第一章 帝都追放と4人の問題児ヒロイン集結〜ポポロ村駐在所赴任編
ハズレスキル『犬のお巡りさん』と、交番育ちの巡査長
白い湯気が立ちのぼる給湯室で、俺——リオン・フォン・アルディスは急須から湯呑みへと緑茶を静かに注ぎ落とした。
カチ、と小気味よい音を立ててガスコンロの火を止める。
急須を揺すり、最後の一滴まで絞り切った深緑の液体を口に含むと、渋みとほのかな甘みが荒んだ胃袋にじんわりと染み渡っていく。
「ふう……。やっぱり、朝は茶に限るな」
独りごちて息を吐いた場所は、豪奢な貴族屋敷のサロンでも、薄暗い石造りの詰所でもない。
壁にはホワイトボードと管内地図が掲げられ、スチール製の事務机の上には魔導電源で駆動する薄型ノート型端末が青白い光を灯している。奥には鉄格子の嵌まった留置房、そして右手には灰色のパイプ椅子が二脚置かれた取調室。
ここはルナミス帝国の帝都外れ、場末の街道沿いにひっそりと佇む『アルディス外れ交番』。
そして俺は、この交番を預かる唯一の正規職員——階級・巡査長である。
「……さて。今月の給与明細でも確認しておくか」
スチール机に腰を下ろし、端末の画面をタップする。
画面に映し出された電子明細票の数字を見て、俺は思わず深い溜め息を零した。
『支給額:二〇〇、〇〇〇円』
『控除額(交番施設維持費・魔導通信料):四〇、〇〇〇円』
『差引支給額(手取り):一六〇、〇〇〇円』
「手取り十六万……。笑えない。前世の家電量販店で死に物狂いでノルマ追ってた社畜時代と、額面がほとんど変わってないじゃないか……」
そう、俺には前世の記憶がある。
地球の日本という国で、中堅経済学部を卒業したのち、ブラック家電販売店で年中無休のサビ残とクレーム処理に追われ、二十五歳の冬に過労でぽっくり逝った高杉隼斗という男の記憶だ。
神の気まぐれか手違いか、転生した先はこの『アナスタシア大陸』。
しかも、ルナミス帝国でも名門とされるアルディス伯爵家の三男という、絵に描いたような上級貴族のポジションだった。
だが、世の中そう甘くはない。
百年前、伝説の転生者・佐藤太郎が持ち込んだユニークスキル『100円ショップの概念』と近代知識によって、この帝国にはファミレスもコンビニもホームセンターも魔導銃も存在する。そんな近代魔導社会において、十歳の成人前儀式で俺が神託から授かったユニークスキルは——『犬のお巡りさん』だった。
『なんじゃそのふざけたふざけた名称は! 犬だと!? お巡りさんだと!?』
『我がアルディス伯爵家は代々、軍部を支える名門の剣術・炎魔法の家系ぞ! そのような正体不明のゴミスキルを引くなど、家の恥晒しめが!』
父であるグレゴール伯爵は激怒し、紫色の顔をして俺を罵倒した。
そして、平民出身の側室だった俺の母・マリアごと、敷地の片隅にあった掘っ立て小屋も同然の荒れ地へと叩き出したのだ。実質的な追放処刑だった。
だが、グレゴール伯爵は何も知らなかったのだ。
『犬のお巡りさん』というスキルが、ただの犬耳が生えるような愛玩スキルではないということを。
追放された荒れ地にぽつんと取り残された十歳の俺の前に、突如として空間が歪み、プレハブ構造の近代的な『交番』屋舎がどんと鎮座した時の衝撃は今でも忘れられない。
さらに最悪(あるいは最高)だったのは、その直後の出来事だ。
天界の最高神の一角であり、地球からの転生者に適当なスキルを配っては仕事をサボるダメ女神ルチアナが、自分の適当な采配で俺が追放されたことに後ろめたさを覚えたらしい。
結果、天界から送り込まれてきたのが——神時空監査部局長にして天使族族長、天使長ヴァルキュリアその人だった。
『リオン、貴方を立派な大宇宙管理局の執行官に育て上げるまで、私の指導に妥協はありません!』
規律と法を愛しすぎる真面目系美少女天使による、十年に及ぶ地獄のスパルタ家庭教師生活。
泣き叫びながらグラニの電撃を浴びせられ、近接格闘術で骨を折られ、的確に急所を撃ち抜く銃撃の反復練習を何万回と叩き込まれた。
結果として、俺のステータスは『剣術B・体術S・銃S・闘気B・魔法A・悪知恵S・勇気S』という、一見するとどこぞの特殊部隊長のような化物スペックに仕上がってしまったのである。
「……おかげで、グレゴール親父の私兵程度なら素手で全員沈められるようになっちゃったけどさ。俺、根本は争い事が嫌いな小市民なんだけどなぁ」
カチャリ、と音を立てて机の引き出しを開ける。
そこに入っているのは、艶消しの黒い革で作られた警察手帳。
開くと、金文字で燦然と輝く所属組織名が刻まれている。
