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第19話 隠された真実

 祭壇の前に立った。


 薔薇窓からの光が、ルカの体を包み込んだ。赤、金、青、緑——色が肌に触れるような感覚。温かさではなく、圧力。色そのものが重みを持って、彼女を押している。赤い光は胸の上に落ち、心臓の鼓動に合わせて脈打っている。青い光は腕を伝い、指先まで流れていく。金色の光は頭上から降り注ぎ、髪の一本一本に絡みつくように。


 この教会のステンドグラスは、普通のものではなかった。キリストや聖人の姿ではなく、抽象的な模様が組み合わされている。円と螺旋と、九つに分かれた光の筋。狐神の伝承と、西洋の教会建築が融合した、この土地だけの信仰の形。


 光が肌に沁みていく。日焼けのような熱さではない。もっと深い場所——骨の奥、記憶の底に届く光。光を浴びるたびに、封じ込めていたものが表面に浮かび上がってくる。


 周囲の音が遠ざかった。教会が消え、クロと蓮とジョセフが消え、光だけの空間にルカは一人で立っていた。


 映像が現れた。


 最初は幸福な記憶だった。幼い頃、二人で遊んだ裏庭。チヨが笑いながらルカを追いかける。写真を撮る父。見守る母。


 映像が暗くなった。別の場面。夜。チヨが庭に立っている。十八歳くらい。誰もいない暗闇に向かって、何かを話している。笑ったり、頷いたり。見えない相手と会話している。


 窓の内側から見ているルカ。十一歳。カーテンの隙間から姉を見ている。


 怖かった。


 映像が切り替わる。翌朝。チヨが朝食の席でいつも通り笑う。「ルカ、今日は何して遊ぶ?」ルカは笑い返す。だが胸の中に、冷たいものがある。昨夜見たものを忘れたい。姉が何をしていたのか、聞きたくない。


 さらに別の場面。チヨが影向稲荷で巫女装束を着ている。鏡に向かって何かを唱えている。その周囲に青い光が渦巻き、チヨの目が——別の色に変わっている。


 ルカは部屋の隅で膝を抱えている。怖い。姉が怖い。姉が、人間ではないものになっていく。


 ——そして。


 光の中で、最も残酷な記憶が浮かび上がった。


 姉が封印された日の翌朝。十五歳のルカが目を覚ます。記憶はまだ消えていない。姉がいなくなったことを知っている。悲しい。泣いている。


 だが、その悲しみの底に——小さな、認めたくない感情がある。


 ほっとしている。


 もう、怖い姉を見なくていい。もう、暗闇に話しかける姉の背中を見なくていい。もう、自分とは違う世界に行ってしまった姉に追いつけない苦しみを感じなくていい。


 安堵。


 ルカは光の中で膝をついた。


 これが、隠していた真実。姉を救えなかった無力感ではなく——姉がいなくなって、ほっとした自分がいたこと。その罪悪感が、感情の蓋を閉じさせた本当の理由。「姉を救えなかった」という物語で覆い隠していた、もっと醜い真実。


「……知ってた」


 声が震えていた。


「知ってたのに、認めなかった」


 光が強まった。白く、眩しく、容赦なく。目を閉じても光は消えない。瞼の裏まで照らされている。


 逃げ場がない。


 ルカは目を開けた。光の中で、チヨの姿が見えた。二十二歳のチヨ。巫女装束。あの日と同じ。だが表情が違う。怒っていない。悲しんでいない。


 微笑んでいた。


「知ってるよ」


 チヨの声が聞こえた。光の中の残響。過去の残響。


「怖かったよね。ごめんね、ルカ」


 その声に、ルカの中で何かが砕けた。七年間、罪悪感の下に封じ込めていたもの。姉への愛と、姉への恐怖が、同時に溢れ出した。


「ごめんなさい——」


「謝らないで」


 チヨの声が遠くなっていく。


「あなたは来てくれた。それだけで十分」


 光が収束した。薔薇窓の中心から、青い結晶がゆっくりと降りてくる。虹色の光を内包した、四つ目の欠片。


 ルカは両手で受け止めた。


 代償が来た。何かが剥がれていく。今度は明確に分かった——チヨが怖かったという記憶そのものが消えていく。姉を恐れた夜、カーテンの隙間から見た姿、膝を抱えた部屋の隅。それらが色を失い、溶けていく。


