第7話
熱が下がって半月が過ぎた頃、私はクロード様に面会を申し入れた。
心はもう決まりかけていた。それでも十年をともに歩んだ相手だ。最後にもう一度だけ、正面から言葉を交わすべきだと思った。それが誠意というものだし、何より、後の私が振り返ったときに「やれることはすべてやった」と言えるように。
指定した日、彼は約束の時刻に半刻遅れて公爵邸へ現れた。
「すまない、出がけに少し立て込んで」
誰のことで立て込んだのかは、聞かなかった。応接間に向かい合って座り、茶が供され、扉が閉まる。私は真っ直ぐに彼を見た。
「クロード様。今日は一つだけ、お伺いしたいことがあってお呼びしました」
「改まってどうした。……ああ、この間の見舞いのことなら悪かったよ。どうしても外せなくて」
「その話ではありません」
私は静かに遮った。見舞いの件を蒸し返すつもりも、過去を一つひとつ数え上げて詰るつもりもなかった。そんなことをすれば、話は「どちらが悪いか」の応酬になり、彼は決まって幼馴染を庇う側に回る。十年間、繰り返されてきた光景だ。
ミレーヌ様とどちらが大切か、などと問うつもりもなかった。そんな問いは惨めなだけだし、答えなど、この十年が嫌というほど教えてくれている。だから私は、もっと単純なことを訊いた。
「あなたは、私の婚約者としての務めを、これから果たすお心づもりがおありですか」
部屋が、静まり返った。
「……何を言っているんだ、急に」
「難しいことは何も申しておりません。夜会に婚約者を同伴する。約束した日に約束の場所へ来る。病の床にある婚約者を、一度でも見舞う。……この十年、あなたが一度も果たしてくださらなかったことを、これから果たす気がおありかどうか。それだけです」
感情は込めなかった。声を荒らげもしなかった。ただ帳簿の数字を読み上げるように、事実だけを並べた。だからこそ、だろうか。クロード様の顔に、見る間に朱が差した。
「……ミレーヌのことを言っているのか」
「幼馴染の名前は、一度も出しておりません」
「出しているのと同じだろう! あの子には俺しかいないんだ。身寄りの少ない、体の弱い子を気にかけて何が悪い。君は公爵家の令嬢で、何もかも持っていて、一人でも立派にやれる。なのにその君が、あの子から俺を取り上げようというのか」
ああ、と思った。この人は最後まで、こうなのだ。
務めを果たすか、という問いに、彼は一言も答えなかった。答える代わりに、問いそのものを「ミレーヌいじめ」の枠に押し込めて、自分は弱き者の盾のつもりでいる。
「……クロード様。私は」
「はっきり言わせてもらうが、君は心が狭いよ、ヴィオレッタ」
その一言が、落ちた。
心が、狭い。十年間、席を譲り、約束を譲り、誕生日を譲り、病床の見舞いすら譲ってきた私が。
不思議と、怒りは湧かなかった。むしろ胸の中で、最後まで残っていた小さな迷いが、音を立てて消えていくのが分かった。私は微笑んで立ち上がり、完璧な淑女の礼をとった。
「よく分かりました。本日は、お越しくださってありがとうございます」
「わ、分かってくれたのか」
彼の顔に、あからさまな安堵が広がった。面倒な話が終わった、という顔。この期に及んで、彼は自分が何を失いつつあるのか、露ほども気づいていない。
「ええ。何もかも」
あなたという人を。この十年の意味を。そして、私がこれから何をすべきかを。
玄関まで見送りに出ることは、しなかった。応接間に一人残り、冷めた茶を眺めながら、私は胸の内で静かに区切りをつけた。誠意は尽くした。扉は、開けて見せた。そこを通らなかったのは、あの人自身だ。
心が狭い――その言葉を、私は生涯忘れないだろう。忘れないまま、幸せになってみせる。




