EP 10
取調室のカツ丼10杯ヤラセ配信と、天使長ヴァルキュリアの抜き打ち監査
アルディス伯爵家を急襲し、父グレゴールと兄カインにワッパをかけてマグローザ漁船へとドナドナ送りにしてから三日。
帝都を揺るがした大捕物の喧騒もようやく落ち着き、俺の城である『アルディス外れ交番』には、いつも通りの静寂が戻る……はずだった。
「はいっ! リスナーのみんな、息してる〜〜!? ゴッドチューブ緊急生配信!【美少女天使が帝都警察の取調室で『魔導特上カツ丼10杯』大食いに挑戦してみた☆】、ただいま同接二百万人突破で〜す!!」
取調室の防音扉をすり抜けて、キンキンと響く黄色い美声が交番内に木霊していた。
俺——リオン・フォン・アルディス巡査長は、事務机の上で濃いめに淹れた緑茶の湯呑みを握りしめ、深々と額を押さえた。
「……おい。誰かあいつをつまみ出せ」
「ふふ、リオン様、諦めなさいな♡ キュララちゃんの配信機材は世界樹の魔導コードと同期しておりますので、無理に引っこ抜くと帝都の魔導通信網が半日ほど不通になってしまいますわよ♡」
来客用のパイプ椅子に優雅に腰掛け、純白のローブの袖からエメラルドの瞳を覗かせるのは、次期エルフ女王候補のルナだ。手元にはタローマンの園芸コーナーで買ってきたアロエの鉢植えがあり、楽しそうに葉っぱとテレパシーで雑談している。
「リオン様、お茶のおかわりをお持ちしましたわ♡ あと、キュララちゃんが取調室の机を汚さないよう、私が足元にタローマン特注のブルーシートを敷いてまいりましたのでご安心ください!」
足元の重作業用安全靴をカチリと鳴らし、人参柄のエプロン姿で駆け寄ってくる月兎族の亡命姫キャルル。
トクン、トクン、と長い兎耳をピクつかせて俺の心音に聴き惚れている。
……全然安心できない。
俺はため息をつきながら立ち上がり、ガチャリと取調室のドアを開け放った。
「おいキュララ! 公務の神聖な取調室をスタジオ代わりにすんな! あと、さっきから漂ってくるこの異様な気配は何なんだ!」
取調室の中央には、灰色の事務机を挟んで、自律飛行する十数機の配信ドローン。
机の上には、湯気をもうもうと立ち上らせる『交番支給品・魔導加熱式カツ丼』が、山のように十杯積み上げられていた。
黄金色に揚がった極厚豚ロース、出汁の効いた割り下でふんわりとじられた半熟卵、鮮やかな三つ葉の香り。一見すると壮観な大食いチャレンジの光景だ。
だが——俺の『犬のお巡りさん』の嗅覚と視覚は、カメラの画角外で行われている『絶対的な不正』をミリ単位で捉えていた。
「ん〜〜っ! このカツ丼、お肉がジュワッとしてて超美味しい〜〜☆」
カメラ目線で満面のウインクを決め、スプーンでカツを一口だけ口に運ぶキュララ。
そして次の瞬間——彼女は画面に映らない机の下へと、残りのカツ丼がぎっしり詰まったどんぶりを、流れるような手捌きでスライド投下した!
机の下から、野獣のような唸り声と咀嚼音が響く。
「ガツガツッ! ゴクンッ! んぐっ、んぐっ……プハァッ! う、美味いですわァァッ! 甘辛いタレが染みたご飯が、喉仏を怒涛の勢いで滑り落ちていきますのーーッ!!」
机の下の狭いスペースに潜り込んでいたのは、臙脂色の芋ジャージを着た人魚姫リーザだった。
両手でどんぶりを鷲掴みにし、咀嚼というプロセスを半分スキップして胃袋へ直接流し込んでいる。
足元には、すでに空っぽになったどんぶりが七つ、ピラミッドのように積み上がっていた。
「はい八杯目完食〜! キュララたん、まだまだ余裕のペロリで〜す☆ 胃袋宇宙系天使って呼んでね☆」
「カメラの下で一口も噛まずに丸呑みしてる人魚姫が見え見えなんだよォッ!!」
俺の怒声ツッコミが炸裂した。
「うわっ、リオンっち乱入!? ちょ、今いいとこなんだからカメラに入ってこないでよ〜! 同接三百万行っちゃうんだから!」
「行っちゃうんだから、じゃない! 完全なヤラセ配信じゃねえか! リーザ、お前も顔を米粒だらけにして何やってんだ! 年収数千円だからってカツ丼十杯の裏方処理係に魂を売るな!」
「んぐっ! ご、誤解ですわリオン様! これは魂の売買ではなく、等価交換の経済活動! キュララちゃんに視聴率と見栄を、私には純粋な脂質と炭水化物をもたらす、完璧なWin-Winのビジネスモデルですのよ!!」
机の下から這い出してきたリーザは、臨月のようにパンパンに膨れ上がった下腹部を誇らしげにポンポンと叩いた。
鼻の穴には、なぜか気合いを入れるための五円玉がしっかり装填されている。
「どこがビジネスモデルだ、ただの虚偽表示と詐欺事案だろ! 大宇宙管理局の倫理規定に——」
俺が説教を叩き込もうとした、その瞬間だった。
キィィィィィィィィン……ッ!
