第14話
大夜会から十日。名門レーヴェルト侯爵邸は、かつてない嵐の中にあった。
婚約解消の申し入れは、王家立ち会いのもと正式に受理された。裁定は明快だった。婚約不履行の責はすべて侯爵家側にあり、十年分の支度と名誉の毀損に対し、多額の賠償金を公爵家へ支払うこと。さらに嫡男クロードが独断で男爵家へ流した金銭についても、当主の管理責任が厳しく問われた。
「なぜだ……なぜ、こんなことに」
執務室で頭を抱える侯爵のもとへは、連日、凶報だけが積み上がるように届いた。
アルディエール公爵家の後ろ盾を失った、という報せは、商人たちの間を火のように駆け巡った。侯爵領の葡萄酒を扱っていた大商会が、まず取引の縮小を申し入れてきた。続いて王都の銀行が融資条件の見直しを通告し、縁談が進んでいた分家の令嬢は、先方から断りを入れられた。
社交界は、もっと残酷だった。夜会の招待状がぱたりと途絶え、夫人が主催する茶会には、欠席の返事ばかりが積み上がった。長年かけて築いた信用が、たった一夜で砂の城のように崩れていく。あの大夜会の一部始終は、尾ひれをつけながら国中の貴族の耳へ届いており、いまやレーヴェルトの名は「婚約者を蔑ろにした家」の代名詞になりつつあった。
その渦中にあって、当のクロードだけが、奇妙なほど楽観的だった。
「父上、ご心配には及びません。あれはヴィオレッタが感情的になっただけです。誤解を解いて頭を下げれば、婚約も、公爵家との関係も、元に戻せます。あれはそういう、聞き分けのいい女ですから」
「……おまえは」
侯爵は、まじまじと息子の顔を見た。千の来賓の前で数字を挙げて断罪され、王子にまで事実を突きつけられて、それでもなお、この息子は何も理解していない。理解する能力がないのではない。十年間、理解しなくても許されてきたから、理解する習慣そのものが、この男には育っていないのだ。
そして誰よりも早く風向きを読んだのは、ミレーヌだった。
「ひどいわ、皆して私を悪者にして……私、何も悪いことなんてしていないのに」
侯爵邸の応接間で、彼女は今日も涙ぐんでいた。けれどその涙は、以前のように場を支配しなかった。使用人たちの目は冷ややかで、夫人に至っては同席すら拒んでいる。
「私はただ、困っていることをクロード様にお話ししただけよ。助けてくださったのはクロード様の御心で……それを私のせいだなんて、あんまりだわ。そうでしょう?」
同意を求めて見回した応接間に、頷く者は一人もいなかった。
助けを乞うた者に責はなく、助けた者の善意だけがあった――彼女の理屈は、いつもそうやって綺麗に閉じている。四十件を超える金銭も、十四度の仮病も、彼女の中では「クロード様が勝手にしてくださったこと」なのだった。
週の終わり、侯爵はついに息子を執務室へ呼びつけた。
卓上には二枚の書類が置かれていた。一枚は、フォスター男爵家との一切の関係を絶つ誓約書。もう一枚は――廃嫡の手続き書だった。
「選べ、クロード。あの娘と縁を切り、一からやり直すか。それとも、あの娘とともにこの家を出るか」
「な……父上、正気ですか。ミレーヌは家族同然の」
「その言葉が、この家を潰したのだ!」
侯爵の怒声が、邸中に響いた。積年の甘やかしを悔いる父親の声は、怒りよりも、悲痛に近かった。
クロードは二枚の書類を前に、蒼白な顔で立ち尽くした。選ぶ、ということを、この男は生まれてから一度もしたことがなかった。




