第8話:美味しいスイーツと怪我の特効薬が欲しかった少年のボヤキが、王国の医療と製菓技術を神の領域へ導いた件
「んむ……漫画の続き、めっちゃ面白いなぁ……」
ぽかぽかのこたつの中、創刊されたばかりの『週刊少年バルデン』を読みながら、ルーカスは幸せそうに口元を緩めていた。
床暖房と二重サッシによる常春の室温。
いつでも温水が出る水道。
元暗殺者クララの完璧すぎるアルコール消毒指導による絶対無菌空間。
そして何より、国王公認の「最高教育・情報長官」という(本人は頼んでいない)肩書き。
「うん、生活環境は完璧。だけど……」
ルーカスはミカンの皮を剥きながら、ふと前世の病院での「おやつタイム」や、テレビで観ていた街の洋菓子店を思い出してポロリと呟いた。
「ミカンも美味しいけど、やっぱり冬はフワフワの『カステラ』とか『生クリームたっぷりのケーキ』、それに『チョコレート』みたいな洋菓子が食べたいなぁ。卵と砂糖をしっかり泡立てて焼けば、夢みたいに柔らかいお菓子ができるのに……」
さらに、ルーカスは自分の指先にあるごく小さな紙傷を見つめ、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「それに……いくら部屋を消毒しても、ちょっとした擦り傷や切り傷から細菌が入って化膿するのが一番怖いんだよね。前世の『抗生物質』……確か青カビから発見された『ペニシリン』みたいな魔法の特効薬があれば、どんな傷口の感染症も一発で治って、万が一の怪我でも安心して長生きできるんだけどなぁ……。青カビから薬が取れるなんて、不思議な話だけど」
前世の冬の楽しかった記憶と、病床で読んだ医学雑学の記憶を懐かしむだけの無害なボヤキ。
……のはずだった。
(入った者の魂を至福で満たす神の洋菓子……! そして青き苔から精製され、あらゆる化膿と魔力毒を討ち払う奇跡の万能薬……!?)
ドアの陰で、本日分の『週刊少年バルデン』を大切に抱えていた妹リリィが、神の啓示を受けたかのようにメモ帳を猛烈な勢いで走らせていた。
カリカリカリカリカリッ……!
「すごいですわお兄様……! お口の幸せだけでなく、どんな小さな傷からくる死の危険からも領民を守る『医療と食の奇跡』まで見据えておられるなんて……! 私、すぐにお薬師のフィオナさんと料理長のウィルさんに伝えなくっちゃ!」
目を輝かせた天使(妹)は、メモ帳を握りしめて館を飛び出していった。
◇
「——なんですって……!? 青カビから……あらゆる傷の化膿を止める『特効薬』が精製できる……!?」
男爵領の薬草園。
深緑の髪と長い耳を持つ美しい女性——ハイエルフの薬師、フィオナ・ペンドルトン(推定300歳)は、リリィのメモ帳を凝視したまま激しく震えていた。
彼女は数百年生きるハイエルフの知識を持ちながらも、従来の治癒魔法では治せない「傷口の化膿による高熱と敗血症」に長年頭を悩ませていたのだ。
「治癒魔法は『組織を塞ぐ』だけ……! 侵入した微小な毒素(細菌)を死滅させるアプローチは、数百年の生を生きたエルフの歴史にすら存在しなかったわ……! 『青カビの分泌物』に、それだけの殺菌作用があるというの……!?」
フィオナは狂おしいほどの情熱で薬草園の培養室へと駆け込んだ。
一方その頃。男爵家の厨房では——。
「卵を……黄身と白身に分け、白身を限界まで泡立てて『メレンゲ』を作り、砂糖と小麦粉を合わせる……だと……!?」
巨漢の料理長ウィル(35歳)が、自作の金属製泡立て器を握りしめ、ボウルの中の白身を猛烈な速度でかき混ぜていた。
「おおお! 白身が……泡が……ツノが立つほどフワフワの白い雲のようになっていく……! 焼き上げれば……信じられんほど柔らかい生地に……! これぞ、ルーカス様のご発案された『幻の至高菓子・カステラ』!!」
◇
数日後。
「……で、なんで薬局と洋菓子店が隣同士でオープンしてるの?」
自室でぬくぬくしていたルーカスは、館の中庭に新設された二つの真新しい店舗を見上げて白目を剥いていた。
片方の店舗『バルデン製薬』の看板の下では、白衣を纏ったハイエルフのフィオナが、興奮冷めやらぬ様子で透明な瓶を掲げていた。
「ルーカス様ぁぁぁッ! ご神託通り、特定条件で培養した青カビから精製した奇跡の抽出液……『バルデン特製・ペニシリン軟膏』が完成いたしましたッ!」
「えっ……本当に青カビから作っちゃったの!?」
「はい! これを塗り込めば、どれほど深い切り傷の化膿も一晩で治癒します! 従来の治癒魔法を遥かに凌駕する魔法の特効薬です! すでに噂を聞きつけた他国の高位貴族や、戦傷に苦しむ騎士たちが金貨の袋を抱えて大行列を作っておりますわ!」
「大行列!?」
そして、隣の店舗『バルデン・洋菓子堂』のドアが勢いよく開き、コック帽を被ったウィルが黄金色に輝くフワフワの生地を恭しく捧げてきた。
「ルーカス様! お待たせいたしました! 卵と砂糖の極限泡立て技術により誕生した『特製バルデン・カステラ』と、冷えたフルーツミルクのクリームを添えた『イチゴのショートケーキ』にございます!」
ルーカスはおずおずとフォークでケーキを切り、口に運んだ。
「……んんんっ!? フワフワだぁぁぁッ! 甘くて、口の中で溶ける……! 前世のケーキそのものだ……ッ!」
「ふはははは! 感謝いたしますルーカス様! このお菓子とペニシリンのセット販売は、王国の富豪たちの心を完全に鷲掴みにいたしました!」
見れば、男爵領の街道には、病の治癒と至高のスイーツを求めてやってきた他国の豪華な馬車がズラリと並び、領内のホテルや温泉街は完全に満杯状態となっていた。
「さらに! 王都の病に苦しむ名医どもや、有名店のパティシエどもが『ルーカス様のもとで医療と菓子作りを学びたい』と雪崩のように押し寄せております!!」
「また人が押し寄せてるーーーッ!?」
ルーカスが悲鳴を上げる。
自室のこたつの中で、焼きたての甘いカステラを頬張りながら、ルーカスは遠い目をしてガタガタと震えた。
「あ、あれ……? 僕はただ……ケーキが食べたくて、擦り傷から病気になるのが怖かっただけなのに……なんで我が家が世界最高の『医療・製薬&スイーツ特区』になってるの……!?」
ただ怪我を恐れ、甘いものが食べたいだけの少年のささやかなボヤキは、王国の医療と食文化を神の領域へ爆進化させ、世界中の病人とお菓子好きを救っていくのだった。
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