第3話
フォスター男爵令嬢ミレーヌという人を、私は長いこと測りかねていた。
線の細い、庇護欲を誘う容姿。囁くような声。少し困ったように下がる眉。彼女は誰かに支えられていなければ立てない花のような娘で、そして彼女を支える役は、いつだってクロード様だった。
社交界での評判も、決して悪くはない。健気で、慎ましやかで、身分をわきまえた娘。彼女を悪く言えば、言ったほうが意地悪に見える。そういう都合のいい場所に、彼女はいつも綺麗に収まっていた。
悪意があるようには見えない。ただ、弱いだけ。この十年、私はそう思おうと努めてきた。
けれどその夜、私は見てしまったのだ。
バルシュ伯爵家の夜会。その夜も、私は一人だった。クロード様は「所用を済ませたら必ず行く」と言ったきり、開宴から一時間が過ぎても姿を見せない。ミレーヌ様は先に会場入りしていたが、体調が優れないので控えの間で休んでいる、と聞いていた。
化粧を直そうと控えの間へ向かった私は、扉の手前で足を止めた。中から、鈴を転がすような笑い声が聞こえてきたからだ。
「――それでね、その仕立て屋ったら、本当におかしいのよ」
ミレーヌ様の声だった。
薄く開いた扉の隙間から、数人の令嬢に囲まれて朗らかに談笑する姿が見えた。頬は薔薇色に上気し、声には張りがあり、手にした果実水の杯を軽やかに掲げてみせる仕草には、病人の影など欠片もない。
別に、罪ではない。体調など移ろうものだ。病を押して夜会に出て、皆に囲まれるうち気が紛れ、つい笑うこともあるだろう。そう思い直して立ち去ろうとした、まさにその時だった。
「ミレーヌ、ここにいたのか。遅くなってすまない」
廊下の向こうから、聞き慣れた声がした。到着したばかりのクロード様が、足早にこちらへ歩いてくる。会場にいるはずの婚約者を探すより先に、真っ直ぐ、この控えの間へ。
変化は、一瞬だった。
扉の内側で、ミレーヌ様の背がすっと丸まった。薔薇色だった頬から生気が抜け落ち、代わりに儚げな翳が差す。彼女は胸元を押さえ、小さく咳き込みはじめた。こほ、こほ、と絹糸のように細い、繊細な音。周囲の令嬢たちが驚いて振り返るのと、クロード様が部屋へ飛び込むのが、ほとんど同時だった。
「大丈夫か。無理をするなと、あれほど言ったのに」
「ごめんなさい……皆様があんまり優しくしてくださるものだから、つい、嬉しくて……」
消え入りそうな声。彼の腕にそっと預けられる、羽根のように軽い体。甲斐甲斐しく介抱するクロード様の背中は、婚約者が同じ屋敷の中にいることなど、きっと思い出しもしていないのだろう。
私は扉の陰で、ただ立ち尽くしていた。
今夜の彼女の「体調不良」を、私は疑いもしていなかった。ならば、この十年に積み重なった数えきれない不調のうち、一体いくつが本物だったのだろう。
偶然かもしれない。たまたま、あの瞬間に具合が悪くなったのかもしれない。頭の中で、長年飼い慣らしてきた「善意の解釈」が、いつものように言い訳を並べ立てる。
けれど心の底では、それよりずっと冷たい声がしていた。あの鮮やかな変わり身は、稽古を重ねた役者のそれだ、と。
その時、ふいにミレーヌ様が顔を上げた。
クロード様の肩越し。俯く彼からは決して見えない角度で、彼女の視線が、まっすぐに扉へ――私へと向けられた。
目が合った。
儚げに潤んでいたはずの瞳が、ほんの一瞬、三日月の形に細められる。
それは見間違えようもなく、勝ち誇った者の笑みだった。
次の瞬間には、彼女はもう儚げな病人の顔に戻っていた。私は音を立てぬよう扉から離れ、輝く大広間へと引き返す。廊下の姿見に映った自分の顔は、我ながら感心するほど、完璧に微笑んでいた。




