第2話:二重サッシとスプリングベッドを頼んだ覚えはない
温水水道が爆誕してから、わずか三日後。
バルデン男爵家の館は、朝からどこかソワソワとした心地よい気配に包まれていた。
洗面所の蛇口をひねれば、いつでも絶妙な温かさのお湯が湧き出る。
朝一番の顔洗いは感動的なほど快適になり、使用人たちの薪割り作業の負担も激減。父アロイスも母エレナも「ルーカスのおかげで人生が豊かになった」と毎日大絶賛であった。
「ふふふ……まあ、結果オーライだよね。ギドは怪しい奴だけど、危険さえなければ温水水道は神インフラだし」
自室の木製ベッドに腰掛け、ルーカスは満足げにうなずいた。
だが、秋の深まりとともに忍び寄る「北東辺境領の寒気」だけは、どうにも誤魔化せないものがあった。
ひゅぅぅぅ……。
窓の木枠の僅かな隙間から、ピシピシと冷たい隙間風が室内に入り込んでくる。
「……うう、寒い。やっぱりこの時代の窓って、羊皮紙か薄い一枚ガラスだから断熱性能がゼロなんだよなぁ」
ルーカスは身を縮こまらせ、自身の腰にそっと手を当てた。
「それに、この藁と硬い綿を詰めただけのベッドも、寝返りを打つたびに腰がギシギシ言う。前世の病院のベッドは、適度な反発力があるスプリングマットレスだったから腰に優しかったのに……。健康第一の僕にとって、睡眠環境の悪化と腰痛は万病の元だよ。二重サッシの窓と、体圧を分散するマットレスがあれば、風邪もひかないし長生きできるのになぁ……」
ぽろりと零れ落ちた、前世の快適空間を懐かしむだけの無害なボヤキ。
もちろん、部屋には誰もいない。一人でぬくぬく毛布にくるまっていたルーカスだったが——
(お兄様……! またしても『神の天啓』を……!!)
なんと、ルーカスの健康を心配してココアを持ってきかけていた妹リリィが、ドアの隙間からその言葉をバッチリ聞き取っていたのだ。
カリカリカリカリカリッ……!
リリィの愛用メモ帳に、恐ろしい精度でルーカスのボヤキが変換されていく。
『寒気と魔気をシャットアウトする二重の透明障壁』
『背骨の歪みを補正し、永続的な安眠と健康をもたらす体圧分散型魔弾床』
「すごいですわお兄様! 領民の健康と住環境まで見据えておられるなんて……! 私、すぐにお友達に教えてあげなくっちゃ!」
目を輝かせた天使(妹)は、ココアのカップをそっとお盆に戻すと、跳ぶような足取りで街へ駆け出していったのである。
◇
その頃。
バルデン領の街道沿いにある酒場では、巨大な酒樽のような体躯をした男が、頭を抱えて唸っていた。
「くそがッ! どいつもこいつも『見栄えが良ければいい』『安く建てろ』だと!? 建築のなんたるかも分からん大馬鹿貴族どもめが!」
ドワーフ族の伝説的建築家・鍛冶職人であるブラム・アイアンハンマー(210歳)である。
頑固で妥協を許さない性格が災いし、前の雇い主である隣領の子爵と大喧嘩をして飛び出してきたばかりだった。職人としての誇りを理解されない絶望のなか、彼はバルデン領の路地裏で一人くだを巻いていたのだ。
「頑丈で、暖かく、住む者の命を守る家をつくって何が悪い! だが……俺の技術をもってしても『冬の冷気を完全に遮断する構造』や『背骨を痛めない寝床』の正解が見つからん……!」
頭を抱えるブラムの横を、可憐な少女がパタパタと走り抜けた。
リリィである。彼女は近所の職人仲間を見つけると、自慢げにメモ帳を広げた。
「ねえねえ! 私のお兄様が言っていたの! 『窓を二重にして空気の層を挟めば、冷気は入ってこない』『金属の発条を布で包んで敷き詰めれば、腰が痛くならない理想のベッドになる』って!」
「……あ?」
ブラムの耳が、ぴくりと跳ね上がった。
(窓を……二重にして空気の層を挟む……!? 金属の発条を……布で包んで敷き詰め、体圧を散らす……!?)
ブラムの頭の中で、長年解決できなかった建築と構造技術の「最大の壁」が、音を立てて崩れ去った。
「な……なんだその理論はぁぁぁぁぁッ!?」
ドンッ!! とブラムがテーブルを叩き割らんばかりの勢いで立ち上がった。
「空気そのものを断熱材として使うだと!? 発条の弾力性を寝具に応用するだと!? どこだ……どこの天才だそんな概念を思いついた奴はぁぁぁッ!?」
「きゃっ!? おじさんだれ? 私のお兄様はバルデン男爵家のルーカスお兄様ですわ!」
「ルーカス様……! おお、またしてもあのバルデン家か! 噂の温水水道を作らせたという創世の天才……!」
ブラムは豪快に涙を流しながら、リリィの手を固く握りしめた。
「お嬢ちゃん! 案内しろ! 俺の全技術とドワーフの誇りをかけて、その『神の建築理論』を形にしてみせる!!」
◇
「……というわけで、また押し寄せてきたよルーカス」
「兄さん、デジャヴかな? 既視感がすごいんだけど」
その日の夕方。
男爵家の庭で、カイル兄さんが「脱力の流儀」で取り押さえているのは、ヒゲもじゃのドワーフ(ブラム)だった。
「離せぇぇ! 俺はルーカス様にお会いして『二重サッシ』と『スプリング』の仕様書を拝み込みたいだけだぁぁぁッ!」
「落ち着きなさい、無断侵入者。僕の弟の静寂を乱す者は許さない」
相変わらずカイルは眉一つ動かさず、完璧な脱力でブラムの巨体を片手でいなしている。ドワーフの怪力が、カイルの滑らかな体幹の前ではまったく意味をなさない。
ルーカスは物陰から怯え顔を覗かせた。
「あの……僕、ただ『部屋が寒くて腰が痛いな』って思っただけなんですけど……」
「妄想などではないッ! 貴方様の発想は、建築史を千年進める偉業ですぞルーカス様ぁぁぁッ!」
ブラムは取り押さえられたまま、地面にドゲザの姿勢をとった。
「お願いだ! 俺をこの屋敷の建築長として雇ってくれ! 領内の鉱山から極上の鉄と銅を掘り出し、防弾・断熱の二重窓と、王族すら狂喜する極上のマットレスを創り出してみせる!!」
(ぼ、防弾!? そこまで求めてないんだけど!? でも……温かい部屋と腰痛にならないベッドは、本気で喉から手が出るほど欲しい……!)