大気が、凍りついた。
交番内の魔導蛍光灯が一瞬激しく明滅し、空間そのものが軋みを上げる。
ピクッ、と俺の『犬のお巡りさん』の耳が跳ね上がり、全身の毛穴という毛穴が猛烈な悪寒とともに総毛立った。
この匂い。
百億の雷雲を凝縮したような神聖なオゾン臭。
寸分の狂いも許さない、絶対的な規律と秩序のマナ。
そして——十年間、俺の背骨と肋骨をへし折り続け、銃撃の反復練習を何万回と叩き込んできた、あのトラウマの権化の匂い。
「……う、嘘だろ……」
ガタガタと膝が震え出すのを、俺は必死で抑え込んだ。
パシッ、と空間に亀裂が走り、純白と黄金の神聖な閃光が取調室を真昼の太陽のように照らし出す。
光の渦の中から、静かに一人の女性が歩み出てきた。
息を呑むほどに峻厳で、神々しいまでの美貌。
腰まで届くプラチナゴールドの髪、天の法をそのまま具現化したような鋭利な碧眼。
純白の法衣の上に白銀の神聖甲冑を纏い、左手にはあらゆる邪悪を弾き返す聖盾『シュテル』、右手には天の雷火を宿す聖槍『グラニ』を携えている。
背中には、六枚の巨大な黄金の翼が厳かに広がっていた。
天界・大宇宙管理局神時空監査部局長にして、天使族族長。
自称・永遠の十七歳。
天使長ヴァルキュリア——俺の、地獄のスパルタ師匠その人であった。
「……大宇宙管理局・神時空監査部局長、ヴァルキュリアです。アルディス外れ交番に対し、抜き打ちの業務監査を執行します」
鈴の音のように澄み渡りながらも、絶対零度よりも冷徹な声が響き渡った。
ヴァルキュリアの冷ややかな視線が、取調室の惨状をスキャンしていく。
・空になった十個のカツ丼のどんぶり
・腹を突き出して鼻に五円玉を詰めた芋ジャージの人魚姫
・ドローンを旋回させて固まっている月給二億円の同僚天使
・そして、青ざめて直立不動の姿勢を取るリオン巡査長
「……リオン」
「は、はいであります、ヴァルキュリア局長殿ッッ!!」
前世の社畜時代と十年間の特訓が融合した、完璧な角度の敬礼が反射的に炸裂した。
「貴方に授けた交番は、大宇宙の治安維持と秩序の確立のための前線拠点のはずですが……。この豚肉の油と出汁の匂いが充満した空間と、机の下から這い出てきた生物は、一体いかなる行政手続きに基づくものですか?」
「げ、下生物じゃありませんわ! シーラン国の誇り高き人魚姫にして、大食い界のダークホース、リーザですわよ!」
空気を読まないリーザが胸を張った瞬間、ヴァルキュリアの聖槍グラニの切っ先が、バチバチと黄金の放電を放ちながらリーザの鼻先一ミリへと突きつけられた。
「身元不明の不法占拠者ですね。神罰の電撃による消滅を希望しますか?」
「ひゃんっ!? ごめんなさい嘘ですただの極貧居候です許してくださいましーーッ!!」
リーザは猛烈な勢いで土下座し、鼻の五円玉が床にカランと転がった。
すると、上空のキュララがヘラヘラと笑いながらスマホを向けた。
「うわ〜☆ 出たよ天界のお局様〜! ヴァル姉、相変わらずクソ真面目でウケるんだけど! リスナーのみんな、これが天界の老害監査局長だよ〜☆」
「……キュララ」
ピキッ、とヴァルキュリアの眉間に青筋が浮かんだ。
「誰が老害ですか。私は精神的にも肉体的にも『永遠の十七歳』です。……貴女、天界の回線を私用で圧迫し、人間界で無許可の商業配信を行っている件、神時空監査部のブラックリストに載っていますよ? ドナドナ班の黒服天使レスラーを呼んで、天界の反省房へ強制送還されたいのですか?」
「げっ……ガチギレじゃん。配信切りまーす☆」
キュララは素早く配信をブチ切り、ドローンを回収してルナの背後へ隠れた。
「……ふう。まったく、規律の乱れが目に余りますね」
ヴァルキュリアは小さくため息をつき、聖槍を下ろした。
俺は冷や汗を拭いながら、素早く給湯室へと走り、最高級の深蒸し緑茶を淹れて戻ってきた。
