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ようこそ、異世界ホテル"Aequitas"へ  作者: 嘯江 新(ウソブエ シン)


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3/17

第3話「もうホテルでは働きたくない」

朝。


アラタ・ナナサキは、見知らぬ天井を見上げていた。


「…………」


数秒。


瞬きをする。


もう一度、天井を見る。


白を基調とした天井。


細かな装飾。


中央には、小さな光球がいくつも浮かんでいる。


「……夢じゃなかったか」


小さく呟く。


身体を起こす。


広い客室。


大きなベッド。


重厚なカーテン。


窓の向こうには、見たこともない街並み。


空には巨大な鳥のような生き物が飛び、そのさらに奥では、浮遊する船がゆっくりと移動している。


ここは日本ではない。


昨日の出来事が、一気に頭へ戻ってきた。


交通事故。


森。


獣。


フレーレオ。


そして――。


「Hotel Aequitas……」


アラタは頭を掻いた。


「異世界転生して、最初に泊まる場所がホテルって」


しかも。


無料。


「人生分からんな……」


ベッドから降りる。


そこでアラタは、ふと足を止めた。


「……ん?」


シーツを見る。


皺が少ない。


枕も綺麗に整えられていた。


昨日、相当疲れていたはずだ。


もっと乱れていてもおかしくない。


「寝相良かったっけ、俺」


少し考える。


いや。


そういう話ではない。


部屋の隅を見る。


昨夜、脱いで適当に置いたはずの上着が、綺麗に畳まれている。


「…………」


アラタは固まった。


「まさか」


ベッド脇を見る。


小さなカードが置かれていた。


そこには文字。


やはり読める。


『お休みのところ失礼いたしました。お召し物を整えさせていただいております』


アラタは眉を上げる。


「ターンダウン……みたいなもんか?」


夜間に客室へ入り、ベッドを就寝しやすい状態に整えたり、備品を調整したりするサービス。


ホテルによって内容は異なるが、


ターンダウンサービス


と呼ばれるものがある。


「異世界でもあるんだな……」


昨夜、自分が眠った後に入室したのだろうか。


少し驚く。


だが。


ホテルマンだったアラタには、それ以上に気になることがあった。


ベッドサイド。


カーテン。


水差し。


タオル。


照明。


すべてが、妙に整っている。


「……レベル高いな」


無意識に評価していた。


「いや」


アラタは首を振る。


「何で俺がチェックしてんだ」


もうホテルマンではない。


昨日も何度そう思ったことか。


それなのに。


客室に泊まれば設備を見る。


スタッフの動きを見れば接客を見る。


トラブルが起きれば原因を考える。


身体に染みついている。


「……嫌になるな」


苦笑しながら洗面台へ向かった。



身支度を済ませる。


問題が一つあった。


服。


昨日と同じスーツしかない。


「転生するなら着替えくらい付けてくれよ……」


誰に文句を言っているのか自分でも分からない。


そして。


もう一つ。


もっと重要な問題がある。


腹。


「……減った」


昨日もろくに食べていない。


客室を出る。


廊下を歩きながら、アラタは周囲を見る。


昨日は疲れ切っていて気づかなかったが。


Hotel Aequitasは、明らかに巨大だ。


廊下だけでも長い。


客室扉の大きさも一律ではない。


普通の大きさ。


やたら大きな扉。


逆に小さな扉。


一部の部屋には床ではなく、壁の上部に出入口が付いている。


「……種族に合わせてるのか?」


翼のある種族。


大型種族。


小型種族。


なるほど。


人間だけを想定したホテルとは、設計思想そのものが違う。


