第4話「ホテルマンの常識、異世界では非常識。」
「まず最初に申し上げておきます」
Hotel Aequitas (ホテル アエキタス)。
従業員用研修室。
朝。
アラタ・ナナサキは、机の前に座っていた。
目の前にいるのは、副支配人。
ナナリー・ヘイズワッド。
背筋は真っ直ぐ。
表情は真面目。
そして机の上には。
昨日ブラッドリーから渡された、
大量の資料。
「この世界において」
ナナリーは一冊の冊子を開いた。
「種族を知らずに接客をするということは」
アラタを見る。
「目を閉じて厨房を歩くようなものです」
「……危ないですね」
「そういうことです」
即答。
アラタは少しだけ姿勢を正した。
今日は。
Hotel Aequitasで働くと決めてから、初めての研修日。
まだ正式な配属は決まっていない。
しばらくはホテル全体を知るために、各部署を回ることになっていた。
つまり。
新人研修。
「まさか異世界まで来て、新人研修受けるとはな……」
アラタが小声で呟く。
ナナリーが聞き逃さない。
「何か?」
「何でもないです」
「では続けます」
怖い。
ブラッドリーとは違うタイプだ。
ナナリーは明らかに、教育係になると厳しい。
「ナナサキ様」
「はい」
「勤務中は“様”ではなくてもいいです」
「え?」
「あなたは従業員です」
「ああ」
アラタは頷く。
「じゃあ、アラタで」
「ナナサキ」
「名字なんですね」
「はい」
「分かりました」
ナナリーは冊子をめくる。
「まず」
一枚の図。
そこには、
複数の種族が描かれていた。
「フレーレオだけでも、日常的に生活している種族は数十」
「数十」
「交易や観光で訪れる者まで含めれば、さらに増えます」
「……覚えるの大変そうだな」
「大変です」
「否定しないんですね」
「事実ですから」
アラタはため息。
ナナリーは続ける。
「たとえば」
冊子の一箇所を指す。
「翼を持つ種族」
「はい」
「通常の客室でも宿泊できますが、天井高が必要です」
「まあ、それは分かります」
「一部の種族は就寝時にも翼を広げます」
「なるほど」
「そのためベッド幅より、周辺空間の方が重要です」
アラタは少し考える。
「つまり」
「はい」
「部屋の広さが同じでも、家具配置で使えるかどうかが変わる」
ナナリーの目が少しだけ動いた。
「理解が早いですね」
「ホテルマンだったので」
「元、では?」
「そこ拾います?」
ナナリーは無表情。
アラタは諦めた。
「次」
別の図。
大柄な種族。
「大型種」
「はい」
「一般用ベッドでは耐荷重が足りません」
「それは怖いな」
「実際、過去に破損事例があります」
「あるんだ」
「あります」
さらに。
「水棲種」
「水棲?」
「長時間乾燥した環境にいると体調を崩す場合があります」
「じゃあ加湿とか?」
「それで足りる種族もいます」
「足りない種族も?」
「室内に水槽設備が必要です」
「客室に!?」
思わず声が大きくなる。
ナナリーが見る。
アラタは咳払い。
「失礼しました」
「慣れてください」
「はい」
さらに説明は続く。
高温を好む種族。
低温が必要な種族。
強い光を嫌う種族。
逆に暗闇では不安を感じる種族。
食事制限。
宗教。
文化。
身体構造。
「…………」
アラタは頭を抱えた。
「現実世界でも、国や宗教や文化で気をつけることはあったけど」
ページをめくる。
「こっちは身体そのものが違うのか」
「その通りです」
「難易度高すぎません?」
「だから研修が必要なのです」
「納得しました」
昨日。
大量の本を見たときは、
やりすぎだと思った。
だが。
今は少しだけ理解できる。
知らなければ。
本当に危険なのだ。
◇
午前の座学が終わる。
次は館内研修。
担当は。
「よっ」
支配人。
サンディー・エドワーズ。
「今日は俺?」
アラタが聞く。
「今日は俺」
「軽いなあ」
