何やってんだ!?」
「実際にそのドーベルマンの鼻っ面に五円玉が直撃し、キャンキャン鳴いて逃げていきましたわ! おかげでパンの耳は私の胃袋へ収まりました!」
カツ丼の出汁の余韻を台無しにする強烈な下町サバイバル談義。
ツッコミが追いつかない。
だが、俺はある単語を聞き逃さなかった。
「……おい、リーザ。今『シーラン国の血を引く』って言ったか?」
「ええ。言ってしまえば、私は南方の海洋国家シーラン国の親善大使……まあ、平たく言えば本物の『人魚姫』ですわ」
「姫!? 一国の王族がなんで帝都の公園で鳩とパンの耳奪い合ってんだよ!?」
まさかの身元発覚である。
国家間の重大インシデントになりかねない要人が、ジャージ姿で交番のカツ丼を食い散らかしているのだ。
「国の退屈な儀礼と政略結婚から逃げ出してきまして……『自分の歌で世界を笑顔にしたい!』と帝都に飛び出したまでは良かったのですが……現実は非情でしたわ。世間は冷たく、家賃は重く、事務所のスカウトはお金ばかり要求してきまして……」
リーザはしょんぼりと肩を落とす。
「家賃って……路上生活じゃないのか?」
「いえ、一応……同じ境遇の訳ありな友人たちと、四人で4LDKのマンションをルームシェアしておりますの。一人あたりの家賃は金貨三枚。ですが、今月の私の支払いは完全にゼロ……。今日中に家賃を納めなければ、同居人のキャルルさんに笑顔で骨を折られるところでしたのよ……」
「同居人、どんなヤバい奴なんだよ」
頭痛がしてきた。
手帳にペンを走らせながら、俺は深々とため息をつく。
「……とりあえず、君がただの空腹で行き倒れかけた迷惑な不審者(兼お姫様)だということは理解した。カツ丼代は俺のポケットマネーから出しておくから、もう二度と交番の前で反復横跳びなんてするなよ」
「あ、ありがとうございます……! お巡りさん、お名前は?」
「リオンだ。リオン・フォン・アルディス巡査長」
「リオン様……! この恩は決して忘れませんわ! お礼と言ってはなんですが、私の持ち歌で最も人気の高い一曲をお聴かせいたします!」
言うが早いか、リーザはパイプ椅子から飛び起き、取調室の中央でポーズを決めた。
そして——鼻の穴に再び五円玉をセットし、ペチペチと自分のお腹を叩き始めたのだ。
「聴いてください! リーザで、『ハゲたぬきのポンポコ節』!!」
「いや歌うな! やめろ! 取調室で腹太鼓鳴らしながら鼻に五円玉詰めて歌うなァッ!!」
ポンポコポンポコ! と響き渡る謎のリズムと、無駄に突き抜けるような美声。
俺の必死の制止も虚しく、朝の交番はカオスなリサイタル会場と化していた。
しかし、俺たちはまだ知らなかった。
この売れない地下アイドル人魚姫との出会いが、帝都の暗部を揺るがす悪徳スカウトマンの罠、そして大陸一危険な村への赴任へと繋がっていくことを——。
読んでいただきありがとうございます。
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