第5話 忘れられた叔父
翌朝、河内俊介が写真館を訪れたのは九時過ぎだった。
約束は明後日だったはずだ。ルカが怪訝な顔をすると、河内は眼鏡の奥の目を泳がせた。
「すみません、早いのは分かっているんですが……昨夜、少しおかしなことがありまして」
ルカは黙って客間に通し、茶を出した。今朝の茶は少し濃い。昨夜の写祓の疲労が残っていて、ポットに茶葉を入れすぎた。河内はしばらく湯気を見つめてから、声を落として話し始めた。
「帰り道で、人に会ったんです。街灯の下に立っていた……狐の面をつけた男でした」
ルカの手が止まった。
「狐の面」
「ええ。青緑色の。こちらをじっと見ていて——耳元で『お前は思い出したな』と」
河内は茶碗を両手で包みながら、言葉を探していた。
「怖くはなかったんです。不思議と。むしろ……なんというか、安堵を感じました。それで、夢じゃないかと思ったんですが、今朝起きたら叔父の顔がはっきり思い出せるんです。名前も。河内佐助——溺れて死んだ叔父の名前が、急に」
河内の目が赤くなっていた。
「写真、もうできていますか」
ルカは立ち上がり、封筒を持ってきた。ティンタイプを河内に手渡す。黒塗りの金属板に定着された佐助の姿。家族の輪の中で笑う少年。金属板の表面が、河内の掌の体温に反応するように温まっていくのが見えた。
河内は長い間、写真を見つめていた。
「叔父です」声がかすれた。「間違いありません」
ルカは言葉を探して、見つからなかった。河内が涙を拭くのを待ち、茶を注ぎ足した。写祓が終われば依頼者は泣く。いつもそうだった。忘れていた人の顔を見て、忘れていたことに気づいて、泣く。ルカはその涙を待つのが仕事の一部だと思っていた。自分の感情は挟まない。ただ茶を注ぎ、待つ。
河内が去ったあと、ルカは窓を閉め、椅子に座った。
河内は泣いていた。忘れていた叔父の顔を見て。忘れていたこと自体に泣いていた。——あれが、忘却の重さだ。忘れていた時間は穏やかだが、思い出した瞬間に、その穏やかさが嘘だったと気づく。
ルカは客間の花瓶を見つめた。金色の筋が走った陶器。誰が直したのか分からない花瓶。——自分にも、忘れているものがあるのだろうか。河内のように、泣くべきものを忘れているのだろうか。
胸の奥が、かすかに痛んだ。いつもの痛みだ。原因のない痛み。内科で診てもらっても異常なし。健司先生に「ストレスでしょう」と言われた。でも——ストレスではない気がする。何かを失くした場所が、中身のない引き出しのように、からんと鳴っている。
狐の面の男。クロ。昨日の来訪者。あの男が河内にも接触したということは、写祓の成否を見ていたことになる。写真館を、あるいはルカ自身を、どこかから見ていた。
——影向稲荷へ行け。静江に聞けば分かる。
クロが残した言葉が、頭の中で繰り返される。お前の姉が封印したもの。姉。
ルカは立ち上がった。コートを羽織り、カメラバッグを肩にかけた。動くしかない。考えているだけでは分からないことがある。




