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ようこそ、異世界ホテル"Aequitas"へ  作者: 嘯江 新(ウソブエ シン)


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8/12

第8話「Aequitas」

翌朝。


Hotel Aequitas。


従業員用宿舎。


「…………」


アラタ・ナナサキは鏡の前に立っていた。


制服の襟を整える。


ネクタイを締め直す。


一度。


二度。


そして。


「……何を緊張してるんだ、私は」


鏡の中の自分へ呟いた。


理由は分かっている。


昨夜。


黒衣の宿泊客から聞いた話。


――かつて、この世界には人間がいた。


魔力も弱い。


身体能力も高くない。


寿命も長くない。


それでも。


様々な土地へ適応し。


道具を作り。


仕組みを作り。


他種族と共に生きた。


そして。


消えた。


理由は。


まだ分からない。


さらに。


――本当に偶然だと思うか?


自分がこの世界へ来たこと。


フレーレオへ辿り着いたこと。


Hotel Aequitasを見つけたこと。


すべてが。


偶然ではないかもしれない。


そして昨夜。


ブラッドリー・シュチュワードは言った。


――明日の朝、私の執務室へ来てください。


――お話しします。


――Hotel Aequitasというホテルが、なぜ“Aequitas”と名付けられたのかを。


「…………」


アラタは。


小さく息を吐いた。


「行くか」


扉を開けた。



総支配人執務室。


コンコン。


「どうぞ」


「失礼いたします」


アラタが入る。


広い。


だが。


想像していたほど豪華ではなかった。


大きな机。


書棚。


応接用のソファ。


Hotel Aequitasの紋章。


そして。


大量の書類。


「……総支配人って感じですね」


ブラッドリーが顔を上げる。


「何がです?」


「書類」


机の上。


山。


「大変そうだなと」


「代わりますか?」


「遠慮します」


即答。


ブラッドリーが笑う。


「どうぞ」


ソファを示す。


アラタが座る。


ブラッドリーも向かいへ。


しばらく。


二人とも話さない。


先に口を開いたのは。


アラタだった。


「昨日の話」


「はい」


「覚えてますよね」


「もちろんです」


「じゃあ」


アラタは。


真っ直ぐ見る。


「教えてください」


ブラッドリーの表情から。


笑みが消える。


「Hotel Aequitasについて」


「……承知しました」


ブラッドリーは。


ゆっくり立ち上がった。


壁へ向かう。


そこには。


Hotel Aequitasの紋章。


天秤。


その左右を。


異なる形の翼が囲んでいる。


「この紋章」


ブラッドリーが言う。


「何に見えます?」


「天秤」


「はい」


「左右が……同じ高さ」


「そうです」


アラタは。


少し考える。


「平等?」


ブラッドリーが。


振り返る。


「近いですね」


そして。


言った。


「Aequitas」


「……」


「古い言葉です」


ブラッドリーは。


天秤へ視線を戻す。


「意味は」


一拍。


「公平」


そして。


「公正」


アラタの目が。


少し開く。


Aequitas。


公平。


公正。


「だから」


アラタは呟く。


「天秤……」


「はい」


ブラッドリーは頷く。


「このホテルが掲げる理念は」


静かに。


「非常に単純です」


アラタを見る。


「この扉をくぐった者に」


一拍。


「敵はいない」


アラタの表情が変わる。


「……」


あの日。


黒衣の客。


周囲から恐れられていた。


敵視されていた。


それでも。


ブラッドリーは。


客として迎えた。


――当ホテルにとっては、お客様です。


ようやく。


あの言葉の意味が。


繋がった。


「種族」


ブラッドリーは続ける。


「身分」


「……」


「国家」


「……」


「思想」


「……」


「信仰」


「……」


「そして」


一拍。


「ホテルの外で、互いにどのような関係にあるのか」


ブラッドリーは言う。


「それらを」


Hotel Aequitasの紋章を見る。


「このホテルの扉の前へ置いていただく」


アラタは。


黙って聞く。


「もちろん」


ブラッドリーは続ける。


「何をしても許されるという意味ではありません」


「……ホテルのルール」


「その通りです」


「館内で暴力を振るえば」


「退館していただく場合があります」


「他の客を脅せば」


