EP 11
前村長ロップの高飛びラビリンス! 消えた数千万円と新村長キャルル
カラリと晴れ渡った翌朝のアルディス外れ交番。
換気扇が静かな回転音を立てる給湯室で、俺——リオン・フォン・アルディス巡査長は、ガスコンロの火にかけた小鍋を見つめていた。
鍋の中では、煮干しと昆布から引いた琥珀色の上品な出汁がふつふつと波打ち、小さく賽の目に切った豆腐と、今朝タローソンで仕入れてきたばかりの艶やかな長ネギが踊っている。火を止め、味噌漉しで赤味噌を丁寧に溶き入れると、フワリと鼻腔をくすぐる懐かしい発酵の芳香。
スチール机の盆の上に整えられた本日の朝食ラインナップは、完璧の一言に尽きた。
湯気を立ち上らせる純白の炊きたて銀シャリ。
三つ葉をあしらった熱々の豆腐とネギの味噌汁。
タローマンの資材館で母マリアが持たせてくれた、脂の乗った塩鮭の切り身を香ばしく焼き上げたもの。
そして、白磁の小鉢の中でこれでもかと激しくかき混ぜられ、白くきめ細やかな粘り泡を纏った極小粒の納豆——練り辛子と特製出汁醤油を垂らし、小口切りの青ネギを散らした至高の一品だ。
「……よし。やっぱり一日の始まりは、手抜きのない朝和食に限る」
熱いご飯の上に、トロリと艶やかな納豆を一気に流し込む。
箸で白米ごとガバッと持ち上げ、口いっぱいに頬張った。
噛みしめた瞬間に弾ける大豆の芳醇な旨味、醤油のコク、鼻へと抜けるツンとした辛子の刺激、そして粒立ちの良い米の甘み。すかさず、こんがりと皮目が焼けた塩鮭の身を箸で崩して口へ放り込む。パリッとした皮の香ばしさと、ホロリとほどける身から溢れる凝縮された塩気と脂。そこへ熱い味噌汁をズズッと流し込めば、出汁の奥深い滋味が胃袋全体に染み渡っていく。
「んぐっ……ふぅ。五臓六腑に染み渡るとはまさにこのことだな」
至福の溜息を漏らす俺の正面で、ゴクリ、と喉を鳴らす凄まじい嚥下音が響いた。
目をやると、パイプ椅子に座った臙脂色の芋ジャージ少女——自称・地下アイドル人魚姫のリーザが、両手に握りしめた割り箸を小刻みに震わせながら、血走った目で俺の納豆ご飯を見つめていた。
「り、リオン様……! その……粘り気のある茶色い粒々と、黄金色に輝く魚の切り身……! なんという暴力的なまでの朝のカロリー芳香ですの……! 昨晩、あんなにカツ丼を貪り食ったはずなのに、私の胃袋が『炭水化物を寄越せ』と大暴動を起こしておりますわ……っ!」
「昨晩カツ丼を食い散らかしたのはキュララのヤラセ配信の裏方だろ。……ほら、お前の分もあるから落ち着け。お茶碗持ってこい」
「神様、仏様、お巡り様ァァァッ!!」
リーザは歓喜の悲鳴を上げ、差し出された山盛りご飯と納豆の小鉢に猛然と突撃した。
ガツガツッ、ズズズッ! と驚異的なスピードでかきこみ、わずか十秒で最初の一杯を飲み干してしまう。
「んん〜〜〜っっ! 納豆の粘りが喉を滑り落ちていく快感……! 塩鮭の塩気だけで白米三杯は軽く消し飛びますわぁぁぁ!!」
「噛め。少しは人間らしく味わって噛め」
やれやれと首を横に振る俺の横で、人参柄のエプロンをつけたキャルルが、甲斐甲斐しく急須から熱い緑茶を注いでくれた。
足元からは、カチリと鋼鉄の先芯が入ったタローマン特注・重作業用安全靴の頼もしい金属音が響く。
「リオン様、熱いお茶ですわ♡ あと、お口直しに人参の甘煮も小鉢に添えておきましたので……!」
「あ、ありがとう、キャルルさん。いつも気の利いたサポート助かるよ」
「……っ! お、お役に立てて光栄ですわ……♡」
トクン……トクン……トクン……。
キャルルは長い兎耳をピクピクと細かく震わせ、至近距離から俺の心音に聴き惚れるようにうっとりと頬を染めた。
「あぁ……今朝のリオン様の鼓動も、澄み切った清流のように濁りがなくて、どこまでも誠実ですわ……♡ 嘘も打算もない、この清らかな心音を毎朝一番に聴ける私は、世界一の果報者です……!」
「毎朝心音を盗聴される側の身にもなってほしいんだがな」
「あらあら、ふふふ。朝からとても睦まじい光景ですこと♡」
来客用の革張りソファで優雅に足を組み、魔導トースターで焼いた厚切りトーストに世界樹の蜂蜜を垂らして齧っているのは、次期エルフ女王候補のルナだ。