「面白いな……」


口に出した後。


アラタは止まる。


「……面白い?」


自分で言った。


ホテルを見て。


面白いと。


「…………」


考えないことにした。



エレベーターらしき魔導装置で下階へ降りる。


扉が開く。


朝のロビー。


昨夜とは雰囲気が違う。


出発する宿泊客。


これから街へ出かける客。


荷物を運ぶスタッフ。


フロントでは何組もの客が手続きをしている。


「ありがとうございました」


「お気をつけてお出かけくださいませ」


「またのお越しをお待ちしております」


その光景を見て。


アラタの耳が勝手に拾う。


チェックアウト。


出発対応。


精算。


荷物預かり。


タクシー――ではなく、この世界では何か別の乗り物なのだろう。


朝のホテルには朝の流れがある。


「……懐かしい」


小さく呟いた。


「何がですか?」


「うわっ」


後ろから突然声を掛けられ、アラタは飛び上がった。


振り返る。


そこには一人の女性が立っていた。


整った制服。


美しくまとめられた髪。


姿勢が良い。


どこか厳格な雰囲気。


当然、人間ではない。


頭部には人間には存在しない特徴があり、その瞳も独特な色合いをしていた。


女性はアラタをじっと見る。


「失礼いたしました」


「い、いえ」


アラタが胸を押さえる。


「ちょっと驚いただけです」


「昨夜お越しになった方ですね」


「そうです」


「総支配人より伺っております」


女性は綺麗に一礼した。


「Hotel Aequitas副支配人、ナナリー・ヘイズワッドと申します」


「副支配人」


アラタも反射的に姿勢を正す。


「アラタ・ナナサキです」


「存じております」


「ですよね」


何となく気まずい。


ナナリーはアラタを見た。


視線が上から下へ。


アラタは微妙に居心地が悪くなる。


「……何か?」


「いえ」


「絶対何かありますよね」


「珍しいので」


即答だった。


「やっぱり」


「人間という種族は、初めて拝見します」


アラタは苦笑する。


「俺も昨日から、初めて見る種族ばっかりですよ」


「お互い様ということですね」


表情は硬い。


だが。


思ったより話しやすそうだった。


そのとき。


「ナナリー!」


ロビーの向こうから声。


一人の男が歩いてくる。


背が高い。


制服の着こなしは整っているが、ブラッドリーよりも少し柔らかい印象。


男はナナリーを見る。


「今日の団体到着、時間変更だってさ」


「何時です?」


「予定より一刻ほど早い」


ナナリーの眉が動く。


「早着……」


アラタが小さく呟いた。


男がこちらを見る。


「ん?」


ナナリーが紹介する。


「こちらが昨日話していた、アラタ・ナナサキ様です」


「おお」


男は興味深そうにアラタを見る。


「例の人間?」


「例のって」


アラタが笑う。


男は手を差し出した。


「サンディー・エドワーズ。ここの支配人だ」


「支配人」


「よろしく」


「よろしくお願いします」


握手。


サンディーはブラッドリーとは違う。


もっと現場寄り。


そんな印象を受けた。


「昨日の件、聞いたよ」


「昨日?」


「水漏れ」


「ああ……」


「よく気づいたな」


「たまたまです」


「たまたまで客の本音まで拾えるなら十分だろ」


アラタは少し困る。


「ホテルマンだったんだって?」


「前は」


「前は?」


「もう辞めるつもりだったんで」


サンディーが首を傾げる。


「ホテル嫌い?」


「…………」


答えにくい。


「まあ」


曖昧に笑う。


「ちょっと疲れまして」


サンディーはそれ以上聞かなかった。


「そっか」


それだけ。


アラタは少し意外だった。


もっと、


“もったいない”


とか。


“続ければいい”