「研修なんて堅くやっても覚えないだろ」
後ろから。
「支配人」
ナナリー。
「何?」
「研修は適度な緊張感が必要です」
「分かってるよ」
「昨日も同じことを言っていました」
「昨日?」
アラタが聞く。
サンディーが目を逸らす。
「気にするな」
ナナリーはため息。
「では私は戻ります」
去っていく。
アラタはサンディーを見る。
「怒られてました?」
「日常だ」
「苦労してるんですね」
「お前に言われたくない」
「まだ一日目ですよ」
「もう十分面倒そうだ」
「失礼だな」
二人で歩く。
最初に向かったのは。
フロント。
「昨日も見たけど」
サンディーが言う。
「今日は従業員目線で見ろ」
アラタは頷く。
フロントカウンター。
スタッフ。
宿泊客。
魔導端末。
荷物。
鍵。
いや。
鍵というより、
光る結晶のようなもの。
「これがルームキー?」
「そう」
「カードキーじゃないんだな」
「カード?」
「こっちの話」
サンディーは結晶を取る。
「客室ごとに魔力紋が登録されてる」
「紋?」
「本人以外が使おうとすると反応しない」
「すご」
「あと紛失しても再登録できる」
アラタが感心する。
「現実世界より便利じゃん」
「ただし」
サンディーが言う。
「魔力を持たない種族には別方式」
「……俺?」
「そう」
アラタは無言。
サンディーが笑う。
「安心しろ。昨日の部屋も特別鍵だった」
「そうだったのか」
気づかなかった。
「フロント業務の基本は、お前の世界と大きく変わらないと思う」
サンディーが指を折る。
「予約確認」
「はい」
「チェックイン」
「はい」
「客室案内」
「はい」
「精算」
「はい」
「問い合わせ」
「はい」
「苦情対応」
「はい」
「魔力暴走」
「……はい?」
止まる。
「今何て?」
「魔力暴走」
「基本業務に入るの?」
「まあ、たまに」
「たまに起きるんだ」
「客によっては」
アラタは遠い目。
「異世界ホテル怖いな……」
サンディーが笑う。
「慣れろ」
「みんなそれ言うな」
◇
次。
ベルサービス。
入口付近。
宿泊客の荷物を預かり、
客室へ運ぶ。
到着時の案内。
出発時の手伝い。
「この辺は分かる」
アラタが言う。
「現実世界でもあった」
「じゃあやってみる?」
「いきなり?」
「研修だから」
サンディーが手を上げる。
ちょうど。
大きな荷物を持った客が入ってきた。
耳が長い。
肌は薄い紫色。
人間ではない。
アラタは少し緊張する。
「行け」
「雑だな」
それでも。
身体が覚えている。
アラタは客へ近づく。
笑顔。
「いらっしゃいませ」
自然に出る。
「お荷物、お預かりいたしましょうか?」
客がアラタを見る。
少し驚く。
当然だ。
見たことのない人間。
「……あなた、何族?」
いきなり聞かれた。
アラタは一瞬止まる。
「えっと」
「アラタ」
後ろからサンディー。
「まず業務」
「ああ」
危ない。
「失礼しました」
アラタは切り替える。
「お荷物、お持ちいたします」
客は少し笑った。
「お願い」
「承知いたしました」
荷物を取る。
「…………重っ」
小声。
見た目の倍は重い。
客が笑う。
「中に石が入ってるの」
「石?」
「仕事道具」
「なるほど」
持ち上げる。
腕が震える。
(ガンゼフの言ってたこと、ちょっと分かった……)
何とか運ぶ。
サンディーが横を歩く。
「どう?」
「重い」
「そうじゃなくて」
「接客?」
「うん」
アラタは少し考える。
「まあ」
客を見る。
「普通だな」
サンディーが笑う。
「だろ?」
「見た目は全然違うけど」
宿泊客は宿泊客。
荷物を持ってほしい。
部屋へ行きたい。
そういう要望は同じ。
「ちょっと安心した」
アラタは言った。
◇
だが。
その安心は。
十分後に消える。
別の宿泊客。
小柄。
猫のような耳。
尻尾。
荷物を持っている。
アラタが近づく。
「いらっしゃいませ」