お茶請けには、タローマンの資材館で母マリアが持たせてくれた、甘さ控えめの羊羹を添える。
「お、お茶が入りました、ヴァルキュリア師匠……」
「……いただきます」
事務机のパイプ椅子に腰掛けたヴァルキュリアは、湯呑みを受け取ると、静かに口をつけた。
渋みと旨味が口いっぱいに広がったのか、張り詰めていた彼女の眉間が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「……相変わらず、貴方の淹れるお茶は素晴らしいですね、リオン。十年前、荒れ地で泣いていた貴方に作法のイロハを教え込んだ日々が懐かしいです」
「あ、ありがとうございます……(ほぼ拷問の記憶しかないけど)」
羊羹を上品に一口齧り、ヴァルキュリアは背筋を正した。
空気が、再び公務員としての厳格なものへと切り替わる。
「さて、本題に入りましょう。……リオン巡査長」
「はっ!」
「貴方のここ最近の勤務実績を監査いたしました。悪徳スカウトマンの検挙、帝都中央銀行における転生者強盗集団の一網打尽、タローマンを狙った違法薬物テロの阻止、そして——帝国の巨大な病巣であったアルディス伯爵家の汚職・脱税・違法奴隷売買の完全摘発」
ヴァルキュリアは懐から、羊皮紙で綴られた金色の監査報告書を取り出した。
「これらはすべて、巡査長の職務権限を遥かに超越した大金星です。大宇宙管理局・カスハラ部執行部、ならびに天界監査部において、貴方の評価ポイントは満点を記録しました」
「ほ、本当ですか……!?」
「ええ。貴方を指導した私の目に狂いはありませんでした。……しかし、です」
ヴァルキュリアの碧眼が、すっと細められた。
「帝都本部は、貴方の存在を危険視し始めています。腐敗した伯爵家を平然と解体してみせた『ハズレスキルの落ちこぼれ警官』……。貴族院の保守派どもが、貴方をこの帝都から体よく厄介払いしようと画策しているのです」
「……まあ、そうなるだろうとは思ってました」
俺は苦笑した。
前世のブラック企業でもよくあったことだ。派閥の不正を暴いた有能な現場責任者は、上層部のメンツを潰した報復として、必ず地方の僻地へと飛ばされる。
「そこで、天界と帝国警察本部から、貴方に特命の辞令が下りました」
ヴァルキュリアが差し出してきた辞令書。
そこには、太い魔導インクで、ある地名が刻まれていた。
『辞令:リオン・フォン・アルディス巡査長。ルナミス帝国・レオンハート獣人王国・アバロン魔皇国の三大国緩衝地帯——【ポポロ村】への駐在所新設、ならびに初代駐在所長への就任を命ず』
「……ポポロ村……?」
俺が首をかしげると、横で大人しくしていたキャルルが「あっ!」と長い兎耳を跳ね上げた。
「ポポロ村……! あそこは、私が以前から支援している限界集落ですわ!」
「キャルルさん、知ってるのか?」
「はい! 三大国のちょうど真ん中に位置する緩衝地帯で、どの国の法も完全には及ばない、ある意味で大陸一自由で……そして、大陸一危険な無法の農村です!」
「大陸一危険な無法地帯に交番作れってか!? 厄介払いにも程があるだろ!!」
俺が思わず叫ぶと、ヴァルキュリアは静かに首を横に振った。
「ただの左遷ではありません、リオン。ポポロ村の前村長であるロップという男が、先日、村の安全保障積立金数千万円を横領して高飛びするという前代未聞の不祥事を起こしました。現在、現地の治安は極度に悪化しています」
「横領して高飛び……」
「ええ。そこで冒険者ギルドと地域応援隊の推薦により、新たな村長としてキャルル殿の就任が決定したのです」
「えっ!? 私が、村長に……!?」
キャルルが目を丸くする。
ヴァルキュリアは頷き、俺の目をまっすぐに見据えた。
