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ようこそ、異世界ホテル"Aequitas"へ  作者: 嘯江 新(ウソブエ シン)


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6/12

第6話「夜のホテル」

夜のHotel Aequitasは、昼とは別の顔をしていた。


ロビーの照明は少し落とされ、巨大な窓の向こうにはフレーレオの夜景が広がっている。


空には二つの月。


街を走る魔導灯の列。


遠くでは、飛行船のような乗り物がゆっくりと空を横切っていた。


「……綺麗だな」


アラタ・ナナサキは、思わず足を止める。


現実世界のホテルでも、夜景を売りにするホテルはたくさんあった。


高層階。


街の灯り。


レストラン。


バー。


客室から見える景色そのものが、ホテルの商品になる。


だが。


これはさすがに。


「異世界には勝てないな……」


空に月が二つある。


それだけで反則だ。


「何をしているんです?」


後ろから声。


アラタが振り返る。


副支配人。


ナナリー・ヘイズワッド。


「夜景見てました」


「勤務中ですが」


「……はい」


アラタは背筋を伸ばす。


「すみません」


「休憩時間なら問題ありません」


「今は?」


「研修中です」


「ですよね」


ナナリーが歩き出す。


「本日は夜間帯の館内業務を見ていただきます」


「夜勤?」


「一部だけです」


「俺、昨日まで宿泊客だったんですけど」


「今日から従業員です」


「切り替え早いなあ」


「ホテルは二十四時間営業です」


その言葉に。


アラタは少しだけ苦笑した。


「それは、俺の世界も同じです」


ホテルには。


“閉店”がない。


レストランには営業時間がある。


売店にも。


施設にも。


だが。


ホテルそのものは。


客がいる限り動き続ける。


深夜でも。


早朝でも。


誰かがフロントに立つ。


電話が鳴る。


客室から問い合わせが来る。


緊急事態が起きる。


だからホテルには。


夜勤がある。


アラタ自身も経験していた。


「懐かしいです?」


ナナリーが聞く。


「……少し」


「嫌いでしたか?」


「夜勤?」


「はい」


アラタは考える。


「忙しい日は地獄でした」


「そうでしょうね」


「でも」


一拍。


「静かな時間は嫌いじゃなかったです」


ナナリーがちらりと見る。


アラタはロビーを見回す。


昼間ほど人はいない。


足音。


小さな会話。


時計の音。


遠くでグラスが触れ合う音。


「昼間とは違うんですよ、ホテルって」


「……」


「夜中のロビーって、妙に静かで」


アラタは少し笑う。


「この建物に泊まってる何百人って客が、今どこかの部屋で寝てるんだなって思うと」


言いかけて。


止まる。


ナナリーが言った。


「意外ですね」


「何が?」


「あなたがホテルを嫌っているようには聞こえません」


「…………」


「ナナリーさん」


「はい」


「そういうところ、ブラッドリーさんに似てきましたよ」


「不本意です」


「総支配人ですよ?」


「だからです」


アラタは吹き出した。



ナナリーに連れられて向かったのは。


フロントの裏側。


いわゆる。


フロントバック。


表側では宿泊客を迎え。


裏では。


膨大な情報が動いている。


「到着予定」


「出発予定」


「延泊」


「客室変更」


「未到着」


「特記事項」


「館内修繕」


「警備情報」


アラタが次々に確認する。


「やっぱり似てるな」


「何がです?」


「俺のいたホテルと」


端末の形も違う。


魔法も使う。


客の種族も違う。


だが。


管理しているものは。


意外なほど同じだった。


今日、誰が来るのか。


誰が泊まっているのか。


誰が帰るのか。


どの部屋が使えるのか。


どこに問題があるのか。


ホテルは。


情報の集積地だ。


「これ」