笑顔。
「お荷物、お預かりいたしましょうか?」
客が。
固まった。
「…………」
アラタは少し不安。
「お客様?」
次の瞬間。
尻尾が大きく膨らんだ。
「触らないで!」
「え!?」
客が一歩下がる。
アラタも驚く。
「す、すみません!」
すぐに頭を下げる。
客は荷物を抱える。
「自分で持つ!」
そのまま離れていく。
アラタは固まる。
「…………」
サンディーが来る。
「やったな」
「何が!?」
「怒らせた」
「見れば分かる!」
アラタは困惑。
「俺、何か失礼だった?」
「言葉は普通」
「じゃあ何?」
「さっきの種族」
サンディーが説明する。
「他人に荷物を持たれるのを嫌う」
「……え?」
「正確には」
指を立てる。
「身の回りの物に触れられることを嫌う文化がある」
アラタは固まる。
「そんなの分かるか!」
「だから研修してる」
「最初に言ってよ!」
「言ったら失敗しないだろ」
「失敗させる前提!?」
サンディーが笑う。
「一回やった方が覚える」
「客を教材にしないでください!」
アラタが頭を抱える。
さっきの客を見る。
まだ少し警戒している。
「……謝った方がいいよな」
「うん」
アラタは近づく。
一定距離で止まる。
今度は近づきすぎない。
「お客様」
客が見る。
アラタは頭を下げる。
「先ほどは失礼いたしました」
「……」
「私が、こちらの文化を理解しておりませんでした」
客は黙る。
「お荷物には触れません」
一拍。
「必要なことがございましたら、お声掛けください」
客の尻尾が。
少しだけ落ち着く。
「……新人?」
「はい」
「珍しい姿だから、すぐ分かった」
アラタが苦笑。
「今日からです」
「じゃあ」
客は少し笑う。
「覚えて」
「はい」
「私たちは、自分の荷物は自分で持つ」
「承知しました」
客は去っていく。
アラタは息を吐く。
サンディーが横に来る。
「よくできました」
「腹立つなあ」
「でも覚えただろ?」
「……まあ」
確かに。
もう忘れない。
◇
昼。
従業員食堂。
アラタはテーブルに突っ伏していた。
「疲れた……」
向かい。
アシュリー。
「まだ半日よ」
「聞きたくなかった」
「現実世界でもホテルマンだったんでしょ?」
「それとこれとは別」
アシュリーが飲み物を飲む。
「何が一番大変?」
「種族」
即答。
「文化だけじゃなくて身体まで違う」
「そうね」
「現実世界なら、“荷物をお持ちします”って普通のサービスでも」
アラタは顔を上げる。
「こっちじゃ地雷になることがある」
アシュリーが笑う。
「やっと分かった?」
「何が?」
「Hotel Aequitasが難しい理由」
アラタは黙る。
アシュリーは続ける。
「このホテルには」
一拍。
「いろんな種族が来る」
「うん」
「違う言葉」
「うん」
「違う文化」
「うん」
「違う身体」
「うん」
「違う常識」
「うん」
「それでも」
アシュリーは微笑む。
「全員がお客様」
アラタは少しだけ目を細める。
なるほど。
Hotel Aequitas。
Aequitas。
まだ名前の意味までは知らない。
でも。
少しだけ。
このホテルが何を目指しているのか。
分かった気がした。
◇
午後。
今度は客室部門。
廊下。
清掃スタッフが作業している。
アラタは作業を見る。
シーツ。
タオル。
備品。
清掃。
「これはかなり似てる」
アラタが言う。
担当スタッフが頷く。
「ただし、部屋によって清掃方法が異なります」
「種族?」
「はい」
またそれ。
スタッフが一つの部屋を指す。
「こちら」
扉に印。
「高温種族のお客様が利用した部屋です」
「はい」
「室温がまだ高いので入室禁止」
「何度?」
「およそ百二十度」
「ホテル燃えるだろ!」
「耐熱客室です」
「そういう問題じゃない!」
隣。
別室。
「こちらは低温種族」
扉に霜。
「現在、室内温度は零下四十度」
