第9話:歯の健康と冷たいアイスを求めた少年のボヤキが、王国の公衆衛生と冷凍技術を神の領域へ導いた件
季節は巡り、バルデン男爵領には初夏の爽やかな風が吹き抜けていた。
「ふぅ……カステラもショートケーキも本当に美味しいなぁ。だけど……」
自室のテラスで冷たいハーブティーを飲みながら、ルーカスはふと己の白い歯を指先で触り、青ざめた顔で身震いした。
「甘いものを食べた後に、しっかり歯磨きをしないと『虫歯』になっちゃうんだよね。この世界の歯医者さんって、痛くなったら麻酔もなしにペンチで抜くだけでしょ……? 想像しただけで失神しそうだよ」
前世の病院生活で叩き込まれた医学雑学。それは「歯の健康こそが全身の健康と長寿の要」という事実だった。
「虫歯菌や歯周病菌を放っておくと、血管に入り込んで心臓病や脳卒中の原因になるんだ。長生きのためには『歯』が一番大事なのに……! 前世のフッ素入り歯磨き粉と、毛先の柔らかい『歯ブラシ』、それにデンタルフロスがあれば、80歳になっても自分の歯で美味しくご飯が食べられるのになぁ」
さらに、ルーカスは日に日に増していく初夏の日差しを見上げて、汗をぬぐった。
「それに、これから暑くなったら『熱中症』が怖いよ。保冷魔石を使って牛乳と生クリームと砂糖をキンキンに凍らせた『アイスクリーム』とか『かき氷』を食べられれば、体温も下がって最高のおやつになるのに……」
病床で読んだ健康雑誌の知識と、前世の夏の冷たいお菓子を懐かしむだけの無害なボヤキ。
……のはずだった。
(歯から全身の命を蝕む恐ろしい悪魔の病魔……! 精霊の毛細繊と聖なるミントで病魔を根絶する神具! そして猛暑の熱病から魂を冷却して救う奇跡の氷華……!?)
ドアの陰で、本日分の『週刊少年バルデン』を読み終えた妹リリィが、メモ帳のページを狂おしいほどの速さでめくっていた。
カリカリカリカリカリッ……!
「すごいですわお兄様……! 食べることの幸せだけでなく、全身の命を脅かす『歯の死神』からの救済と、猛暑から領民を守る『冷気の奇跡』まで見据えておられるなんて……! 私、すぐに医師のガブリエル先生と錬金術師のギドさんに伝えなくっちゃ!」
目を輝かせた天使(妹)は、メモ帳を抱えて館を走り去っていった。
◇
「——なんですって……!? 歯の病が……心臓や脳の病につながる……!?」
男爵領の診療所。
医師のガブリエル(40歳)は、リリィのメモ帳を手に持ち、雷に打たれたように固まっていた。
「従来の医学では『歯が痛んだら抜く』ことしかできなかった……! だが、食後に微小な『歯ブラシ』で歯垢を取り除き、ミントとフッ素の塗料(歯磨き粉)で予防するという概念……! これこそが、あらゆる全身疾患を防ぐ『予防医学の極致』……!!」
ガブリエルは震える手で診療所の白衣を羽織り、街の細工職人たちの元へ爆走した。
一方その頃。男爵家の地下研究室では——。
「水と火の魔石だけではない……吸熱の陣を二重に組み組み、マイナス20度の極冷空間を維持する『超低温冷凍コンテナ』だと……!?」
錬金術師ギドとドワーフのブラムが、怪しく青く光る巨大な箱を取り囲んでいた。
「ギド殿! これに新鮮な生クリームと卵黄、果汁を注ぎ込み、連続で回転させながら冷やし固めれば……果てしなく滑らかで冷たい夢のお菓子ができるぞ!」
「フハハハ! ルーカス様のご神託『アイスクリーム』の誕生だぁぁぁッ!」
◇
数日後。
「……で、なんで今度は全領民が歯ブラシ持ってシャカシャカ運動してるの?」
テラスから街を見下ろしたルーカスは、目の前の光景に思わずハーブティーを吹き出しそうになった。
男爵領の広場では、毎朝のラジオ体操に続き、医師ガブリエル指揮のもと、全領民が手に手に小さな「馬毛の極細歯ブラシ」を持ち、一斉に「シャカシャカシャカ……」と歯を磨いていたのだ。
「いいですか皆さん! ルーカス様のご指導により、歯は一本ずつ優しく磨くのです! 食後の3分間歯磨きで、80歳まで自分の歯を残しましょう!」
「「「はい! ガブリエル先生!」」」
領民たちが爽やかなミントの吐息を吐きながら、真っ白に輝く歯を見せて笑顔でサムズアップしている。
「みんな歯が真っ白になってる!?」
そこへ、冷気漂う高級銀器を持った料理長ウィルとギドが、恭しくやってきた。
「ルーカス様! お待たせいたしました! マイナス20度の魔導冷凍技術と、特注フルーツミルクが融合した至高の冷菓……『バルデン特製・バニラ&イチゴアイスクリーム』でございます!」
ルーカスはおずおずとスプーンですくい、口に運んだ。
「……んんんっ!? 冷たくて、濃厚で美味しい……っ! 舌の上でスーッと溶ける! 本物のアイスクリームだぁぁぁッ!」
「ふはははは! お召し上がりいただいた後は、ガブリエル特製の『薬用フッ素ミント歯磨きペースト』で磨いていただければ、虫歯の予防も完璧でございます!」
見れば、男爵領の街道には、王都や他領から「歯の痛みに悩む高位貴族」や「猛暑を凌ぐ絶品アイスを求める富豪たち」が押し寄せ、大長蛇の列を作っていた。
さらに、王都の歯科医や理髪師(※当時の歯抜き担当)たちが「ルーカス様のもとで最新の歯科予防医療を学びたい!」と雪崩のように押し寄せてきている。
「また人が押し寄せてるーーーッ!?」
ルーカスが悲鳴を上げる。
自分の部屋で、冷たいアイスクリームを頬張り、丁寧に歯磨きをしながら、ルーカスは遠い目をしてガタガタと震えた。
「あ、あれ……? 僕はただ……虫歯で痛い思いをしたくなくて、冷たいアイスが食べたかっただけなのに……なんで我が家が世界初の『公衆衛生&歯科医療の聖地』になってるの……!?」
ただ虫歯と熱中症を恐れ、冷たいお菓子が食べたいだけの少年のささやかなボヤキは、王国の公衆衛生と冷凍技術を神の領域へ爆進化させ、全人類の歯の健康を守っていくのだった。
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