アラタが一つの表示を見る。


「まだ到着してない客?」


「はい」


ナナリーが答える。


「到着予定時刻を過ぎています」


「連絡は?」


「ありません」


アラタは頷く。


予約がある。


だが。


予定時刻になっても客が来ない。


最終的に宿泊客が現れなければ。


ホテル業界では一般に、


ノーショー


と呼ばれることがある。


予約しているにもかかわらず。


連絡なく現れない客。


「こっちでもあるんですね」


「もちろんです」


「異世界なのにノーショー」


「来ないものは来ません」


「身も蓋もない」


ナナリーは端末を操作する。


「ただし、この世界では事情が少々複雑です」


「というと?」


「転移魔法の失敗」


「ああ」


「飛行生物の運休」


「うん」


「魔獣による街道封鎖」


「……うん」


「時間魔法事故」


アラタが止まる。


「最後何?」


「時間魔法事故です」


「予約客が時間超えてくるとか?」


「場合によっては」


ナナリーが平然と言う。


「数年後に到着することもあります」


「それもうノーショー扱いどうすんの!?」


「規定があります」


「あるんだ!?」


「過去に問題になりましたので」


「このホテルのマニュアル厚い理由、どんどん分かってきた……」


異世界ホテル。


怖い。



そのとき。


ベルが鳴った。


通常の呼び出し音とは違う。


短く。


二回。


ナナリーの表情が変わる。


「客室からの呼び出しです」


「緊急?」


「緊急ではありません」


端末を見る。


そして。


ほんの少し。


眉が動いた。


「……」


アラタが気づく。


「どうしました?」


「呼び出したお客様が」


ナナリーが言う。


「例の方です」


「黒いローブの?」


「はい」


アラタの表情が少し変わる。


昨日。


いや。


ついさっきまで。


周囲の宿泊客に警戒されていた客。


そして。


人間という言葉を知っていた客。


「何の用です?」


「お飲み物をご希望です」


「……普通」


「普通です」


アラタは少し拍子抜けする。


危険人物。


秘密。


人間の過去。


そんな話をしていたから。


もっと大変な内容を想像していた。


「誰が持っていくんです?」


「ルームサービスへ依頼します」


「なるほど」


ナナリーが端末を操作する。


しかし。


数秒。


止まる。


「……何か?」


「注文内容が」


「何です?」


「夜露酒です」


「よつゆしゅ?」


「特定種族が好む飲料です」


「酒?」


「分類上は」


「問題でも?」


ナナリーがアラタを見る。


「通常、彼の種族は飲みません」


「……へえ」


「体質的に受け付けないはずです」


アラタは。


少しだけ考えた。


「本人が頼んだんですよね」


「はい」


「じゃあ出すんじゃないんですか?」


「もちろんです」


ナナリーは即答。


「ただ」


「ただ?」


「少し気になっただけです」


アラタは。


その言葉を覚えておいた。



数分後。


館内の廊下。


アラタは。


一人でトレイを持って歩いていた。


「…………」


夜露酒。


小さなボトル。


グラス。


軽い軽食。


「何で俺が持ってんだ」


誰も答えない。


数分前。


ナナリー。


『研修です』


一言。


以上。


「便利な言葉だなあ……」


何でも研修。


何でも経験。


そして今。


よりによって。


一番気になる客の部屋へ。


アラタが運ぶことになった。


(まあ)


(話を聞けるかもしれないけど)


その考えを。


すぐに捨てる。


ブラッドリーの言葉。


――彼は、お客様です。


聞きたいからといって。


詮索してはいけない。


アラタは。


客室前で止まる。


深呼吸。


コンコン。


「失礼いたします」


しばらく。


返事がない。


もう一度。


「ルームサービスでございます」


内心。


少しむず痒い。


(異世界来てこれ言うことになるとは……)