『大宇宙管理局・カスハラ部・執行部巡査長 リオン・フォン・アルディス』
この手帳こそが、俺のスキルの本質だ。
理不尽なチート能力を振り回して世界を乱すイキり転生者や不法滞在者に対し、大宇宙の最高法規の名のもとに『能力の強制一時凍結』を宣告できる、絶対的な行政執行権限。
そして犬の嗅覚・聴覚による絶対的な嘘の看破能力。
ガラガラ、と交番の裏口の引き戸が開く音がした。
「リオン、おはよう。今日も朝早くから真面目ねぇ」
入ってきたのは、エプロン姿の美しい女性——母のマリアだ。
三十歳を過ぎているが、平民らしい飾り気配のない笑顔と柔らかな雰囲気を漂わせている。伯爵家を追い出された当初はどうなることかと思ったが、今は帝都の大手ホームセンター『タローマン』の資材コーナーで元気にパート勤務をしており、家計を大いに支えてくれていた。
「おはよう、母さん。今日もタローマン?」
「ええ。今日は木材と魔導工具の特売日だから、開店から忙しくなりそうなの。ほら、朝ごはん持ってきたわよ。交番の支給品もいいけど、ちゃんと米も食べなきゃダメでしょ」
母さんが机の上に広げてくれたのは、炊きたての白いご飯に、ネギがたっぷり入った味噌汁、そしてタローソンで仕入れてきた極小粒の納豆パックだった。
箸で手早く納豆をかき混ぜる。
ツンと香る醤油とからしの匂い、粘り気のある豆を熱々のご飯の上に乗せ、一気にかきこむ。
「……うまい。やっぱり朝は納豆定食に限るよ」
「ふふ、安上がりな子ねぇ。……グレゴール様たちは、まだ何か言ってきてるの?」
「いや。こっちを完全に『無能の落ちこぼれ』として無視してくれてるから、今のところは平穏そのものだよ。手取りは十六万だけど、交番のWi-Fiは爆速だし、エアコンの魔導具も効いてるし、給湯室でお茶も飲める。俺はこの地味な生活が一番性に合ってるんだ」
本心だった。
前世で理不尽な数字に追われ、身体を壊して死んだ身としては、定時で起きて、管内のパトロールをして、たまに迷子の子供を親元に送り届けるだけの毎日がどれほど尊いか身にしみてわかる。
「それならいいんだけど。無理だけはしないでね」
母さんは優しく笑うと、タローマンの緑のエプロンを整えて「行ってきます」と手を振って出て行った。
朝食を平らげ、食器を給湯室で手早く洗う。
制服の襟を正し、腰のホルスターに愛用の『ニューナンブ魔導回転式拳銃』を収め、手錠と警棒の金具を確かめる。
そして壁のガンラックに収められた、俺の最大火力を誇る主武装——『魔改造レミントンM870』のレシーバーを軽く撫でた。
通常の散弾だけでなく、炎・氷・雷・催涙・麻酔といった多彩な属性魔導弾を撃ち分けられる、ヴァルキュリア謹製の対暴徒用ショットガンだ。
「よし、本日の業務開始だ」
交番の正面ガラス扉の鍵を開け、朝の冷涼な帝都の空気を胸いっぱいに吸い込む。
今日も何事もなく、平和な一日であってほしい——。
そう願いながらパイプ椅子に腰を下ろそうとした、その時だった。
ピクッ、と俺の『犬のお巡りさん』のスキルが耳を跳ね上げた。
シャッ、シャッ、シャッ、シャッ……!
交番の前の舗装道路から、規則的かつ異常に俊敏な風切り音が聞こえてくる。
窓から視線を外へとやると——そこには、目を疑うような光景が広がっていた。
ヨレヨレの臙脂色の芋ジャージを着た、年の頃なら十六歳前後の華奢な少女。
腰まで届く鮮やかなアクアブルーの美しい髪を振り乱しながら、彼女は交番の正面ガラスの真ん前、道路の白線の上で——猛烈な勢いで反復横跳びを繰り返していた。
「はっ! ほっ! はっ! ほっ! ……ぐぅぅ、お腹減った……! でも、捕まらなきゃ……! 交番に捕まるような不審な動きをして、現行犯逮捕されて、取調室のカツ丼を食べなきゃ……ッ!」
シャカシャカシャカシャカッ! と驚異的なステップで左右に跳び続ける少女。
その目には、獲物を狙う野獣のような飢餓感と、狂気じみた決意が宿っている。
しかも、俺の鋭敏な犬の嗅覚が、彼女の全身から漂う「極限の空腹」と「公園の池の匂い」、そしてなぜか「鳩の糞と野良犬の威嚇臭」を克明に捉えていた。
「…………」
俺は深く、本当に深く息を吸い込み、頭を抱えた。
「……おいおい。朝八時から、とんでもない案件が飛び込んできたぞ……」
平和を愛する小市民警官リオン・フォン・アルディスの、波乱と受難に満ちた異世界交番生活が、今まさに幕を開けようとしていた。
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