とか。


そう言われると思っていた。


だが、サンディーは言わない。


「とりあえず朝飯まだだろ?」


「え?」


「顔に書いてある」


その瞬間。


グゥゥゥ……。


腹が鳴った。


沈黙。


ナナリーが視線を逸らす。


サンディーが笑う。


アラタは顔を赤くした。


「……異世界来てからまともに食べてないんですよ」


「それは駄目だ」


サンディーが言う。


「食事処へ案内するよ」


「いや、でもお金」


「ブラッドリー持ち」


「総支配人万能ですね」


「本人には言うなよ」


「聞こえていますよ」


背後。


三人が振り返る。


ブラッドリーが立っていた。


サンディーの顔が固まる。


「……おはようございます、総支配人」


「おはようございます」


笑顔。


怖い。


アラタは少し笑った。


「仲いいんですね」


ナナリーが即座に答える。


「業務上の良好な関係です」


「絶対違う」



Hotel Aequitasには複数の飲食施設があった。


そのうち。


朝食会場。


アラタが足を踏み入れた瞬間。


「うわ……」


思わず声が出た。


広大な空間。


様々な料理。


見たことのない食材。


空中を浮遊するパン。


自ら皿へ飛び込んでくる果実。


青い炎で調理される肉。


色鮮やかな飲み物。


そして。


客も多種多様。


「バイキング……いや、ブッフェ形式か」


アラタが呟く。


好きな料理を自由に選ぶ形式。


日本では“バイキング”という呼び方も広く使われているが、


ホテルではブッフェあるいはビュッフェと呼ばれることも多い。


「こちらでは“自由卓式”と呼んでおります」


隣から声。


アラタが振り向く。


女性。


長い髪。


華やかな雰囲気。


制服は他のスタッフとは少し違う。


「自由卓式?」


「お好きな料理を、お好きなだけ」


「なるほど」


女性はアラタを観察する。


「あなたが人間?」


「昨日からそればっかり聞かれてるんですけど」


「だって珍しいもの」


悪びれない。


女性は微笑み、一礼した。


「アシュリー・D・マリアネット」


「アラタ・ナナサキです」


「知ってる」


「やっぱり」


「チーフをしてるわ」


アラタが少し首を傾げる。


「チーフ?」


「そう」


アシュリーは笑う。


「あなたの世界にもあるでしょう?」


「まあ」


チーフ。


ホテルでは部署や担当によって意味合いは変わる。


単純に言えば、


現場の責任者や班のリーダーを指すことが多い役職呼称。


「なるほど」


アラタが周囲を見る。


アシュリーが面白そうに聞く。


「何を見てるの?」


「導線」


「どうせん?」


「客の流れです」


料理台。


通路幅。


スタッフの位置。


空いた皿の回収。


料理補充。


「混んでるのに、あんまりぶつからないなって」


アシュリーの目が細くなる。


「へえ」


「配置上手いですね」


「……あなた、本当にホテルマンなのね」


「元です」


「強調するのね」


「大事なんで」


アラタは皿を取る。


「もうホテルでは働きません」


言い切った。


アシュリーは笑った。


「そう」


それ以上は言わない。


だが。


その笑顔。


何かを知っているような。


「……何ですか?」


「別に」


「このホテル、“別に”って言う人多くないですか?」


アシュリーは楽しそうに去っていった。



食事。


美味かった。


悔しいくらい。


「何だこれ……」


肉のような料理。


口に入れた瞬間、柔らかくほどける。


果物らしきものは爽やか。


パンは妙にふわふわ。


「異世界飯、強いな……」


気づけば結構食べていた。


食後。


アラタはロビーへ戻る。


ブラッドリーが待っていた。


「お食事はいかがでした?」


「美味しかったです」


「それは何より」


「特にあの肉」


「ガンゼフが聞いたら喜ぶでしょう」


「ガンゼフ?」


「料飲・調理部長です」


「なるほど」


まだ会っていないスタッフ。


アラタは少し興味を持った。


だが。


それより。


ブラッドリーの表情。


何かある。


「で」


アラタが先に言った。


「何でしょう」


「何で俺を待ってたんです?」


ブラッドリーが笑う。


「察しがいい」


「ホテルマンだったので」


「元、でしょう?」


「……覚えましたね」


二人はロビー脇の静かなスペースへ移動する。


ブラッドリーは座らない。


アラタも立ったまま。


「ナナサキ様」


「はい」


「率直に申し上げます」


「どうぞ」


ブラッドリーはアラタを見る。


「Hotel Aequitasで働きませんか?」


アラタは。


一秒。


二秒。


三秒。


「嫌です」


即答した。


ブラッドリーの眉がわずかに上がる。


「即答ですね」


「即答しますよ」


「理由を伺っても?」


「昨日話しましたよね?」


