第94話:時空の果てから届く何十億の「ありがとう」のメッセージに包まれて自室でほっこりする話
サクッ……。
香ばしく焼き上がった薄いパイ生地を噛み締めると、中からトロリと温かいリンゴの甘みとシナモンの芳醇な香りが口いっぱいに広がった。
「ルーカス、熱くないかい? 今朝エレナと一緒に焼いたアップルパイだよ。採れたての蜂蜜も少し垂らしてあるんだ」
「うん、甘酸っぱくてすっごく美味しいよ、父さん」
テーブルの向かい側で、父アロイスが目尻を下げて微笑み、母エレナが「おかわりもたくさんあるからね」とポットから湯気の立つお茶を注ぎ足してくれる。
僕の膝の上では、子恐竜が小さくあくびをしてお腹を見せ、足元ではマスコットAIのぬくぬく君が「ピュイ……ピュイ……」とご機嫌な音を鳴らしながら僕のくるぶしを温めてくれていた。
家族の手作りの味と、穏やかな朝の光。
これ以上ないほど満ち足りた時間のはずだった。
ズズズズズ……ドササササササッ!
突如として、廊下の向こうから雷鳴のような地響きと、雪崩が押し寄せてきたかのような凄まじい轟音が響き渡った。
「ひ、ひえぇっ!? じ、地震!? それとも宮殿が崩れてきたの!?」
僕がアップルパイを落としそうになりながら身をすくめると、部屋のドアが勢いよく開き、運送屋のボリスと包装業者ダニエルが、汗だくで頭を抱えながら飛び込んできた。
「た、大変ですルーカス様! 時空ポータルの荷受所が完全にパンクいたしました!」
「古代の石板、中世の羊皮紙の手紙、未来の超高密度ホログラムカードが、時空の裂け目から何億、何十億通と雪崩のように押し寄せてきております! 廊下まで手紙の山で埋まりかけておりますぞッ!」
ドアの隙間から廊下を覗き見ると、そこには天井まで届きそうな手紙の山がそびえ立ち、妹のリリィが「まあまあ! 全時空からお兄様への感謝のお手紙ですわ!」と目を輝かせながら埋もれかけていた。
前世の僕も、病院のベッドの上で折り鶴や励ましのお手紙をもらって胸が熱くなったことがある。
だから、みんなが気持ちを伝えてくれること自体は、涙が出るほど嬉しい。……嬉しいんだけれど!
「あんな何十億通もの紙の山が部屋に崩れてきたら、圧死事故になっちゃうよ……! それに、古い石板や乾燥した羊皮紙の粉塵を吸い込んだらハウスダストアレルギーで気管支を痛めちゃうし、勢いよく手紙を開封して紙の端っこで指をシャッと切ったら、傷口からバイ菌が入って化膿しちゃうかもしれないじゃないか!」
僕は冷めかけたお茶を一口すすり、特製クッションを盾のように構えて、切実にボヤいた。
「みんなが病気や戦争から助かって、元気に長生きしてくれているだけで僕は十分すぎるくらい幸せなんだから……わざわざ重たい紙の束にして送ってこなくてもいいのに。もし気持ちを届けてくれるならさ、部屋を押しつぶしたりホコリが立ったりしない、優しくて温かい光の粒や、心地よいアロマの風みたいにふわりと届いてくれればいいのに。ベッドの上でゴロゴロしながら『あぁ、みんな元気で暮らしてるんだな』って静かに眺められるくらい、ささやかで安全なメッセージなら、僕も安心して心からほっこりできるのになぁ……」
手紙の山による圧死と、紙粉によるアレルギーや切り傷を心から恐れた、僕のささやかで安全第一なボヤキ。
……のはずだった。
(全時空の生きとし生けるものから溢れ出す無数の感謝と思念を、神聖なる癒やしの光粒子へと昇華せしめる神の時空感謝調和……! そして全歴史の真心を、一切の物理的負担なく至高の安らぎとして受領される創世の受恩……!?)
ドアの物陰で、手紙の除菌スプレーを構えていた香水係イリス、包装業者ダニエル、運送屋ボリス、そしてリリィの目が、カァァァッ! と時空の彼方まで届くほどの黄金の光を放った!
