第16話
約束の日の午後、王宮の温室は、硝子越しの陽射しに満ちていた。
南国の花々の間を案内されて奥へ進むと、小さな白い卓と椅子が二脚、それに――袖をまくって茶器と格闘している、第二王子殿下の姿があった。
「……来たか。座っていてくれ。すぐに淹れる」
「殿下、給仕の方は」
「下がらせた。招いたのは私だ。茶くらい私が淹れる」
言い切った殿下は、湯気の立つ薬缶を手に、東国渡りだという茶葉と睨み合っていた。その眼差しは国境の軍議でもしているかのように真剣で、しかし手つきは、どこからどう見ても素人のそれだった。卓の上には、すでに失敗したらしい茶葉の山が、ひっそりと築かれていた。
湯は明らかに熱すぎた。茶葉は多すぎた。蒸らしは短すぎた。私は口を挟むべきか三度迷い、三度呑み込んだ。やがて差し出された茶杯の中身は、堂々たる仕上がりの、渋くて濃い何かだった。
殿下は自分の杯を一口含み、真顔のまま、しばし沈黙した。
「…………すまない。これは茶ではない何かだ」
こらえきれなかった。
気がつけば私は、声を上げて笑っていた。淑女の笑い方ではない。扇で隠すことも忘れ、肩を震わせ、目尻に涙まで浮かべて。氷の王子と呼ばれる御方が、たかが茶の失敗にこの世の終わりのような顔をしているのが、どうしようもなくおかしかったのだ。
「し、失礼いたしました……あの、殿下、蒸らしのお時間が」
「笑い終えてから指南してくれて構わない。急いではいない」
「ふ、ふふ……申し訳ございません……っ」
ひとしきり笑ってから、私は席を立ち、二杯目を淹れた。湯を少し冷まして、茶葉を量り、香りが立つのを待つ。殿下は私の手元を、それこそ軍議のような真剣さで観察していた。
淹れ直した茶を一口飲んで、殿下は目を見開いた。
「……同じ茶葉とは思えん」
「殿下の一杯目があってこその二杯目でございます」
「慰めが上手いな」
軽口を返しながら、ふと、殿下の口元が緩んだ。ほんの僅かな、けれど確かな微笑だった。
「君のその顔が見たかった」
「……え?」
「作られた完璧な微笑ではなく、今のように声を立てて笑う顔だ。夜会で君を見るたび、思っていた。この令嬢は、心から笑ったらどんな顔をするのだろうと。……十年越しの疑問が、今日ようやく解けた」
頬に、じわりと熱が上った。慌てて茶杯に口をつけたけれど、せっかく淹れ直した二杯目の味は、もうよく分からなかった。
しばらく、硝子屋根を透かした光の中で、静かな茶の時間が流れた。政略の話も、あの婚約の話も出ない。読んだ本の話、旅先の話、茶葉の話。殿下は口数の多い方ではないけれど、私の言葉を遮らず、聞き流さず、時折、短く鋭い感想を返してくださる。ただそれだけの時間が、砂糖菓子のように甘く感じられるのが、我ながら不思議だった。
帰り際、温室の出口で、殿下は不意に立ち止まって振り返った。
「ヴィオレッタ嬢。私は回りくどいのは嫌いだ。だから先に言っておく」
銀灰の瞳が、真っ直ぐに私を射抜いた。
「私は君に求婚するつもりで動いている。むろん、君の心が決まるまで、指一本触れんし、返事も求めん。……だが逃げるなら、今のうちだ」
言うだけ言って、殿下はさっさと歩き出してしまった。返事に窮する私を置いていくのは、答えを急かさないという、あの方なりの不器用な気遣いなのだと、少し経ってから気がついた。
取り残された私は、熱くなった頬を両手で押さえ、南国の花々の中で、しばらく立ち尽くしていた。




