第18話
それから、殿下との穏やかな交流が始まった。
交流といっても、大層なものではない。十日に一度ほどの、温室での茶会。ときどきの書状。貸し借りする本と、その感想のやりとり。ただそれだけの、ささやかな行き来だった。
けれど私は、その「ただそれだけ」の中で、何度も立ち止まることになった。
たとえば、ある茶会の帰り際。殿下は「次は庭園の白薔薇が開く頃に」と仰った。社交辞令だと思っていた。白薔薇が開いた朝、本当に招待状が届いた。約束の日、約束の刻限きっかりに、殿下は薔薇の前に立っておられた。
たとえば、ある雨の日。政務が長引いて、昼の約束に間に合わないと分かるや、殿下は先触れを寄越された。曰く、四半刻遅れる、理由は北方の水害対応、詫びとして次の茶菓は君の好みに合わせる、と。遅れたのは、たったの四半刻だった。
たとえば、何気ない立ち話で、私が「子どもの頃、流星群を見損ねたのが心残りで」と漏らしたとき。殿下は何も仰らなかったのに、半月後の書状には天文官の予測が同封されていた。次の流星群は秋の初め、観測には王宮の北の塔が最適である、と。
――当たり前のことだ。約束を守る。遅れるなら知らせる。聞いた言葉を、覚えている。
貴族として、いいえ、人としての、ごく当たり前の礼儀。なのに私は、そのたびに驚いてしまう。約束が守られるたび、胸のどこかで身構えていた「どうせ今回も」が空振りして、行き場をなくすのだ。そして空振りが重なるたび、身構えること自体を、少しずつ忘れていく自分がいた。
ある晩、湯浴みのあとで、その話をぽつりと漏らしたら、エルネスタは繕い物の手を止めて、うつむいてしまった。
「エルネスタ?」
「……お嬢様。畏れながら、申し上げます」
顔を上げた彼女の目は、赤くなっていた。
「殿下がなさっているのは、特別なことではございません。約束を守る。遅れたら詫びる。相手の言葉を覚えている。……それが、普通なのでございます。この十年が、異常だったのです」
言葉に、詰まった。
「お嬢様は、約束を破られるたびに『あの方もお忙しいから』と仰いました。置き去りにされるたびに『私が至らないから』と。違うのです。何ひとつ、お嬢様のせいではなかった。約束を守らない側の不実を、守られない側の不足にすり替えては、いけなかったのです。それをずっと、お伝えしたかった」
涙声で言い切って、エルネスタは深々と頭を下げた。私は何も言えないまま、ただ彼女の肩に手を置いた。普通、という言葉が、こんなに沁みる夜があるなんて、知らなかった。
同じ頃、レーヴェルト侯爵家では、当主が最後の望みを賭けて、嫡男の新たな縁談を探し回っていた。家格を三つ落とし、持参金を上乗せし、条件を限界まで譲っても、返ってくる答えは判で押したように同じだった。
「あの噂のご子息では、いくら条件が良くとも、大切な娘が可哀想ですので」
十七度の同伴放棄と、九度の約束反故。あの夜会でヴィオレッタが読み上げた数字は、いまや社交界の共有財産だった。誰も、約束を守らない男に娘を渡したりはしない。
当のクロードは、断られるたびに首を傾げていたという。
「おかしい。婚約者の務めくらい、次は果たすと言っているのに」
次は。その言葉を信じてもらえる者と、もらえない者の違いを、彼は生涯かけても理解できないのかもしれなかった。信用とは、口約束ではなく、守られた約束の積み重ねの上にしか宿らないのだということを。




