第4話:温泉上がりの牛乳と盤上遊戯が世界経済を揺るがした件
「ふはぁぁぁ……極楽、極楽……」
立ち上る湯気の中、ルーカスは庭の露天風呂で肩まで湯に浸かり、幸せの溜息をついていた。
ブラムが組み上げた極上の岩風呂と、ギドの魔術回路による温度調整。そして元SSランク冒険者ラグナルが裏山から引き当てた効能豊かな源泉。
今や男爵家の庭にあるこの露天風呂は、前世の高級温泉旅館も青ざめるレベルの至高の湯治場となっていた。
「身体の芯まで温まるなぁ。やっぱり温泉は最高だ……。だけど……」
湯船の縁に肘をつき、ルーカスはポロリとボヤいた。
「温泉上がりと言ったら、やっぱりキンキンに冷えた『牛乳』とか、甘酸っぱい果汁の入った『フルーツ牛乳』が欲しいよねぇ。熱い湯から上がった後に、冷たい飲み物を腰に手を当ててグッと飲み干すのが至高の贅沢なんだから。それに、お部屋でぬくぬく過ごす時の暇つぶしに、前世の『オセロ』とか『将棋』みたいな手軽な盤上ゲームがあれば最高なんだけどなぁ……。そういうので家族やみんなで遊べたら、平和で楽しいのに」
前世の病院のプレイルームで遊んだボードゲームと、銭湯の自販機にあった懐かしい飲み物。
そんな、ささやかな昭和・平成の日本情緒を懐かしむだけの無害な独り言。
……のはずだった。
(温泉上がりの効能を高める冷たき聖水……! そして、脳を活性化させ争いを戦術遊戯へと変える神の盤上軍略……!?)
脱衣所の陰で、着替えのタオルを用意していた妹リリィが、カサカサと凄まじい速度でメモ帳を走らせていた。
カリカリカリカリカリッ……!
「すごいですわお兄様……! お風呂上がりの健康と、争いのない平和な娯楽まで見据えておられるなんて……! 私、すぐにお困りの方にお伝えしなくっちゃ!」
目を輝かせた天使(妹)は、タオルをそっと置くと、跳ぶような足取りで屋敷の応接室へと走っていった。
◇
その頃、男爵家の応接室では。
「はぁ……バルデン男爵、申し訳ありません。我がロザンティ商会も、いよいよここまでです……」
きっちりとしたスーツに身を包んだ美しい女性が、深々と頭を下げていた。
バルデン領の隣国まで手広く商売を行っていた大商人、シルヴィア・ロザンティ(28歳)である。
彼女は腕利きの商人だったが、商敵の卑劣な罠に嵌められ、多額の借金を背負わされて破産寸前まで追い込まれていた。旧知の仲であるアロイス男爵に最後の挨拶と支援の相談に訪れていたのだが、男爵家も辺境の弱小貴族。融資など望むべくもなかった。
「うーむ、シルヴィア殿。我が家も最近、急に家臣が増えて出費がかさんでおってな……」
アロイス男爵がお腹をさすりながら申し訳なさそうに首を振る。
そこへ、パタパタとリリィが飛び込んできた。
「シルヴィアさん! 落ち込まないでくださいな! 私のお兄様が、素晴らしいビジネスの『天啓』を仰っていましたわ!」
「……え? ルーカス様が……?」
リリィは胸を張ってメモ帳を広げた。
「『温泉から上がった後は、保冷魔法でキンキンに冷やした新鮮な牛乳に果汁と砂糖を混ぜた極上の飲み物を飲むのが至高の贅沢である』! さらに! 『白と黒の裏表の駒を交互に挟んでひっくり返す誰でも遊べる盤上ゲームを作れば、大流行して誰もが夢中になる』って!」
「な……なんですって……!?」
シルヴィアの商人としての鋭い嗅覚が、激しい警報を鳴らした。
(待って……!? 温泉の湯上がり需要に合わせた特製コールドドリンク!? そして『誰でも直感的に理解できて中毒性の高い盤上ゲーム』……!? それ、どれだけの市場規模になるの!?)