純白のシルクローブの袖から細い指先を伸ばし、ティーカップを優雅に揺らしている。
「リオン様、もし塩鮭の骨が喉に刺さって呼吸困難になられましたら、いつでも仰ってくださいね♡ 喉仏のあたりをメスで一気に切開して気道を確保し、私の再生魔法で綺麗に縫合して差し上げますから♡」
「朝飯食ってる最中に外科手術の予約をねじ込むな! 普通に骨を取って食べるから大丈夫だ!」
「おはよーございま〜す! リスナーのみんな、おはキュラ〜☆」
頭上に浮かぶ光輪をチカチカと点滅させながら、天井付近をホバリングして入ってきたのは月給二億円の天使キュララ。
片手には魔導スマホ、もう片手にはルナイーツで注文したばかりの朝マックならぬ『タロー朝バーガー・メガソーセージエッグマフィンセット』をぶら下げている。
「朝の生配信【交番に住み着いた美少女天使の優雅な朝マック☆】同接五十万人いったよ〜! リオンっち、またスパチャで口座が潤っちゃった☆」
「お前のその桁違いの資本力を少しは世のために役立てろよ……」
朝から四者四様のカオスを撒き散らすシェアハウスカルテット。
昨日、天使長ヴァルキュリアから「ポポロ村駐在所への赴任」という特命辞令を叩きつけられたばかりだというのに、この連中のマイペースぶりを見ていると、重大な任務に向かう緊張感など綺麗サッパリ吹き飛んでしまう。
——だが、その平穏な朝食の時間を引き裂くように、交番の魔導ファックス兼通信端末が、けたたましいアラート音を鳴り響かせた。
ピピッ! ピピッ! ピピピピピピピピッ!
「ん? 本部からの緊急公報か?」
俺が湯呑みを置き、事務机の端末へと歩み寄ったその時、キュララが「あ、待って!」とスマホの画面を空中にホログラム投影した。
「帝都警察の公報より先に、ゴッドチューブの緊急ニュース速報が流れてきたんだけど! ……ちょ、何これウケる! 見出しがヤバすぎるんだけど!」
空中に展開された巨大なスクリーン。
そこには、ルナミス帝国・レオンハート獣人王国・アバロン魔皇国の三大国全域に向けて配信された、特大の赤文字ニューステロップが躍っていた。
『【超ド級の不祥事】三大国緩衝地帯・ポポロ村で前代未聞の横領事件発生!』
『前村長ロップ(70歳)、第42回親善ゲートボール大会で知り合った魔族の妖艶な未亡人と熱烈逃避行!』
『村の安全保障積立金・数千万円(強盗サブスク「暴行しない券」原資)を着服し、最高級魔導飛行船のファーストクラスで雲の上へ高飛び!』
『現地では武装山賊団との協定が決裂し、治安が急速に崩壊中! 現在、特A級国際指名手配!!』
「……は?」
俺は画面を二度見した。
画面には、丸眼鏡をかけた白髪の人の良さそうな爺さん——ロップ前村長(70歳)が、紫色の妖艶なドレスを着た角生え魔族美女の腰を抱き寄せ、魔導飛行船のスイートルームでシャンパングラスを掲げて「グフフ、自由最高〜!」と満面の笑みを浮かべている隠し撮り写真がデカデカと晒されていた。
「な、なんじゃこりゃあああああっ!?」
俺のツッコミが交番に木霊した。
「七十の爺さんがゲートボール大会で未亡人と恋に落ちて村の金数千万円横領してファーストクラスで高飛び!? 情報量が多すぎて胃もたれするわ! てか『強盗サブスク・暴行しない券』って何なんだよ! 山賊に上納金払って見逃してもらうシステムを村公認で積立してたんじゃねえよ!」
「……ロップ村長……あんなに優しくて、いつも『村の平和が一番じゃよ』って縁側でお茶を飲んでいたおじいちゃんでしたのに……」
キャルルが呆然と立ち尽くし、長い兎耳を力なく垂らした。
「知ってるのか、キャルルさん?」
「はい……。私、亡命して帝都に来る前から、ポポロ村には個人的な支援を続けておりましたの。ポポロ村は三大国の緩衝地帯にあり、どの国も税金を巻き上げるだけで治安を守ってくれません。だから村人たちは、近隣の武装山賊団に毎月お金を払って『今月は村を襲撃しない』という契約を結ぶことで、かろうじて平穏を買っていたのです……」
「それが『暴行しない券』の実態か……。治外法権の限界集落とはいえ、悲惨すぎるだろ」
「ええ。その数千万円もの防衛積立金を、全額あのエロ爺がファーストクラスのキャビアとドンペリに変えてしまったわけですわね♡」