アラタは腕を組む。


「俺、ホテル辞めようとしてたんです」


「はい」


「接客に疲れて」


「はい」


「転職先の面接へ向かって」


「はい」


「死んだんですよ」


「それは伺いました」


「そこまでしてホテルから離れようとしてた人間に」


アラタはHotel Aequitasを指差す。


「異世界でもホテルで働けって?」


ブラッドリーは平然としている。


「はい」


「鬼ですか?」


「残念ながら違う種族です」


「そういう意味じゃない」


アラタは額を押さえる。


「無理です」


「そうですか」


「はい」


「では」


ブラッドリーは穏やかに言う。


「今後、どうなさいます?」


「…………」


アラタが止まる。


「この世界にご友人は?」


「いません」


「ご家族は?」


「いません」


「お住まいは?」


「……ありません」


「所持金は?」


「…………ゼロです」


「職業は?」


「…………」


「身分を証明する物は?」


「…………」


「この世界の法律をご存じですか?」


「…………」


「通貨は?」


「…………」


「読み書き以外の生活知識は?」


「…………」


「ナナサキ様」


「分かりましたよ!」


アラタが頭を抱える。


「分かりました! 俺が今、社会的に完全な無職なのは!」


ブラッドリーは小さく笑う。


「責めているわけではありません」


「追い込んでますよね?」


「事実確認です」


「ホテルの偉い人って怖いな!」


アラタは大きく息を吐く。


だが。


ブラッドリーの言う通りだった。


異世界。


身寄りなし。


金なし。


住居なし。


仕事なし。


常識なし。


しかも。


唯一、自分ができる仕事。


それが――。


ホテル。


「……皮肉すぎるだろ」


アラタは呟く。


ブラッドリーは答えない。


少し間を空け。


アラタが聞く。


「何で俺なんですか?」


ブラッドリーの表情が変わった。


「昨日の件だけなら、別に大したことしてないです」


「そうでしょうか」


「水漏れに気づいたわけでもない」


「はい」


「修理したわけでもない」


「はい」


「ただ客に話しかけただけです」


「だからです」


アラタが顔を上げる。


ブラッドリーは真っ直ぐ見ていた。


「あなたは、怒っているお客様を“怒っている客”として見なかった」


「……」


「その方が何を心配しているのかを見た」


ブラッドリーの声は静かだった。


「技術なら教えることができます」


ホテルの仕組み。


この世界の常識。


Hotel Aequitasの規則。


異種族への対応。


それらは教えられる。


「ですが」


ブラッドリーは続ける。


「お客様を見ることができる者は、意外と多くありません」


アラタの胸に刺さる。


「俺は……」


口を開く。


「客を見るのに疲れたんです」


ブラッドリーは頷いた。


「それも理解しております」


「……」


「ですから」


一拍。


「今すぐホテルマンに戻れとは申しません」


「え?」


予想外だった。


ブラッドリーは続ける。


「まずは働いてください」


「……それ、同じでは?」


「少し違います」


「どう違うんです」


「Hotel Aequitasを知ってください」


ブラッドリーは周囲を見る。


巨大なロビー。


宿泊客。


従業員。


様々な種族。


「あなたの知っているホテルと」


アラタを見る。


「このホテルが同じかどうか」


「…………」


「それを確かめてから」


ブラッドリーは言った。


「嫌いになってください」


アラタは何も言えなかった。


ずるい。


そう思った。


“ホテルは素晴らしい”。


そう言われたなら反論できた。


“もう一度頑張れ”。


そう言われたなら断れた。


だが。


“知ってから嫌いになれ”。


それは。


ホテルマンだったアラタには。


妙に響く言葉だった。


「……期間は?」


ブラッドリーの口元が少し緩む。


「おや」


「まだ働くとは言ってません」


「もちろん」


「仮にです」


「はい」


「仮に働くなら」


アラタは指を一本立てる。


「まず短期間」


「承知しました」


「住む場所」


「従業員用居住区をご用意します」


「食事」


「従業員食堂があります」


「給料」


「当然お支払いいたします」


「この世界の常識」


「研修を行います」


「俺が人間だってこと」


「必要以上に公表するつもりはありません」


「……」


完璧。


アラタが顔をしかめる。


「準備良すぎません?」


「総支配人ですので」


「その言葉便利ですね」


ブラッドリーは笑った。


アラタは長く息を吐く。


ホテルを辞めたかった。


いや。


辞めるつもりだった。


もう接客はしたくなかった。


知らない客に頭を下げ。


理不尽に耐え。


笑顔を作る生活。


もう戻りたくない。