 ——あ、また消える。


 シャッターを切るたびに、像が銀塩に焼きつく。それと同じ音で、自分の中の何かが剥がれ落ちる。撮ることと失うことは、同じ動作の表と裏だった。


 何が消えたのか、もう言葉にできない。ただ——時計を見ても、時刻が読めるのに、その数字が「朝」なのか「夜」なのか分からなくなった。さっきまで確かにあった何かが、指の間から砂のようにこぼれた。


 矛盾だった。たった今向き合った真実を、手に入れた瞬間に忘れる。だが、向き合ったという事実は残る。体が覚えている。心が覚えている。理由は消えても、変化は消えない。


 ルカは教会の長椅子に座り、しばらく動かなかった。体が重い。だが重さの質が違う。これまでの代償は何かを「奪われた」感覚だった。今回は違う。何かを「手放した」感覚。怖かった姉。その記憶を手放した。自分から。奪われたのではなく、受け入れて、手放した。同じ「失う」でも、全く違うことだと初めて知った。


 ルカは祭壇の床に座り込んだ。手の中の結晶が、静かに明滅している。頬が濡れていた。いつから泣いていたのか分からない。


 足音が近づいた。蓮とクロが祭壇に駆け寄ってくる。


「大丈夫か」


 クロの声。


「……ええ」


 ルカは立ち上がった。蓮が驚いた顔をしている。


「ルカさん、あなたの目——」


「何?」


「一瞬だけ……青く光っていました」


 ルカは自分の顔に手を当てた。何も変わった感触はない。だがクロが、面の向こうで息を詰めたのが分かった。


「影写りの巫女の証だ」


 クロの声が低かった。


「チヨも同じだった」


 その一言に、ルカは何も答えなかった。ただ、胸ポケットに手を入れた。四つの欠片が入っている。そしてその隣に——懐中時計。


 取り出して、文字盤を見た。


 針が動いていた。


 七時四十三分。


 封印の時刻から、一分だけ進んでいた。いつ動いたのか分からない。光の中にいた間か。結晶に触れた瞬間か。


 ルカは時計を見つめた。秒針は止まっている。だが確かに、長針が一目盛り分、前に進んでいた。


「封印が……揺らいでいる」


 クロの声に、恐れと希望が同居していた。


 ジョセフが杖をつきながら近づいてきた。薔薇窓から差す光が、彼の白髪を虹色に染めている。


「四つ目だ。あと一つで、姉の手紙を読む資格が整う」


「手紙のことまで知っているんですか」


「チヨは賢い子だった。すべてを計算に入れていた」


 老人は窓の外を見た。日が傾き始めている。


「今夜はここで休んでいきなさい。明日の朝、最後の場所への道を教えよう」


 三人は教会の地下室で夜を過ごした。質素だが清潔な寝床。蓮はノートに書き込みを続け、クロは隅で座ったまま動かなかった。


 ルカは横になり、天井を見つめた。


 光の中で見た真実を、もう思い出せない。何に向き合ったのかは知っている。だが内容が消えている。チヨが微笑んでいたことだけが、鮮明に残っている。「知ってるよ」「怖かったよね。ごめんね」という声だけが。


 ポケットの懐中時計を握った。七時四十三分。一分の変化。小さいが、確かな動き。


 封印が揺らいでいる。チヨに、近づいている。


 眠りに落ちる直前、蓮の声が聞こえた。


「ルカさん」


「なに」


「さっき……光の中で、何を見たんですか」


 長い間があった。


「……もう忘れた」


 嘘ではなかった。

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