第1話:頼んでないのに温水水道が爆誕した件について
「……ふぅ、平和だなぁ」
午後。陽当たりの良いバルデン男爵家のテラスで、ルーカスは温かいハーブティーを一口すすり、深々とソファに身体を預けた。
鳥のさえずり。心地よい風の音。
前世では決して味わえなかった、病院の外の「本物の日光」と「澄んだ空気」。
膝の上には、前世のうろ覚えな記憶をもとに、柔らかい綿をふんだんに詰めて作ってもらった特注の極厚クッション。お尻が痛くならない魔法の逸品だ。
「体調は完璧。怪我の危険もなし。このまま本でも読みながら、ぬくぬくと夕飯の時間を待つ……これぞ究極の長生きライフだよ」
ルーカスが満足げに目を細めていた、その時だった。
——ドドドドドドドドドッ……!!
「……ん?」
屋敷の石畳の街道の向こうから、地鳴りのような猛烈な足音が迫ってきた。
ただ事ではない音だ。まるで暴走した魔物の群れでも押し寄せてきているかのような緊迫感。
「ルーカス、下がりなさい!」
一瞬で風を切ってテラスに飛び出してきたのは、兄のカイルだった。
腰の長剣に手をやり、凛とした佇まいで庭の門を見据えている。……のだが、その姿勢にはまったく無駄な力みがない。毎朝のラジオ体操で培われた体幹の極意により、どんな突発的な事態にも脱力したまま最速で対処できる構えであった。
「な、なに? 何が来たの兄さん!? もしかして敵襲!? 爆発物!?」
前世のガス爆発事故のトラウマが蘇り、ルーカスは青ざめて極厚クッションを抱きかかえた。
「落ち着きなさい、ルーカス。怪しい人影は一名……だが、尋常ではない殺気(?)……いや、執念の魔力をまとっている!」
ズドンッ!!
男爵家の立派な鉄製門扉が勢いよく蹴破られ……もとい、開きっぱなしだった門を通り抜けて、一人の男が庭へと転がり込んできた。
「はぁッ……はぁッ……! ここかッ!? 神の天啓を授けられし、バルデン男爵家はここなのかぁぁぁッ!?」
現れたのは、ボサボサの髪に目の下に酷いクマを作った、20代半ばほどの痩せこけた青年だった。
着ている白衣は焦げ跡と薬品のシミだらけ。右手にはしっかりと、妹リリィの可愛らしい絵柄が入ったメモ帳が握りしめられている。
「止まりなさい! 無断侵入者! バルデン家長男カイルが相手になる!」
「邪魔だぁぁぁッ! 俺はルーカス様にお会いしなければならんのだぁぁぁッ!」
男はなりふり構わずカイルに向かって突進した。
カイルは眉一つ動かさず、ぬるりと滑らかな動きで男の突進を受け流し、首根っこをひょいと掴んで取り押さえた。
「くっ……な、なんだこの無駄のない動きは!? 衝撃がすべて逃げていく……!?」
「静かにしなさい。僕の弟を怖がらせる者は許さないぞ」
冷ややかな、しかし完璧に脱力した笑顔で圧をかけるカイル。
ルーカスは物陰からひょっこりと顔を出し、おずおずと尋ねた。
「あの……僕がルーカスですけど……僕に何か用ですか?」
その瞬間、取り押さえられていた男の目が、かっと見開かれた。
「貴方が……貴方が、あの『神の技術仕様書』を口にされたルーカス様ですかぁぁぁッ!?」
「ひぇっ!? 神の……なに?」
男は感涙にむせびながら、掴まれたままの手で持っていたメモ帳をルーカスに見せつけた。
「俺の名はギド・ヴァルハイト! 王都の錬金術ギルドを『実験で爆発を起こしすぎる』という下らぬ理由で追放され、路頭に迷っていた錬金術師です!」
(うわぁ、一番関わりたくない危険人物だ……!)