カチャ。


扉が開く。


黒衣の客。


昼間と同じローブ。


光る瞳。


「……お前か」


「はい」


アラタはトレイを持ったまま一礼。


「ご注文のお飲み物をお持ちいたしました」


「入れ」


「失礼いたします」


部屋へ入る。


室内は。


意外なほど普通だった。


もちろん。


Hotel Aequitas基準では。


広い。


豪華。


だが。


危険人物だからといって。


怪しい魔法陣があるわけでもない。


武器が並んでいるわけでもない。


窓際。


椅子。


テーブル。


ベッド。


荷物すらほとんどない。


アラタは。


指定されたテーブルへトレイを置く。


「こちらでよろしいですか?」


「構わない」


「では」


グラスを置く。


「夜露酒でございます」


黒衣の客は。


椅子に座った。


アラタは。


一礼して退出しようとする。


「待て」


止まる。


「はい?」


「人間」


呼ばれ方。


アラタの眉が少し動く。


「一応、アラタって名前があるんですけど」


沈黙。


「……アラタ」


「はい」


ちゃんと呼んだ。


妙に素直だ。


「お前は」


黒衣の客が言う。


「本当に人間なのか」


アラタは。


少し考える。


「たぶん」


「たぶん?」


「自分ではずっとそう思って生きてきたんで」


黒衣の客は黙る。


アラタは続ける。


「少なくとも」


自分の手を見る。


「角も羽も尻尾もありません」


「それは人間の証明にはならない」


「この世界だとそうなんですね」


沈黙。


黒衣の客が。


グラスへ酒を注ぐ。


飲まない。


ただ。


液体を見ている。


アラタは。


それを見る。


「……飲まないんですか?」


「なぜ聞く」


「注文したから」


「……」


「あと」


少し迷い。


「苦手そうに見えます」


黒衣の客の視線が。


アラタへ向く。


「なぜ分かる」


「分かりません」


アラタは即答。


「ただ」


「ただ?」


「さっきから一回もグラスに口つけないので」


黒衣の客は。


グラスを見る。


「それだけか」


「それだけです」


ホテルマン。


客を見る。


それだけ。


アラタは。


軽く一礼する。


「差し出がましいこと言いました」


「……」


「ごゆっくりどうぞ」


再び。


扉へ。


「アラタ」


また呼ばれる。


「はい」


「お前は」


一拍。


「どこから来た」


アラタの身体が。


少し止まった。


来た。


向こうから聞いた。


それなら。


答えてもいい。


「日本」


「ニホン」


「私がいた世界の国です」


黒衣の客の指が。


わずかに動く。


「世界」


「はい」


「この世界ではないと?」


「たぶん」


「なぜ来た」


アラタは。


少し困ったように笑う。


「それが分かれば、俺も知りたいです」


「……」


「事故で死んで」


一拍。


「気づいたら森にいました」


黒衣の客は。


何も言わない。


アラタは。


相手の反応を見る。


驚き。


ではない。


恐怖。


でもない。


知っている。


ように見えた。


「……もしかして」


アラタは。


言いかける。


止めた。


聞いていいのか。


迷う。


黒衣の客が先に言う。


「聞きたいことがある顔だ」


「ホテルマンって顔に出ない方がいいんですけどね」


「下手だな」


「最近よく言われます」


黒衣の客の口元が。


ほんの少し。


動いたように見えた。


笑った?