「キャルル殿を村長とし、貴方が駐在所長として現地の法と秩序を確立する。これは女神ルチアナ様と帝国皇帝の合意に基づく、極めて重要な特務です。……引き受けてくれますね、リオン?」
ヴァルキュリアの眼差しには、厳しい師匠としての顔の奥に、かつて荒れ地で泣いていた俺を育て上げた慈愛が確かに宿っていた。
手取り十六万の小市民として平穏に暮らしたい、という怠惰な気持ちはある。
だが——腐敗した帝都の権力闘争に巻き込まれて窮屈な思いをするくらいなら、自分の手で一から治安を築き上げる辺境の駐在所勤務の方が、よっぽど性分に合っているかもしれない。
「……分かりました。お受けします」
俺が力強く頷くと、ヴァルキュリアは満足そうに微笑んだ。
「よく言いました。駐在所長就任に伴い、貴方の装備も拡張されます。機動力確保のための『125ccMT魔導バイク』一台、そして拠点の防衛を補佐する『自立思考型・巡査ゴーレム1号』の配備を承認します」
「バイクにゴーレム……! 巡査長の装備としては破格ですね」
「当然です。私の愛弟子が、辺境のチンピラごときに遅れを取ることなど許されませんから。……期待していますよ、リオン」
ヴァルキュリアは黄金の翼を羽ばたかせ、再び神聖な光の渦の中へと溶け込んでいった。
嵐のような監査官が去り、静けさを取り戻した交番の中。
俺がふうと息を吐いた瞬間——背後から、猛烈な熱気が押し寄せてきた。
「リオン様……! 私、リオン様とご一緒にポポロ村へ参りますわ……♡」
キャルルが両手を組み、ルビーの瞳を潤ませてすり寄ってくる。
トクン、トクン、と彼女の耳が俺の心音に吸い付く。
「村長と駐在所長……! これって、実質的に村を二人で治める『共同生活』……いえ、実質的な夫婦生活の始まりではありませんこと……!?♡」
「飛躍しすぎだ! ただの公務上の連携だよ!」
「私も行きますわーーッ!!」
パンパンの腹を揺らしながら、リーザが滑り込み土下座を決めた。
「帝都の公園の鳩は強敵すぎます! ポポロ村の広大な大自然なら、もっと美味しい雑草や木の実、そして駐在所の余ったカツ丼にありつけるはずですわ! 私をポポロ駐在所の専属マスコット(兼残飯処理係)として連れて行ってくださいまし!!」
「マスコットじゃなくてただの居候だろ!」
「ふふふ、私も同行いたしますわ♡」
ルナが純白のローブを優雅に翻す。
「辺境の農村には、帝都では見られない珍しい薬草や、凶悪な寄生植物がたくさん自生していると聞きます♡ もしリオン様がパトロールで重傷を負われたら、現地の植物を使って新鮮な義肢をインプラントして差し上げますね♡」
「笑顔でサイボーグ化の予約を取るな!」
「ウチも行く〜☆」
キュララがスマホを掲げてピースサインを作った。
「【辺境の限界集落を美少女天使が開拓してみた☆】って企画、絶対再生数回るっしょ! 村のWi-Fi環境はウチの魔導衛星で爆速にしてあげるから、リオンっち、ポポロ村でもよろしくね〜!」
ヤンデレ村長、極貧人魚、サイコパスエルフ、月給二億天使。
結局、このカオスすぎるカルテット全員が、俺の赴任先に付いてくることになってしまったらしい。
「……はぁ。手取り十六万の平穏な田舎暮らしなんて、最初から夢のまた夢だったか」
俺は苦笑しつつ、壁にかけられた制服の襟を正し、ガンラックの魔改造M870を見つめた。
だが、不思議と嫌な気はしなかった。
大陸一危険な限界集落『ポポロ村』。
そこで巻き起こるであろう新たな事件と、前村長が持ち逃げした数千万円の行方。
異世界のお巡りさんリオンの、真の伝説がここから始まろうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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