ルーカスは思わず一歩後ずさった。爆発を起こす錬金術師なんて、前世のトラウマに直撃する危険物以外の何物でもない。
「だが今日! 街でこの天使のようなお嬢さん(リリィ)から、このメモを見せられた時の衝撃……! 脳を雷で撃ち抜かれたようでした!」
ギドは興奮のあまり泡を吹きそうな勢いで捲し立てる。
「『蛇口をひねるだけで、薪も使わず瞬時に温かいお湯が出る』……! そしてその原理は『水と火の魔石による二重循環熱交換システム』……!! なんだその神の如き理論はぁぁぁッ!?」
「え、ええ……? ただの『あったらいいな』っていう妄想だけど……」
「妄想なものかぁぁぁッ!」
ギドの叫びに、屋敷の中から父アロイスや母エレナ、そして「あ! お友達のギドさん!」と笑顔のリリィまで飛び出してきた。
「お兄様! ギドさんね、街の路地裏で頭を抱えて泣いていたから、お兄様のありがたいお言葉を教えてあげたの! そうしたら『その発想があったかー!』って叫んで、ここまで走っていっちゃったんですの!」
「リリィ……君が連れてきたのか……」
ルーカスは頭が痛くなってきた。
しかし、ギドの目は本物だった。スランプと追放で絶望の淵にいた男が、暗闇の中で一筋の極光(ルーカスの前世知識)を見出したのだ。
「ルーカス様! 従来の魔術師どもは『火の魔法で直接お湯を沸かす』ことしか考えなかった! だから魔力の調整が難しく、すぐ煮立ったり爆発したりしたんです! だが……『水冷の魔石で温度を均一に保ちつつ、火の魔石の熱を配管越しに伝える』という熱移動の concept(概念)……! これなら爆発の危険性はゼロ! 安全かつ連続して温水を供給できる!!」
「あ、いや……まあ、ガスの給湯器ってそういう仕組みだし……」
「ガ……ガスキュートーキ……!? なんという神々しい響き……! ルーカス様! お願いです! 俺をこの屋敷の使役人として雇ってください! 俺の全人生と錬金術のすべてを賭けて、その『給湯システム』を完成させてみせます!!」
ギドは地面に擦り付けんばかりの勢いで土下座した。
「うーむ」と父アロイスがお腹をさすりながら呟く。
「ルーカス、どうするかい? 行き場のない人を追い払うのも心が痛むが……」
「いや父さん、怪しすぎるし、何より爆発とか怖いから——」
断ろうとしたルーカスの言葉を遮ったのは、母エレナの優しい一言だった。
「あら、でもルーカス。本当にひねってお湯が出るようになったら、寒がりのアナタも冬場に手がかじかまずに済むんじゃないかしら?」
「……っ!?」
ルーカスの思考がピタリと止まった。
冬。極寒の北東辺境領。朝起きて、冷水で顔を洗う時のあの地獄のような冷たさ。
もし……もし本当に、蛇口をひねるだけで温かいお湯が出るようになったら?
手を洗うのも、お風呂に入るのも、どれほど快適で……どれほど「健康」に良いだろうか。
(いや待て、冷静になれ僕! こいつは危険な研究者だぞ! でも……温水水道の魅力には勝てない……!)