だが。


今。


目の前にあるHotel Aequitasは。


自分が知っているホテルと。


どこか似ていて。


どこか違う。


そして。


昨日。


ほんの一瞬だけ。


客が安心した顔を見たとき。


自分も安心してしまった。


その事実が。


どうにも気に入らない。


「……一つだけ」


「はい」


「条件があります」


ブラッドリーが待つ。


アラタは言った。


「俺が無理だと思ったら」


一拍。


「辞めます」


ブラッドリーは迷わなかった。


「もちろんです」


「引き止めなし」


「善処します」


「今、“もちろん”って言った直後ですよね?」


「総支配人にも交渉権はありますので」


「油断ならないな……」


アラタは頭を掻く。


そして。


ついに。


言った。


「……分かりました」


ブラッドリーの目が細くなる。


「働きます」


アラタはすぐに付け加える。


「一時的に」


「承知しました」


「仮ですからね」


「ええ」


「ホテルマンに戻るって決めたわけじゃないです」


「もちろんです」


「本当に分かってます?」


「十分に」


ブラッドリーは右手を差し出した。


「では」


アラタはその手を見る。


ホテルマンを辞めようとした日。


自分は死んだ。


そして。


異世界へ来た翌日。


再び。


ホテルで働くことになった。


「……人生って」


小さく笑う。


「本当に分かんねえな」


アラタは。


ブラッドリーの手を握った。


「よろしくお願いします」


ブラッドリーが微笑む。


「こちらこそ」


そして。


「ようこそ、Hotel Aequitasへ」


昨日とは。


少しだけ意味の違う言葉だった。



数分後。


「では早速ですが」


「え?」


ブラッドリーが一冊の分厚い本を渡してきた。


ドン。


アラタの腕が沈む。


「重っ!」


「従業員規則です」


「……これ全部?」


「はい」


さらに一冊。


ドン。


「こちらは館内設備」


さらに一冊。


「主要種族別接遇資料」


さらに一冊。


「危険指定魔法一覧」


さらに。


「ちょっと待って!」


アラタが叫ぶ。


近くの宿泊客が振り返る。


「研修って!」


本を抱えながらアラタが言う。


「研修ってそういう感じ!?」


「基礎知識は重要です」


「これ何ページあるんですか!?」


「四冊でおよそ二千八百頁です」


「辞めてもいいですか?」


「早いですね」


その様子を。


少し離れた場所から。


サンディー。


ナナリー。


アシュリー。


三人が見ていた。


サンディーが笑う。


「決まったな」


ナナリーは腕を組む。


「まだ仮採用でしょう」


アシュリーが微笑む。


「あの人、面白そう」


「遊ぶなよ」


「失礼ね」


そのとき。


ロビー奥。


大きな扉が開く。


厨房方面から。


低く響く声。


「ブラッドリー!」


大柄な男が現れた。


周囲の空気が少し変わる。


体格。


威圧感。


料理人らしい装い。


アラタが振り返る。


「……誰?」


男がこちらを見る。


そして。


一言。


「そいつが人間か」


アラタは眉をひそめた。


ブラッドリーが紹介する。


「料飲・調理部長」


一拍。


「ガンゼフ・スキアボーネです」


ガンゼフはアラタをじっと見る。


上から下まで。


値踏みするように。


そして。


「細いな」


第一声。


アラタのこめかみが動く。


「……初対面ですよね?」


「こんなんで荷物持てんのか?」


「ホテルマンを何だと思ってるんです?」


「食え」


「は?」


「もっと食え」


「朝めちゃくちゃ食べましたけど!?」


ガンゼフが鼻を鳴らす。


「足りん」


「何基準だよ!」


ロビーに。


アラタの声が響く。


こうして。


異世界唯一の人間。


アラタ・ナナサキの。


Hotel Aequitasでの勤務が始まった。


だが。


彼はまだ知らない。


このホテルで働くということが。


ただ。


部屋を売り。


料理を提供し。


客を迎える。


そんな単純な仕事ではないことを。


異なる文化。


異なる価値観。


異なる身体。


異なる常識。


時には。


一つの種族にとっての“最高のサービス”が。


別の種族にとっては、


命に関わるほど危険なことすらある。


そして。


Hotel Aequitasには。


普通のホテルには存在しない、


もう一つの役割があることを。


その全てを。


アラタはこれから知っていく。


まずは――。


「ナナサキ様」


ブラッドリーが言った。


「本日より研修を開始いたします」


アラタは大量の本を抱えながら。


遠い目をした。


「……異世界でも新人研修からかよ」


――第3話 完

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