「冷凍庫じゃん!」
さらに。
水棲種用。
床に排水設備。
「…………」
アラタは遠い目。
「ハウスキーピング命懸けだな」
スタッフは真顔。
「安全第一です」
「本当にそう」
客室清掃。
ハウスキーピング。
ホテルにおいて、
客室を清潔で快適な状態に保つ重要な部門。
ベッドメイク。
清掃。
備品補充。
客室確認。
現実世界でも。
ホテルの品質を支える。
目立たないが欠かせない仕事。
そして。
この世界では。
「火傷と凍傷にも注意」
アラタが呟く。
異世界では。
さらに大変らしい。
◇
研修終了。
夕方。
アラタはロビーのソファに座っていた。
「…………」
疲れた。
非常に。
そこへ。
ブラッドリーが来る。
「初日はいかがでした?」
アラタは顔を上げる。
「辞めていいですか」
「昨日も聞きましたね」
「今日は昨日より本気です」
ブラッドリーが笑う。
「難しかったですか?」
「難しいですよ」
アラタは身体を起こす。
「同じサービスでも」
手を広げる。
「相手によって正解が違う」
ブラッドリーは頷く。
「そうですね」
「俺の世界でもそうだったけど」
アラタは続ける。
「こっちは極端すぎる」
荷物を持つ。
それだけで怒られる。
部屋の温度。
それだけで命に関わる。
食事。
ベッド。
照明。
水。
全部。
相手によって変えなければならない。
「何が正解なんです?」
アラタが聞く。
ブラッドリーは少し考えた。
「ありません」
「……え?」
「すべてのお客様に通用する正解など」
一拍。
「存在しません」
アラタは黙る。
ブラッドリーは続ける。
「マニュアルはあります」
「はい」
「種族ごとの知識も必要です」
「はい」
「規則もあります」
「はい」
「ですが」
ブラッドリーはロビーを見る。
様々な宿泊客。
「最後は」
アラタを見る。
「目の前のお客様を見るしかない」
「……」
アラタは昨日のことを思い出した。
水漏れ。
怒っていた客。
娘への贈り物。
マニュアルでは。
分からない。
その人が何を大切にしているか。
それは。
本人を見なければ分からない。
「ホテルマンって」
アラタが呟く。
「面倒な仕事ですね」
ブラッドリーが微笑む。
「今さらですか?」
「今さらです」
二人とも笑った。
そのとき。
正面玄関が開く。
一人の宿泊客が入ってきた。
全身を黒いローブで覆っている。
顔は見えない。
大きな荷物もない。
静かに。
ゆっくりと。
フロントへ向かう。
アラタは何となくその姿を見る。
ブラッドリーの表情が。
ほんの少し変わった。
「……?」
アラタが気づく。
「どうしました?」
「いいえ」
だが。
ブラッドリーの視線は。
その客から離れない。
フロントスタッフが対応する。
「いらっしゃいませ」
ローブの客が。
低い声で言う。
「予約している」
「お名前を頂戴してもよろしいでしょうか」
一瞬。
沈黙。
そして。
客は名前を告げた。
その瞬間。
ブラッドリーの目が。
鋭くなる。
アラタには。
その名前の意味が分からない。
だが。
近くにいたスタッフたちの空気が。
明らかに変わった。
ナナリー。
サンディー。
アシュリー。
皆。
一瞬だけ。
動きを止めた。
「……何?」
アラタが小さく呟く。
ブラッドリーは静かに言った。
「ナナサキ」
「はい?」
「研修初日ですが」
アラタを見る。
「少し予定を変更しましょう」
「嫌な予感しかしないんですけど」
ブラッドリーは答えない。
黒いローブの宿泊客が。
ゆっくりと。
アラタの方を向いた。
ローブの奥。
二つの光る瞳。
「…………」
アラタは。
本能的に感じた。
この客は。
普通ではない。
そして。
Hotel Aequitasでの仕事が。
ただ珍しい客を相手にするだけの、
楽しい異世界ホテル生活ではないことを。
アラタは。
まだ知らなかった。
――第4話 完