健康と快適さの誘惑に、ルーカスの意志はあっけなく屈した。
「……安全工事を徹底すること。爆発音を出さないこと。それでいいなら……お試しくらいで……」
「ぬおおおおおッ! 感謝いたすルーカス様ぁぁぁッ! 一晩で屋敷全体を異次元の快適空間に変えてみせますぞーーーッ!」
◇
そして——翌朝。
「……んあ?」
ルーカスは、信じられないほどの「まどろみ」の中で目を覚ました。
身体が重くない。腰に一切の違和感がない。
まるで雲の上に乗っているかのように、全身の圧力が優しく分散されている。
「な、なんだこの包み込まれるような寝心地は……!? 腰が、腰がまったく痛くない……!!」
さらに驚くべきことに、室内が信じられないほど暖かい。
いつもなら早朝の冷気が肌を刺すはずなのに、部屋全体が春先のような心地よい温度に保たれていた。
ルーカスが跳び起きて窓辺に駆け寄ると——。
そこには、極厚の金属フレームに、寸分の狂いもなく二枚の特殊ガラスが嵌め込まれた、超精密な「二重サッシ窓」が設置されていた。
「す、すごい……! 外の風の音が一切聞こえない! 完璧な断熱と防音だ……! 前世の高級マンションレベルじゃないか!?」
ルーカスが感動に打ち震えていると、ドアが豪快に開いた。
「ルーカス様ぁぁぁッ! いかがですかなッ!?」
目の下に巨大な隈を作り、全身金属粉まみれのブラムと、なぜか地下から這い出してきたギドが並んで立っていた。
「ブラム殿の二重サッシとスプリングマットレス、そして俺の温水配管を床下に張り巡らせた『床暖房システム』の融合……! これぞルーカス様のご神託が生んだ、至高の快適空間にございます!」
「と、床暖房まで作っちゃったの!?」
ルーカスは驚愕した。
温水水道、二重サッシ、スプリングベッド、そして床暖房。
前世の日本でも最高峰の「快適・健康住宅」が、異世界の怪力ドワーフと狂気のマッドサイエンティストの手によって、わずか一晩で完全再現されてしまったのだ。
「おお……! ルーカス、素晴らしいぞ! 朝起きても体が冷えない!」
父アロイスが部屋に飛び込んできて感動の声を上げる。
「ええ、ルーカスのアイデアのおかげで、今年の冬は誰も風邪をひかずに済みそうですわ!」
母エレナも嬉しそうに微笑んでいる。
「お兄様! 本当にすごいですわーッ!」
リリィがパチパチと手を叩いて跳びはねる。
(すごい……! 完璧だ! これで冬の寒さで体調を崩す心配もゼロ! 腰痛ともおさらばだ! 最高の長生きライフが送れるぞ……!)
ルーカスが満面の笑みでブラムに感謝を伝えようとした、その時だった。
「ふはっ……ふははははッ!」
ブラムは自らの拳を固く握りしめ、怪しく目を輝かせていた。
「見えた……俺には見えたぞ! この『二重サッシ構造』と『高弾性スプリング』を応用すれば……どんな魔物の襲撃にも耐え、吹雪すらシャットアウトする『不落の快適要塞都市』が作れる……!!」
「えっ? 要塞都市……?」
「屋敷だけでは終わらせん! バルデン領すべての民家にこの二重サッシと床暖房を導入し、全領民が全裸で冬を越せる『常春のイノベーション都市』を建設する!! さらに王都の頑固な職人仲間どもにも『ルーカス様のもとへ来い』と招集状を送ったぞ!!」
「全裸で冬を越す!? また変人を呼び寄せるの!?」
「はいッ! ドワーフの最高技術者集団、総勢二十名がすでにこちらに向かっております! さあ、バルデン領の大改修工事の始まりだぁぁぁッ!」
「待って!? 僕はただ自分の腰を労わりたかっただけなの!!! ちょっと待ってブラムーーーッ!?」
ルーカスの悲鳴を余所に、ブラムは巨大な金槌を振り回しながら工事の指揮へ飛び出していった。
ぬくぬくと温かい床の上で、ルーカスはガクガクと膝を震わせる。
「あ、あれ……? 僕の『長生きスローライフ』って、どこに向かってるの……!?」
ただ腰を痛めたくない少年のささやかな願いは、男爵領を王国最強の「超ハイテク快適要塞」へと変貌させる暴走の歯車を、さらに激しく加速させるのだった。
「ここまでお読みいただきありがとうございます!『続きが気になる!』『ボヤキ生活を応援したい』と思ってくださったら、画面下の【ブックマーク登録】や、【評価の★★★★★】をポチッと押していただけると、執筆の凄まじい励みになります!どうぞよろしくお願いします!」