ルナがエメラルドの瞳を妖しく細め、トーストを齧りながら冷ややかに微笑んだ。
「あらあら……なんて罪深いおじいさまなのでしょう♡ 捕まえたら、両手両足の腱を切り落として、飛行船の車輪にくくりつけて大気圏を一周させてあげたいですわね♡」
「笑顔で処刑宣告をするな!」
「でもこれ、村の人たちガチで大ピンチじゃん!」
キュララがスマホを操作しながら顔をしかめる。
「積立金が持ち逃げされたせいで、山賊団との契約が完全にブチ切れたっぽいよ。『金を払えねえなら村ごと略奪して焼き払うぞ!』って、重武装の山賊たちが村の入り口に集結し始めてるって特定班が騒いでる〜!」
「ぐぬぬ……! 数千万円もの大金を、たった一人の爺が独り占めして雲隠れだなんて……許せませんわ!」
リーザが納豆のついた箸を振り回して怒髪天を衝く。
「私なんて年収数千円! タローソンのパンの耳一枚を巡って鳩と血みどろの抗争を繰り広げているというのに! その数千万円、私のお賽銭箱型掃除機で全額吸引して、村人の胃袋にカツ丼として還元すべきでしたわァァッ!!」
「お前の怒りの基準は完全に食い物だな」
俺が突っ込んだ、その時だった。
バタンッ! と交番の正面扉が勢いよく開かれた。
息を切らしながら駆け込んできたのは、冒険者ギルド本部と帝国地域振興局の制服を着た、二名の特使だった。
「キャルル・ムーンハート様はいらっしゃいますかッ!?」
「は、はい! 私ですが……!」
「冒険者ギルド地域応援隊、ならびにポポロ村自治評議会からの緊急要請令状です!」
特使は恭しく膝をつき、金糸で縁取られた豪奢な親書をキャルルへと差し出した。
「前村長ロップの逃亡に伴い、ポポロ村の統治機構は完全に崩壊いたしました。つきましては、長年にわたり村へ多大な寄付と医療支援を行ってこられた元レオンハート王国第三王女・キャルル様に対し、村民一同の満場一致をもって——『第十四代・ポポロ村村長』への即時就任を要請いたします!」
「……っ!」
親書を受け取ったキャルルの手が、微かに震えた。
元王女としての気品と、虐げられた弱者を決して見捨てない高潔な魂が、そのルビーの瞳に宿る。
「分かりました……。私を頼りにしてくださる村民の皆様を、見捨てるわけにはまいりません。不肖キャルル・ムーンハート、ポポロ村村長の任、謹んでお引き受けいたします!」
「おお……! ありがとうございます、キャルル村長!」
特使たちが深々と頭を下げ、任務を果たして退出していく。
静まり返った交番の中、キャルルは親書を胸に抱きしめ、ゆっくりと振り返った。
その視線は——まっすぐに、俺を捉えていた。
「キャルル、さん……?」
タローマン特注の安全靴が、一歩、また一歩と床を鳴らして近づいてくる。
キャルルは俺のすぐ目の前まで来ると、スッと膝を折り、俺の手を両手で優しく、だが決して逃がさない万力のような力強さで包み込んできた。
プラチナブロンドの長い兎耳が、感情の昂ぶりとともに微かに震えている。
ルビーの瞳には、熱い涙が膜を張っていた。
「リオン様……」
「は、はい」
「ポポロ村は、無法の地です。三大国の利権が渦巻き、重火器で武装した山賊や、訳ありの荒くれ者たちが闊歩する、大陸一危険な限界集落です……。私一人の力では、きっと村の民を、そして法と秩序を守り切ることはできません……」
キャルルは俺の手の甲に額を押し当て、吐息がかかるほどの至近距離で囁いた。
トクン……トクン……トクン……。
彼女の耳が、俺の心音を熱烈に吸い上げていく。
「お願いです、リオン様……。私と一緒に、ポポロ村へ来てくださいますか……?♡」
「キャルルさん……」
「貴方のその、嘘を一つもつかない清らかな心音……。悪党の理不尽を絶対に許さない、高潔で力強い正義の鼓動……。それこそが、あの荒れ果てた村に最も必要な光なのです! 村長と駐在所長として……いえ、私の魂の伴侶として、どうか私を支えてくださいまし……!♡」
瞳の奥に灯る、ドス黒いまでの純粋な愛の炎。
重い。
あまりにも愛の質量がデカすぎる。
だが——俺のユニークスキル『犬のお巡りさん』の聴覚が、彼女の心音を克明に捉えていた。
ドックン、ドックン、ドックン……!