「対応します」


「犯罪行為なら」


「必要な措置を取ります」


アラタは頷く。


公平とは。


何でも許すことではない。


誰かだけを。


特別に許すことでもない。


「全員に」


アラタが言う。


「同じルールを適用する」


ブラッドリーは微笑む。


「それが基本です」


だが。


アラタは。


昨日までの研修を思い出す。


翼のある種族。


大型種。


水棲種。


高温種。


低温種。


荷物に触れられることを嫌う種族。


「……でも」


「はい」


「同じサービスはしない」


ブラッドリーの目が。


少しだけ細くなる。


「どういう意味でしょう」


試されている。


アラタは考える。


「公平だからって」


ゆっくり。


「全員に同じ部屋を出したら駄目ですよね」


「はい」


「翼のある客には広い空間が必要」


「はい」


「大型種には耐荷重」


「はい」


「水棲種なら水」


「はい」


「つまり」


アラタは。


Hotel Aequitasの紋章を見る。


「全員を同じように扱うことが」


一拍。


「公平とは限らない」


沈黙。


ブラッドリーが。


笑った。


「素晴らしい」


「研修で散々失敗しましたから」


「経験は重要です」


「サンディーさんと同じこと言わないでください」


ブラッドリーは笑う。


そして。


再び座る。


「Hotel Aequitasが目指しているのは」


「はい」


「同じサービスを提供することではありません」


「……」


「どの種族であろうと」


一拍。


「等しく、“客として尊重される場所”であることです」


アラタは。


静かに。


その言葉を聞いた。



「いつからあるんです?」


アラタが聞く。


ブラッドリーの表情が。


少し変わる。


「非常に古くから」


「何年?」


「正確には分かりません」


「……ホテルなのに?」


「記録が失われています」


アラタが眉をひそめる。


また。


失われた記録。


人間。


古い文献。


Hotel Aequitas。


「創業者は?」


ブラッドリーは。


少し間を空けた。


「不明です」


「不明?」


「はい」


「この規模のホテルで?」


「はい」


「そんなことあります?」


「実際に」


ブラッドリーは言う。


「分からないのです」


アラタは。


黙る。


「残っている最古の記録には」


ブラッドリーが続ける。


「すでにHotel Aequitasが存在しています」


「じゃあ」


「誰が建てたのか」


「……」


「なぜ建てたのか」


「……」


「なぜ」


ブラッドリーは。


紋章を見る。


「この理念を掲げたのか」


一拍。


「分かっていません」


アラタの胸が。


ざわつく。


「それって」


「はい」


「人間がいた時代と」


言いかける。


ブラッドリーは。


否定しない。


「重なる可能性があります」


沈黙。


「じゃあ」


アラタは。


少し前へ。


「このホテルを作ったのが」


「ナナサキ」


ブラッドリーが。


静かに止める。


「まだ」


「……」


「分かりません」


アラタは。


口を閉じる。


そうだった。


ブラッドリーに言われた。


一つの話だけで。


結論を出すな。


歴史は。


見る者によって姿を変える。


「すみません」


「いいえ」


ブラッドリーは。


少し笑う。


「知りたい気持ちは理解できます」


「……」


「ですが」


「はい」


「急がないことです」


アラタを見る。


「あなたには今」


一拍。


「もっと覚えていただかなければならないことがありますので」


嫌な予感。


「……何です?」


ブラッドリーが。


机の上から紙を取る。


アラタへ。


「本日の研修予定です」


「…………」


アラタは紙を見る。


午前。


フロント。


午後。


予約。


夕方。


客室。


夜。


料飲補助。


「現実に戻された」


「ホテルマンですから」


「仮です」


「まだ言いますか」


「重要です」


ブラッドリーは笑う。


「では」


立ち上がる。


「研修へ」


「はい……」


アラタも立つ。


扉へ。


そのとき。


「ナナサキ」


「はい?」


ブラッドリーが言う。


「一つだけ」


アラタが振り返る。


「あなたが」


一拍。


「このホテルへ来た理由を」


ブラッドリーは。


静かに。


「私も知りたいと思っています」


アラタは。


少し驚く。


「総支配人も?」


「ええ」


「……」


「人間が」


ブラッドリーの目が。


ほんの少し。


鋭くなる。


「再びHotel Aequitasの扉をくぐった理由を」


アラタは。