シルヴィアは弾かれたように応接室を飛び出し、ルーカスの部屋へと猛ダッシュした。
◇
「——で、これがオセロかい?」
「あ、うん。暇だったから、ブラムに頼んで作ってもらった木製の駒なんだけど……」
自室のテーブルで、ルーカスは呆然とシルヴィアを見上げていた。
ルーカスの前には、緑色の布を敷いた盤と、表が黒・裏が白に塗られた単純な木製の丸い駒が並んでいた。
ルーカスがルール(相手の駒を挟んだら自分の色にひっくり返す)を説明し、適当に数手打ってみせると——。
「っ……!!」
シルヴィアの全身に鳥肌が立った。
(シンプル! あまりにもシンプルなのに……奥が深すぎる! 読める! 盤面の形勢が一気に逆転する爽快感! 子どもから老人、貴族から庶民まで……一度触れば全員が病みつきになる中毒性!!)
「ルーカス様ぁぁぁッ!!」
ドバァンッ!! とシルヴィアがテーブルに両手を突き、ルーカスに顔を近づけた。
「ひぇっ!? な、なに!?」
「この『オセロ』と『将棋』の製造・販売権! そして湯上がり専用ドリンク『フルーツミルク』の独占販売権を、我がロザンティ商会に委ねてくださいッ!! ロイヤリティの三割……いえ、五割をお支払いいたします!!」
「えっ……? いや、ただの暇つぶしだし、牛乳に果汁混ぜただけだからお金なんて——」
「甘いですルーカス様! これは世界経済を塗り替えるメガヒットコンテンツです!!」
シルヴィアの目が黄金色の欲望と感謝でギラギラに輝いていた。
「見えた……私には見えました! 男爵家の露天風呂を中心に、周りに極上の宿とスパ、そしてこの『オセロ大会』を開催する巨大な『バルデン温泉娯楽街』を建設いたします! 全国の富豪と貴族から金貨をむしり取り……いえ、最高の癒やしを提供してみせますわ!!」
「また大ごとになろうとしてるーーーッ!?」
ルーカスが悲鳴を上げる。
「さらに! 王都の破産しそうな優秀な商人仲間や、暇を持て余しているイベントプランナーどもにも『ここに伝説のパトロンがおられる』と即刻連絡を飛ばします!!」
「呼び寄せないでぇぇぇッ!!」
◇
それから、わずか一ヶ月後。
バルデン男爵領の裏山周辺は、異次元の「一大温泉リゾート」へと変貌を遂げていた。
ブラム率いるドワーフ職人集団が爆速で建設した豪華な木造和風旅館群。
ギドが開発した保冷魔石付きのボトルで売られる、キンキンに冷えた甘酸っぱい「バルデン特製フルーツミルク」。
そして、宿の至るところで「角を取った!」「ひっくり返されたー!」と歓声が上がる「第一回・全王国オセロ選手権大会」。
王都や近隣の領地から、噂を聞きつけた大富豪や高位貴族たちが豪華な馬車で殺到し、男爵領には連日見たこともない量の金貨が雪崩のように運び込まれていた。
「ふはははは! 破産寸前だった我が商会が、王国トップの『バルデン商業ギルド』として完全復活いたしましたわ!」
札束……ならぬ金貨の山を前に、極上の笑顔を浮かべるシルヴィア。
「うむ! 温泉に入った後のフルーツミルクは格別だな! 腰の調子も完璧だ!」
防衛の合間にフルーツミルクを腰に手を当てて一気飲みする国防総監ラグナル。
「ルーカス、我が家の金庫がもう溢れそうなんだが、どうすればいいかい……?」
札束の山に囲まれて困惑する父アロイス。
「お兄様! みんなとっても楽しそうですわーッ!」
パチパチと手を叩いて喜ぶリリィ。
そして——。
特製リクライニングチェアの上で、冷たいフルーツミルクを一口すすったルーカスは、ガクガクと膝を震わせながら天井を見上げていた。
「あ、あれ……? 僕はただ……お風呂上がりに冷たいジュース飲んで、家族でオセロがしたかっただけなのに……なんで我が家が王国一の大富豪になってるの……!?」
ただぬくぬく平和に暮らしたい少年の小さなボヤキは、男爵領を「世界屈指のハイテク娯楽温泉都市」へと爆発進化させ、世界中の経済構造すらも巻き込んでいくのだった。
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