激しく脈打つ鼓動の中に、一切の打算も、保身も、偽りも存在しなかった。
ただひたすらに、苦しむ村人を救いたいという純粋な慈愛と、俺という人間に対する絶対的な信頼だけが、そこには刻まれていたのだ。
(……やれやれ。手取り十六万の平穏な小市民でいたいのにさ)
俺は心の中で苦笑した。
前世の社畜時代、過労死するまで働かされた俺が最も嫌悪したのは、理不尽な搾取と、弱者を食い物にする無責任な上の人間たちだった。
横領して未亡人と高飛びしたクソ爺前村長。
契約切れを理由に村人を脅しにかかる武装山賊団。
そんな連中の横暴を前にして、「俺には関係ない」と背を向けられるほど、俺の根性は腐っちゃいない。
それに——昨日、師匠であるヴァルキュリアから正式な辞令も下りているのだ。
「立ち上がってください、キャルル村長」
俺は優しく声をかけ、彼女の手を握り返した。
制服の胸元に輝く、大宇宙管理局の金文字紋章を指先でなぞる。
「最初から、断るつもりなんてありませんよ。大宇宙管理局・執行部巡査長、リオン・フォン・アルディス——ポポロ村駐在所の新設、ならびに治安維持の特務、謹んで拝命いたします」
「……っ! リオン様……!」
キャルルは感極まり、そのまま俺の胸へと飛び込んできた。
柔らかなプラチナブロンドの髪と、甘い人参スコーンの香りが胸いっぱいに広がる。
「嬉しい……嬉しいですわリオン様……♡ 私、一生貴方から離れません……! もし貴方が浮気や心変わりをなさろうとしたら、その時は笑顔で両脚の骨を複雑骨折させて、一生私が車椅子を押して介護して差し上げますからね……♡」
「承諾した直後にヤンデレの特大トラップを仕掛けてくるのやめてもらえる!?」
俺が悲鳴を上げると、周囲からドッと歓声が上がった。
「決まりですわね! 私もポポロ村へ参りますわ!」
リーザがお賽銭箱型掃除機を肩に担ぎ、ガッツポーズを決める。
「前村長が持ち逃げした数千万円……どこかの空の上で必ずや探し出し、我が賽銭箱のサイクロンで全額吸引して差し上げますわ! ポポロ村の特産品を食い尽くすまでは死ねません!」
「ふふ、私も賛成ですわ♡」
ルナが純白のローブを翻し、妖艶に微笑む。
「辺境の農村に巣食う山賊さんたちの生態、とても興味深い研究対象ですもの♡ もし言うことを聞かない悪い子たちでしたら、世界樹の寄生種子を心臓に植え付けて、綺麗な緑の肥料に変えて差し上げましょう♡」
「ウチも機材のパッキング始めるわ〜☆」
キュララがスマホで自律ドローンを操作し、配信タイトルを更新する。
「【緊急特報! 美少女天使と巡査長、大陸一危険な限界集落『ポポロ村』へ殴り込み移住してみたwww】で枠取ったよ! 同接五百万人確定だし、村の復興クラファンも同時に立ち上げとくね☆」
ヤンデレ新村長キャルル、極貧人魚姫リーザ、サイコパスエルフルナ、月給二億天使キュララ。
この問題児カルテット全員を引き連れての、前代未聞の辺境駐在所ライフがいよいよ確定してしまった。
「よし……。そうと決まれば、出発の準備だ!」
俺は交番の奥、武器庫の扉を開けた。
そこには、ヴァルキュリアから正式配備されたばかりの、ピカピカに磨き上げられた新装備が鎮座していた。
無骨なスチールフレームに、高出力魔導エンジンを搭載した深緑色のタフな相棒——『125ccMT魔導バイク』。
そして、傍らに直立不動で待機している、漆黒の装甲と青い回転灯を頭部に備えた、最新鋭の自律思考型治安維持兵器——『巡査ゴーレム1号』。
さらに背中のホルスターには、無数の属性魔導弾を装填可能な俺の主武装『魔改造レミントンM870』。
腰にはニューナンブ魔導拳銃と、悪党を縛る鋼鉄の手錠。
「待ってろよ、ポポロ村。横領したクソ爺も、押し売り山賊どもも——全員まとめて、この犬のお巡りさんがワッパかけて成敗してやる!」
帝都を後にし、波乱に満ちた新天地へと旅立つ時が、遂にやってきたのである。
読んでいただきありがとうございます。
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