その言葉を。


聞き逃さなかった。


「……再び?」


沈黙。


ブラッドリーが。


ほんの一瞬。


止まる。


アラタの目が細くなる。


「今」


一歩。


「“再び”って言いました?」


「…………」


「ブラッドリーさん」


「研修に遅れますよ」


「誤魔化した!」


「時間厳守です」


「絶対何か知ってるでしょう!」


「ナナサキ」


笑顔。


「遅刻は認めません」


「総支配人!」


扉が閉まる。


「…………」


アラタは。


廊下に一人。


「……油断ならないな」


Hotel Aequitas。


また。


謎が増えた。



午前。


フロント。


「今日は予約業務の基礎」


担当。


サンディー。


「昨日より平和そうですね」


アラタが言う。


「そう思う?」


「やめてください」


「何も言ってないだろ」


「このホテルでその言い方はフラグなんですよ」


「フラグ?」


「私の世界の言葉です」


サンディーが肩をすくめる。


「まず」


魔導端末を操作する。


「予約」


「はい」


「宿泊日」


「はい」


「人数」


「はい」


「部屋タイプ」


「はい」


「食事」


「はい」


「種族」


「……やっぱり入るんですね」


「重要」


「ですよね」


さらに。


「翼の有無」


「はい」


「必要水量」


「はい」


「適正室温」


「はい」


「魔力耐性」


「はい」


「日光耐性」


「……ホテルの予約項目じゃない」


「ここでは予約項目」


「慣れます」


アラタは。


少しずつ。


受け入れ始めていた。


サンディーが言う。


「で」


「はい」


「予約を受けたら」


「うん」


「客室を決める」


アラタが頷く。


ホテルでは。


予約内容。


客の要望。


客室状況。


様々な条件を考慮し。


宿泊客へ部屋を割り当てる。


ルームアサイン。


客室の割り当て。


単純に。


空いている部屋へ入れればいい。


というものではない。


「たとえば」


サンディーが表示する。


「この客」


翼あり。


高所を好む。


朝日を避ける。


「どこにする?」


アラタが考える。


「高層階」


「うん」


「朝日避けるなら西側?」


「うん」


「翼を広げるなら天井高い部屋」


「正解」


「おお」


「じゃあ次」


大型種。


重量。


大。


高温。


「耐熱客室」


「うん」


「床の耐荷重も確認」


「うん」


「低層階?」


「なぜ?」


「もし魔導昇降機が止まったら移動困難」


サンディーが。


少し止まる。


「……なるほど」


「違います?」


「いや」


笑う。


「いい判断」


アラタは。


少しだけ嬉しくなる。


「やっぱ経験者だな」


「まあ」


言って。


止まる。


また。


自然に。


ホテルの仕事をしている。


しかも。


少し楽しい。


「…………」


「どうした?」


「何でもないです」


認めたくない。


まだ。



そのとき。


フロント。


少し離れた場所から。


声。


「その部屋では困る」


アラタが見る。


宿泊客。


二人。


一人は。


鳥のような翼を持つ種族。


もう一人は。


全身を厚い毛に覆われた大型種。


フロントスタッフが対応している。


「申し訳ございません」


「予約したのは隣室だ」


翼の客が言う。


「同行者と隣同士で泊まりたい」


スタッフが困っている。


アラタが。


端末を見る。


二人。


同行者。


希望。


隣室。


だが。


割り当て。


別フロア。


「何で離れてるんです?」


アラタがサンディーへ小声。


「部屋見てみろ」


確認。


翼種。


高層階対応。


大型種。


耐荷重対応。


条件。


両方満たす隣室が。


ない。


「……なるほど」


アラタが理解する。


同じサービス。


同じ場所。


それが。


必ずしもできない。


だが。


客は。


一緒に泊まりたい。


「難しいな……」


朝。


ブラッドリーの言葉。


――同じサービスを提供することではありません。


――等しく、客として尊重される場所であること。


アラタは。


端末を見る。


客室一覧。


一つ。


気になる。


「サンディーさん」


「何?」


「この部屋」


指差す。


「何?」


「コネクティング?」


サンディーが。


少し驚く。


「よく分かったな」


「間に扉がありますよね」


コネクティングルーム。


隣り合う客室を。


室内の扉で行き来できるようにした部屋。


家族。


グループ。


同行者。


そうした宿泊客に利用されることがある。


ただし。


「片方」


アラタが見る。