葛藤の末、ルーカスはゴクリと唾を飲み込んだ。
「……じゃあ、実験で爆発させないこと。絶対に安全第一で作ること。それを守れるなら……お試しでお願いしてみようかな」
「ッ!! ありがとうございますルーカス様ぁぁぁッ! 命に代えても安全完璧な温水水道を創り上げて見せます!!」
ギドは歓喜の涙を流しながら叫んだ。
◇
それからのギドの動きは、恐ろしいの一言だった。
屋敷の地下にある古びた配管室に立てこもったギドは、寝食を忘れて作業に没頭した。
バルデン領の倉庫に眠っていた「古代の石造り水路の予備パーツ」や「低品質で投げ売りされていた水・火の魔石」をかき集め、寝ずに魔法陣を刻み、管を繋ぎ合わせていく。
途中、「うおおお! 圧力が足りん!」「魔力の伝達効率を上げるには、銅の合金をこう加工すれば……!」という不気味な叫び声が地下から聞こえてきたが、ルーカスは関わらないように部屋の毛布に包まれていた。
そして——翌朝。
「ルーカス様! ルーカス様ぁぁぁッ! 出来ました! 出来ましたぞーーーッ!」
目の下に凄まじい隈を作り、全身煤だらけになったギドが、洗面所にルーカスを連れてきた。
そこには、ギドが一晩で組み上げた、奇妙な銅と魔石の絡み合う金属の器具(蛇口)が取り付けられていた。
「さあ! お捻りください! ルーカス様のご神託が、今ここに具現化いたします!」
「え、本当に大丈夫? 爆発しない……?」
「絶対に爆発しません! 安全装置として『過熱防止の自動魔力遮断陣』も組み込みました!」
ルーカスは恐る恐る手を伸ばし、金属のつまみをひねった。
——キュッ。
チョロチョロチョロ……と、蛇口から水が流れ出す。
そして、数秒後。
ほわぁぁぁ……。
湯気が立ち上り、心地よい温かさを持った「お湯」が、滑らかに注がれ始めたのだ。
「っ……!!」
ルーカスは思わず手を差しだした。
温かい。熱すぎず、冷たすぎず、完璧な40度前後の温水だ。
「お、お湯だ……! 薪も焚いてないのに、蛇口からお湯が出てる……!!」
「お兄様、凄いですわーッ! 本当にお湯が出ましたわーッ!」
リリィがパチパチと手を叩いて大喜びする。
「おお……! これはすごいぞルーカス! 朝の顔洗いが格段に楽になる!」
父アロイスも目を丸くして感心している。
ルーカスは温かいお湯で顔を洗い、その心地よさに深く深く感動していた。
(すごい……! 前世のあの『当たり前』が、この異世界で再現できた……! これで冬の洗顔で風邪をひく心配もない! 素晴らしいよギド!)
ルーカスが満面の笑みでギドを振り向いた、その時だった。
「ふはっ……ふははははッ!」
ギドは自分の手を見つめながら、狂喜の笑みを浮かべていた。
「完成した……! 王都の権威どもが『不可能だ』と笑った『無音・安全の連続給湯』が、わずか一晩で……! すべてはルーカス様のあの『一言』のおかげだ……!!」
ギドはガバッとルーカスの前に膝をつき、その手を両手で強く握りしめた。
「ルーカス様! 俺は確信しました! 貴方はただの男爵家の坊っちゃんではない……世界の文明を100年先へ進める『創世の天才』だ!!」
「えっ? いや、僕はただお湯が出たらいいなって思っただけで——」
「分かっております! 能ある鷹は爪を隠す! ですが俺はもう止まりません!」
ギドの目がメラメラと怪しい情熱で燃え上がる。
「屋敷だけでは足らん! このバルデン領全体に温水配管を張り巡らせ、全領民が温かいお湯を使える『世界初の温水インフラ都市』を作り上げましょう! さらに、街の職人仲間や、王都で燻っている優秀な変人どもも全員ここに呼び寄せます!!」
「えっ!? 全領民!? 変人を呼び寄せる!?」
「はいッ! 『ルーカス様のもとに行けば、新時代の扉が開く』と手紙を書きます! さあ、忙しくなりますぞぉぉぉッ!」
「待って!? そこまでやれなんて言ってないよ!? ちょっと待ってギド―――ッ!?」
ルーカスの悲鳴も虚しく、ギドは猛烈な勢いで手紙を書きに部屋を飛び出していった。
温かいお湯で洗ったばかりのルーカスの顔に、サーッと冷や汗が吹き出していく。
「あ、あれ……? 僕はただ、ぬくぬく温かいお湯で顔を洗いたかっただけなのに……なんでこんな大ごとになってるの……!?」
ただ健康に長生きしたい少年の思いとは裏腹に。
男爵領を、そして王国全体を揺るがす「暴走技術者集団」の結成へ向けて、事態は誰も止められない勢いで加速し始めていたのである。




