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第25話 奥宮

 チヨの手紙を読んだ翌朝、ルカは写真館の客間に座っていた。


 手紙は机の上にある。昨夜、何度も読み返した。二つの選択肢。封印を強化するか、解くか。そして途切れた最後の一文——「クロのことです。彼は——」。


 クロは窓辺に立ち、外を見ている。昨夜から一言も話していない。


 蓮が温かい飲み物を用意した。三つのカップを並べ、自分もテーブルについた。しばらく誰も口を開かなかった。


「奥宮に行く」


 クロが言った。振り返らずに。


「すべてを話す。そこで」


 ルカは無言で応じた。蓮は黙ってノートを鞄に入れた。


 三人は影向稲荷に向かった。チクワも一緒だった。猫は今日、ルカの肩に乗ることを選んだ。降ろそうとしても降りない。爪がコートの肩に食い込んでいる。行かせろ、と言っているようだった。


 境内は無人だった。朝の光が鳥居を照らし、石畳に影を落としている。掃き清められた玉砂利の上を歩く。本殿を通り過ぎ、裏手の細い山道に入った。普段なら見過ごすような道。灌木に隠された石段が、苔の下に続いている。だが今日は、その石段が月明かりのように白く浮かび上がって見えた。朝なのに。ルカの目が——青く光っているのかもしれない。


 山道を登る。道幅は一人分しかない。両側から椎の木が覆いかぶさり、頭上に緑のトンネルを作っている。朝日が葉の隙間から差し込み、光の粒が空中を漂っている。埃ではない。光そのものが粒子になって浮いている。写し世の気配が強い場所では、光が目に見える形を取る。


 クロが先頭を歩いている。彼の足取りが、いつもと違った。迷いがない。この道を知っている。何度も歩いた道のように。


 道は山の中腹に続き、苔むした古い鳥居が現れた。本殿の鳥居より遥かに古い。石の表面が風化し、刻まれた文字はもう読めない。鳥居の柱に手を触れると、石が脈打つような感触があった。温かい。生きている石。何百年もの祈りが、石の繊維に染みついている。


 鳥居をくぐった瞬間、空気が変わった。湿り気と古木の匂い。時間が層になって積み重なっている感覚。足を踏み入れるたびに、別の時代を踏んでいるような。鳥の声が遠くなった。風の音が消えた。ここだけが、外界から切り離されている。


 蓮の装置が、針を振り切った。蓮は装置を見つめ、静かにポケットにしまった。数値では測れない場所に来たことを、受け入れたのだ。


「ここが奥宮」


 小さな神殿だった。屋根は苔に覆われ、壁面には狐の彫刻が施されている。扉は開いていた。


 中は暗かった。だが天窓から光が差し込み、中央の石の台と、それを取り囲む九枚の鏡を照らしている。鏡はそれぞれ異なる方角を向き、光を複雑に反射させている。一枚の鏡に入った光が隣の鏡に跳ね、さらに次の鏡に渡っていく。九枚の鏡が、一筋の光を九方向に分散させ、神殿の内壁に光の網目を描いていた。


 石の台は人の背丈ほどの高さがあり、表面は磨かれている。何百年もの間、手で触れられ続けた石の表面は、肌に吸いつくような滑らかさだった。台の縁に、細い溝が刻まれている。欠片を嵌める溝だと、直感的に分かった。


 床は土間で、踏みしめると柔らかい。落ち葉と苔と、その下に敷き詰められた砂利。壁の隅には蜘蛛の巣が張り、天窓の縁には鳥の巣の跡がある。人間の場所ではなく、自然が取り戻しかけている場所。だがその中心の石の台と九枚の鏡だけが、人間の——いや、人ならざるものの秩序を保っていた。


 ルカは五つの欠片を取り出し、台の上に並べた。声、願い、時、光、影。五つの結晶が共鳴するように光り始め、鏡に反射して、神殿全体が青い光に満ちた。


 蓮が息を呑んだ。装置を出す手が震えている。だが測定ではなく、スケッチブックを取り出した。この光景を、科学ではなく目で記録することを選んだ。


 クロが石の台の前に立った。


 五つの欠片の光が、彼の面を照らしている。青い光の中で、面の表面に亀裂のような線が走った。古い漆が、光に反応して裂けていくように。


「外すわ」


 ルカが言った。


 クロは動かなかった。


「外して。あなたの顔を見せて」


 長い沈黙。鏡の反射が、神殿の壁に青い模様を描いている。チクワがルカの肩から降り、クロの足元に歩いていった。猫はクロの足首に額を押しつけた。


 クロの手が、面に触れた。


 紐を解く。ゆっくりと。面が顔から離れていく。


 下にあったのは——


 若い男の顔だった。二十代前半。白い肌。鋭い顎。だが目元は——チヨだった。姉の目。穏やかで、温かく、少しだけ悲しい目。右目に円形の紋様がある。左目は普通の人間の目。だがその色は——金色だった。チクワと同じ色。


 男の顔に、女の目。人間の輪郭に、人ならざる光。


 ルカは、クロの首筋に気づいた。白い痣が一箇所だけある。毛も生えず、色も抜けた古い跡。月光を反射した鏡の青い光の下で、その痣だけが鈍く、青く発光して見えた。


「それ——」


「千年前の少女に噛まれた跡だ」


 クロは首筋に、指を当てた。そのまま少し動かない。疼いているのだ——ルカにはなぜか分かった。


「神の肉体でも、治らなかった。人間の情熱の強さは、そういうものだ」


「私は——」


 クロの声が、初めて面なしで聞こえた。低い男の声。だがその奥に、かすかにチヨの声がある。二重ではない。混ざっている。一つの声の中に二つの音色がある。


「——狐神の、片割れだ」


 ルカの呼吸が止まった。


「七年前、チヨが封印した時、狐神の力は九つの欠片に分かれた。だが意識は二つに割れた。一つはチヨの魂の中に。もう一つが——俺だ」


「狐神にはもともと二つの側面があった。記憶を守るシロと、記憶を浄化するクロ。チヨの封印で一つになるはずだったが、封印が不完全だったせいで、シロの側はチヨの魂に留まり、クロの側が——俺として現世にこぼれ出た」


 クロの目——チヨの目——が、ルカを見つめた。


「俺はチヨの記憶を持っている。断片的に。彼女の感情が俺の中にある。だから——お前のことを知っていた。お前がフィルムの巻き上げ方を覚えた日も。唐辛子を初めて食べた日も」


 ルカの目に涙が浮かんだ。


「チヨの一部なの。あなたは」


「一部であり、別の存在でもある。俺は俺だ。だがチヨなしには存在しない」


 クロは自分の手を見下ろした。光に照らされたその手が、一瞬だけ半透明になった。


「不完全なんだ。俺も、封じられたチヨも。二つに割れた意識は、どちらも欠けている」

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