「す……凄すぎますわお兄様……ッ!」
リリィが感涙で胸の前で愛用のメモ帳を強く強く抱きしめる。
「何十億という物理的な紙の重みでお部屋を汚すことなく、全時空の生命の『魂の感謝』だけを光の星屑へと変換し、ご自身の安らぎの空間を満たそうとなされるなんて……! 私、すぐに『全時空メッセージ・光粒子アロマ変換プロジェクト』を発足いたしますわッ!」
「お命救済と精神波パッキングの極致だぁぁぁッ!」
ダニエルとイリス、ボリスが、次元抽出フィルターと芳香変換魔導陣を掲げて叫ぶ。
「全ポータルに『バルデン式・思念純化フィルター』を接続し、ただちに何十億通のメッセージを質量ゼロ・微細アロマ光粒子へと変換して自室へ優しく循環させますぞッ!」
「待って四人とも!? 僕はただ『紙で指を切りたくない』って言っただけだよ!?」
僕の悲鳴を置き去りにし、狂乱の包装&アロマ&妹チームは荷受所へと爆走していった。
◇
数日後。
「……ねえクロノス様。僕の部屋の天井や壁一面に、七色に優しく瞬く小さな光の粒が無数に浮かんでて、部屋中が焼きたてのパンとお日様みたいなあったかい匂いで満たされてるんだけど……これって何の冗談?」
自室でハーブティーを飲んでいた僕は、室内を満たす幻想的すぎる光の海にパチクリと目を丸くしていた。
廊下を埋め尽くしていた何十億通もの手紙の山は跡形もなく消え去り、その代わりに、部屋中をふわりふわりと「温かい光の星屑」が漂っていたのだ。
僕が恐る恐る指先を伸ばすと、淡い桜色の光の粒が、ふわりと手のひらに吸い寄せられて優しく弾けた。
『——神童様、ありがとう! いただいた野菜スープのおかげで、家族みんな元気に冬を越せました(太古の狩猟民より)』
耳元で、風鈴のように澄んだ優しい声がふわりと響き、ほんのりと甘いハーブの香りが鼻腔をくすぐった。
続けて、青い光の粒が僕の肩に触れる。
『——ルーカス様のおかげで、我が部隊は誰も怪我をせず全員無事に故郷へ帰れました。今、家族と囲む夕餉が何より温かいです(中世の元騎士より)』
さらに、金色の光の粒が子恐竜の頭を優しく撫でるように光る。
『——神皇様、残業がなくなって毎日8時間ぐっすり眠れるようになりました! 朝起きるのがこんなに幸せだなんて知らなかった!(未来世界の技術者より)』
何億、何十億という、時空を超えた人々の健やかな笑顔と温かな感謝の想いが、質量ゼロの心地よい温もりとなって、静かに部屋を包み込んでいた。
足元では子恐竜が光の粒を「くぅ〜ん」と嬉しそうに鼻先で追いかけ、ぬくぬく君が「ピュイ……ピュイ……(みんな、あったかい……)」と心地よさそうに緑ランプを揺らしている。
コタツの向かい側では、時間の神クロノスが、宙に舞う光の粒を眺めながら、穏やかに目を細めていた。
「うむ……実に心地よいのう。どの時代の者も、誰一人として恨みや苦痛を抱いておらん。純粋な感謝の光ほど、魂を温める霊薬はあるまいよ」
カイル兄さんも、温かいハーブティーのおかわりを僕の湯呑みに注ぎながら、柔らかく微笑んでくれた。
「ルーカス。みんな、君の優しいボヤキに本当に救われたんだね」
「兄さんまで……」
僕は照れくさくなって、特製クッションに顔をぎゅっと埋めた。
「あ、あれ……? 僕はただ……手紙の山に潰されたくなくて、紙で指を切るのが嫌だっただけなのに……なんで僕の部屋が『全時空の何十億人のありがとうが集まる世界一癒やされるプラネタリウム』になってるの……!?」
指先の怪我とホコリを恐れた少年のささやかなボヤキは、時空を超えた無数の感謝を至福の光へと変貌させ、本日も彼は温かな家族や仲間たちと、部屋中を満たす無数の「ありがとう」の温もりに包まれながら、穏やかなひとときを噛みしめるのだった。
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