第7話:暇つぶしの本が欲しかった少年のボヤキが、王国の印刷技術と情報網を爆発進化させた件
「ふぁぁ……ぬくぬくして最高なんだけど……ヒマだなぁ」
床暖房とこたつが完備され、衛生長官クララの手で完璧に消毒された清潔な自室。
ミカンを一口で放り込みながら、ルーカスはふかふかの背もたれに体重を預けて天井を見上げていた。
「温水も出る、部屋も温かい、ご飯も美味しい、病気予防も完璧。だけど……こたつに入りながらダラダラ読める『本』がないんだよねぇ」
この世界の書籍は、職人が羊皮紙に一文字ずつ手書きで書き写す超高級品だ。
一冊家が買えるほどの値段がするため、貴族や大商人しか所有できず、その内容も堅苦しい歴史書や魔導書ばかりであった。
「前世の日本みたいに、活版印刷で刷られた安くて軽い本や『新聞』があればいいのに。毎日最新のニュースや天気予報が分かれば、災害や流行病の予防にもなるし……。何より、絵と文字で描かれた『漫画』や楽しい物語があれば、みんな家の中で楽しく過ごせて平和なのになぁ。文字が読める人が増えれば、騙される人も減って長生きできるのに……」
前世の病院のプレイルームにあった漫画本や、毎朝届いていた新聞を懐かしむだけの無害なボヤキ。
……のはずだった。
(全領民の知性を底上げし、悪しき欺瞞を粉砕する情報拡散の神具……! そして言葉の壁を超えて魂を揺さぶる至高の聖典……!?)
ドアの陰で、ぬくぬくの室内用靴下を揃えていた妹リリィが、光の速さでメモ帳を走らせていた。
カリカリカリカリカリッ……!
「すごいですわお兄様……! 知識の独占を許さず、すべての人が文字を学び、心豊かに暮らせる『知の革命』まで見据えておられるなんて……! 私、すぐに版画職人のセザールさんに伝えなくっちゃ!」
目を輝かせた天使(妹)は、メモ帳を抱えて街へと爆走していった。
◇
数日後。バルデン男爵領の街道に、一両の質素な馬車が到着した。
乗っていたのは、旅の商人に変装した一人の堂々たる初老の男性。
アルカディア王国第15代国王、エドワード・アルカディア7世(58歳)その人であった。
ロバート監査官からの「バルデン領は国家を牛耳る陰の支配者」という報告と、最鋭の暗殺者クララからの「ルーカス様に全身全霊を捧げます」という謎の音信不通。
事態を重く見た国王は、護衛隊長だけを伴い、自ら極秘視察に訪れたのだった。
「ふむ……ロバートの報告通り、街道の舗装は見事なものだ。揺れが一切ない。だが、たかだか一少年に国家を揺るがすほどの力があるとは——」
変装した国王がバルデン領の街並みに足を踏み入れた瞬間、その言葉は凍りついた。
「さあさあ! 本日発刊! ルーカス様のご発案による『バルデン週刊新聞・創刊号』だよー! 銅貨1枚で買えるよー!」
元気な街の子供たちが、薄くて軽い「紙」で印刷された束を配っていた。
「な……なんだと!? 書籍……いや、文字が刷られた紙が、銅貨一枚だと……!?」
国王は震える手で銅貨を払い、紙を受け取った。
そこに躍っていたのは、寸分の狂いもなく整然と並んだ美しい文字と、明日の天気予報、手洗い消毒の健康法、そして——ページ後半に描かれた、躍動感あふれる「絵と吹き出しによる物語(漫画)」であった。
「な、なんだこの分かりやすさは……! 文字が読めない平民でも、絵を見れば内容が伝わる! それに、この印刷技術……活字を組み替えて一瞬で千枚の紙を刷り出すだと!?」
国王の頭の中で、雷鳴が轟いた。
(知識の普及速度が……従来の百倍以上!? これがあれば、国家の法規も、医療の知識も、全国民に一瞬で周知できる……! これを考案した者は、世界の文明を数百年先へ押し進める神か!?)
◇
「——で、お客様ですか?」
男爵家の応接室。
こたつで温まっていたルーカスは、目の前に座る自称「旅の商人エド」と名乗る初老の男性を見つめていた。
エド(国王)は、差し出されたキンキンに冷えた「フルーツミルク」を一気に飲み干し、感極まったように溜息をついた。
「う、うまい……! 温泉といい、この道といい、あの『新聞』といい……ルーカス殿、貴方は一体何者なのだ? これほどの発想と技術、王国を乗っ取るおつもりか!?」
ルーカスは目を丸くして首を振った。
「えっ? 乗っ取るなんて滅相もないですよ! 僕はただ……こたつに入りながら面白い本が読みたかっただけですし。みんなが文字を読めて、健康の知識やニュースを知れれば、病気にかかりにくくなって長生きできるかなって思っただけで……」
「た、ただ暇つぶしと長生きのため……だと!?」
国王は息をのんだ。
権力欲も、野心もない。ただ純粋に「人の命と生活を豊かにしたい」という慈愛の心から、この恐るべき技術群を生み出していたというのか。
さらに、部屋の隅には「衛生長官」として完璧な立ち振る舞いをする元暗殺者クララや、元SSランク冒険者ラグナルが「ルーカス様の平穏を守る」ために笑顔で控えている。
(……勝ち目がない。武力でも、経済でも、技術でも、そして『民の支持』でも……! この少年と争うなど愚の骨頂!)
国王はバッと立ち上がると、深く頭を下げた。
「ルーカス殿! いや……ルーカス様! このエドワード、感服いたしました! 本日よりバルデン領を『国家最高文化特区』と制定し、貴方様を『王国最高教育・情報長官』に任命いたします!」
「えっ……? エドワード……? 国王陛下ぁぁぁ!?」
ルーカスが白目を剥いて叫ぶ。
「王立の印刷局をすべてバルデン領に移転させます! 全国にこの『新聞』と『漫画』を普及させ、国民の識字率を100%にしてみせましょうぞ!」
「待って!? 僕はただ、こたつで漫画が読みたかっただけなの!!! ちょっと待って陛下ーーーーッ!?」
◇
その後。
バルデン男爵領から発刊される『バルデン週刊新聞』と『週刊少年バルデン(漫画誌)』は、王国全土へ爆発的に普及。
国民の識字率は跳ね上がり、健康知識の普及によって王国の平均寿命は10歳以上伸びることとなった。
自室のこたつの中で、完成した『週刊少年バルデン』の第1号を手に取っていたルーカスは、ガタガタと震えながら遠い目をした。
「あ、あれ……? 僕はただ……こたつでダラダラ漫画が読みたかっただけなのに……なんで僕が王国の教育大臣みたいになってるの……!?」
ただ暇つぶしがしたかった少年のささやかなボヤキは、王国の文化と教育、さらには歴史そのものを塗り替えていくのだった。
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