「通常客室」


「うん」


「大型種には無理」


「そう」


「……でも」


もう一度見る。


その隣。


「この部屋、設備変更できません?」


サンディーの目が変わる。


「どうする」


「ベッド」


アラタが言う。


「大型種用へ交換」


「……」


「床」


「補強板を入れれば耐えられる」


「室温」


「魔導空調を個別設定」


「時間は?」


「……」


アラタが。


時計を見る。


客。


まだチェックイン前。


「ハウスキーピングと設備に確認」


サンディーが。


少し笑う。


「やってみる?」


「私が?」


「研修」


「またそれ!」


それでも。


アラタは。


動いた。



三十分後。


「ご用意できます」


アラタが。


二人の宿泊客へ言う。


「本当か?」


「はい」


「完全に同じタイプのお部屋ではございませんが」


説明。


片方。


翼種対応。


もう片方。


大型種対応へ調整。


そして。


室内扉。


「お部屋の中で行き来していただけます」


二人の客が。


顔を見合わせる。


「それなら」


翼の客が。


少し笑う。


「十分だ」


大型種も頷く。


「助かった」


アラタは。


自然に。


笑顔になった。


「ありがとうございます」


違う。


同じ部屋を。


提供したわけではない。


同じ設備でもない。


でも。


二人が求めていた。


“一緒に泊まりたい”。


そこは。


同じ。


アラタは。


朝の言葉を思い出す。


公平。


同じにすることではない。


必要なものを。


必要な形で。


「……Aequitas」


小さく呟く。


「何?」


サンディー。


「いや」


アラタは。


少しだけ笑う。


「やっと」


Hotel Aequitasのロビーを見る。


「このホテルの名前が分かった気がして」


サンディーは。


何も言わない。


ただ。


笑った。



その夜。


黒衣の客の部屋。


コンコン。


「失礼いたします」


アラタが。


月蜜のホットドリンクを持って入る。


黒衣の客が見る。


「頼んだ覚えはない」


「昨日頼むって言いましたよね」


「……そうだったか」


「忘れないでください」


カップを置く。


黒衣の客が飲む。


一口。


「悪くない」


「もうそれ、“美味しい”って意味ですよね」


「違う」


「はいはい」


アラタは。


少し笑う。


そして。


聞く。


「Aequitas」


黒衣の客の手が。


止まった。


「……何だ」


「今日」


アラタは。


椅子に座らない。


従業員として。


適切な距離。


「名前の意味を聞きました」


「……」


「公平」


「……」


「公正」


黒衣の客は。


黙る。


アラタが続ける。


「この扉をくぐった者に」


一拍。


「敵はいない」


カップが。


静かに。


テーブルへ置かれる。


「……誰から聞いた」


「ブラッドリーさん」


黒衣の客の声が。


少し低くなる。


「そうか」


「知ってたんですか」


沈黙。


「このホテルの理念」


黒衣の客は。


窓を見る。


「知っている」


「昔から?」


「……ああ」


アラタの目が。


少し細くなる。


「じゃあ」


一拍。


「人間がいた頃から?」


沈黙。


黒衣の客は。


答えない。


だが。


今度は。


アラタも。


追わない。


「失礼しました」


一礼。


「お飲み物、ごゆっくりどうぞ」


扉へ向かう。


「アラタ」


「はい」


黒衣の客が。


背中を向けたまま。


言った。


「その言葉」


「……?」


「この扉をくぐった者に、敵はいない」


「はい」


長い沈黙。


そして。


「それを最初に言った者を」


アラタの身体が。


止まる。


黒衣の客が。


静かに。


「私は知っている」


アラタが。


振り返る。


「……誰です?」


黒衣の客は。


答えない。


代わりに。


一言。


「人間だ」


アラタの目が。


大きく開く。


「え……?」


窓の外。


二つの月。


夜のHotel Aequitas。


公平。


公正。


種族を問わず。


客を迎えるホテル。


その理念を。


最初に口にした者。


それは。


かつて。


この世界に存在した。


人間だった。


そして。


アラタはまだ知らない。


Hotel Aequitasという場所が。


人間の歴史を。


ただ知っているだけではない。


その歴史の中に。


最初から。


存在していたことを。


――第8話 完

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