分からない。


アラタは。


思い切って。


「あなたは」


一拍。


「人間を知ってるんですか」


沈黙。


長い。


アラタは。


追わない。


ただ待つ。


ホテルマン時代。


沈黙を埋めたくなる新人は多かった。


何か言わなければ。


会話を続けなければ。


だが。


客が考えているなら。


待つのも接客だ。


数秒。


十秒。


やがて。


黒衣の客が言った。


「知っている」


アラタの心臓が。


強く鳴った。


「……いるんですか」


「今はいない」


「今は?」


「少なくとも」


黒衣の客は。


窓を見る。


二つの月。


「私が知る限りでは」


「昔は?」


「……」


答えない。


アラタは。


その沈黙で。


ほぼ理解した。


いた。


この世界に。


かつて。


人間が。


「いつ?」


思わず聞く。


黒衣の客の視線が戻る。


アラタはすぐに。


「あ」


踏み込みすぎた。


「すみません」


一礼。


「忘れてください」


黒衣の客は。


少し不思議そうに見る。


「聞かないのか」


「聞きたいです」


「なら聞けばいい」


「あなたが話したくないなら」


アラタは言う。


「客室まで押しかけて聞くことじゃない」


「……」


「今の俺」


自分の制服を見る。


「ホテルの従業員ですから」


黒衣の客は。


黙ってアラタを見る。


「変な奴だ」


「異世界で一人だけ人間なんで」


「そういう意味ではない」


「じゃあどういう意味です?」


答えない。


代わりに。


黒衣の客は。


グラスを持ち上げた。


そして。


初めて。


夜露酒を口にする。


ほんの一口。


次の瞬間。


「……っ」


明らかに顔をしかめた。


アラタが思わず言う。


「やっぱ苦手じゃないですか」


「うるさい」


「何で注文したんです?」


「飲みたかった」


「絶対嘘でしょ」


「……」


「別のもの持ってきましょうか」


「いらん」


「無理して飲む必要ないでしょう」


「……」


アラタは。


少し考え。


「甘いのいけます?」


黒衣の客が見る。


「なぜだ」


「この酒の代わり」


「酒でなくていい」


「じゃあ」


アラタは思い出す。


朝食会場。


飲み物。


「厨房に、甘い温かい飲み物ありましたよね」


「知らん」


「確認してきます」


「頼んでいない」


「サービスです」


「勝手な奴だな」


「新人なので」


「免罪符にするな」


少し。


会話が。


普通になっていた。



十分後。


アラタは戻ってきた。


温かい飲み物。


薄い金色。


甘い香り。


「こちら」


テーブルへ。


「月蜜を使ったホットドリンクだそうです」


黒衣の客が。


警戒するように見る。


「毒は入ってないです」


「それを判断するのは私だ」


「ですよね」


一口。


「……」


二口。


アラタが。


少し待つ。


「どうです?」


「悪くない」


「その言い方、たぶん気に入ってますね」


「……」


当たり。


アラタは笑う。


「では、夜露酒はお下げしましょうか」


「置いておけ」


「飲むんですか?」


「眺める」


「何のために?」


「思い出だ」


アラタの笑顔が。


少しだけ止まる。


「……誰かが好きだったとか?」


黒衣の客は。


グラスを見る。


そして。


小さく。


「人間が」


アラタの表情が変わる。


「……」


黒衣の客は。


これ以上話さなかった。


アラタも。


聞かなかった。


ただ。


その一言だけで。


十分だった。


夜露酒。


この客が飲めない酒。


それなのに注文した。


人間との。


何かの記憶。


アラタは。


トレイを持つ。


「では」


一礼。


「失礼いたします」


扉まで。


今度は呼び止められない。


アラタが。


扉を開ける。


「アラタ」


呼ばれた。


「はい?」


「明日」


一拍。


「時間があるか」


アラタは振り返る。


「勤務次第ですけど」


「なら」


黒衣の客は。


窓の外を見る。


「話してやる」


アラタの心臓が。


また鳴る。


「人間について」


沈黙。


「……本当に?」


「ああ」


「ありがとうございます」


「礼を言うな」


「でも」


「私が話したいだけだ」


その声音。


少しだけ。


寂しそうだった。


アラタは。


何も言わない。


一礼。


「おやすみなさいませ」


扉を閉じた。



廊下。


アラタは。


しばらく立っていた。


「……人間」


いた。


この世界に。


昔。


人間が。


そして。


あの客は。


人間を知っている。


アラタが廊下を歩き始める。


角を曲がると。


そこに。


ブラッドリーがいた。


「うわっ!」


アラタが飛び上がる。


「びっくりした!」


「失礼しました」


「絶対待ってたでしょ!」


「偶然です」


「嘘だ」


ブラッドリーは微笑む。


「いかがでした?」


アラタが。


少しだけ表情を変える。


「……明日」


「はい」


「話してくれるそうです」


ブラッドリーの笑顔が消える。


「何を」


「人間について」


沈黙。


ブラッドリーは。


しばらく何も言わなかった。


「そうですか」


「知ってたんですか」


アラタが聞く。


「この世界に昔、人間がいたこと」


ブラッドリーは。


アラタを見る。


そして。


「確証はありませんでした」


「確証?」


「古い文献には」


一拍。


「似た存在についての記述があります」


「じゃあ」


「ですが」


ブラッドリーが遮る。


「人間という名称は」


「……」


「ほとんど残っていない」


アラタは。


眉をひそめる。


「何で?」


「分かりません」


「消えた?」


「可能性はあります」


「歴史から?」


ブラッドリーは。


答えない。


アラタは。


少し怖くなる。


種族が消えた。


だけではない。


名前まで。


歴史から消えた。


「俺」


アラタが。


自分の手を見る。


「何でそんな世界に来たんだろう」


ブラッドリーは。


静かに言う。


「それを知るためにも」


「はい」


「明日は」


一拍。


「お客様のお話を聞くべきでしょう」


アラタが頷く。


だが。


ブラッドリーは。


続ける。


「ただし」


「?」


「忘れないでください」


「何を?」


「その方は」


ブラッドリーの目が。


少し鋭くなる。


「非常に長い時を生きています」


アラタが止まる。


「……どれくらい?」


「私にも分かりません」


「じゃあ」


「彼が知る人間とは」


一拍。


「遥か昔の存在かもしれません」


夜。


Hotel Aequitas。


静かな廊下。


遠くで。


時計が鳴る。


一度。


二度。


三度。


アラタは。


黒衣の客がいる部屋を見る。


明日。


初めて。


自分以外の人間について。


知ることになる。


それは。


自分がこの世界に来た理由へ。


繋がるのかもしれない。


だが。


アラタはまだ知らない。


かつてこの世界に存在した“人間”という種族が。


Hotel Aequitasの歴史とも。


深く。


深く。


関わっていることを。


そして。


黒衣の客が。


その歴史を知る。


数少ない存在の一人であることを。


翌日。


アラタは。


この世界の。


忘れ去られた物語を。


初めて聞くことになる。


――第6話 完

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