第11話
「ヴィオレッタ……!? どういうことだ、なぜ殿下と」
我に返ったクロード様が、声を抑えることも忘れて詰め寄ってきた。広間中の耳が、こちらへ向けられているのが分かる。隣で青ざめるミレーヌ様を置き去りにして駆け寄ってくるあたりが、いかにもこの人らしかった。
「なぜ、とは異なことを仰います。迎えの馬車は参りませんでした。断りのお言葉ひとつ、いただいておりません。婚約者に捨て置かれた身を、殿下が憐れんでくださっただけのこと」
「そ、それは……事情があったんだ。ミレーヌが」
「存じております」
私は静かに、彼の言葉を断ち切った。
「ドレスが間に合わないと泣かれたのでしょう? まことに難儀なことでございました。……もっとも、今宵のお召し物は、見事に間に合っておいでのようですけれど」
ミレーヌ様の肩が、びくりと跳ねた。周囲の視線が、一斉に真新しい薔薇色のドレスへ注がれる。誰かが小さく、まあ、と声を漏らした。
「ヴィオレッタ、君らしくもない。皆の前でそんな嫌味を――」
「嫌味を申し上げに参ったのではございません」
私は一歩進み出て、広間に届く声で、はっきりと告げた。
「クロード・レーヴェルト卿。本日この場をお借りして、アルディエール公爵家は、レーヴェルト侯爵家とのご婚約の解消を申し入れます」
どよめきが、波のように広間を走った。楽団の音が乱れて止まり、給仕たちまでもが足を止める。国中の貴族が見守る中での、婚約解消の宣言。この国の社交史に残るであろう一幕が、いま始まったのだ。
「な……しょ、正気か!? こんな公の場で、そんな」
「こんな場だからこそ、ですわ。両家の婚約は社交界に広く知られたもの。ならばその終わりも、皆様の前で明らかにするのが筋というもの」
私は袖から扇を抜き出すように、淀みなく続けた。感情は要らない。日付と、事実だけでいい。
「理由を申し上げます。この十年、あなた様が婚約者としての務めを果たされなかったこと。建国祭の夜会をはじめ、公式の場での同伴放棄が確認できるだけで十七度。約束の反故が九度。婚約十周年の記念の約束も、当日に破棄されました。私が病に伏せった七日間、あなた様は一度もお見舞いにいらっしゃらなかった。そして本日、大夜会の同伴の約束を、私への断りもなく他の令嬢へお譲りになった」
一つ数え上げるごとに、広間の空気が変わっていくのが分かった。同情と、納得と、そして静かな非難。それらのすべてが、目の前の二人へと向かっていく。
「それらすべてについて、私は一度として、あなた様を責めませんでした。あなた様のお立場を、幼馴染の令嬢のご事情を、十年間、慮り続けて参りました。その私が話し合いを望んだ折、あなた様が下さったお言葉は――『君は心が狭い』。それだけでございました」
「ち、違う、あれは」
「何が違うのでしょう。どうぞ、この場でご訂正くださいませ。皆様が聞いてくださっています」
クロード様は口を開き、そして、何も言えなかった。訂正すべき言葉を、彼は持っていないのだ。あの言葉は紛れもなく本心だったのだから。広間の静寂が、彼の沈黙を千の証人とともに記録していく。
「……この、恩知らずが。誰のおかげで次期侯爵夫人の座に――君はやはり、心が狭い女だ!」
追い詰められた彼が、ついに声を荒らげたその時。
私の半歩前へ、静かに進み出る影があった。
夜色の衣を纏った第二王子が、凍てつく銀灰の瞳で、クロード様を見据えていた。




