第35話「三人の帰還者」
転送待機列に新たな三名が追加されたことを確認した私は、そのままフロントへ戻ることなく総支配人室へ向かった。
エリアスが到着したばかりだというのに、今度は三人。まだ大規模な帰還が始まったとは言えないものの、単発の偶然では済まなくなりつつある。しかも全員が人間だと判定されている以上、数百年前に停止した転送処理が少しずつ再開している可能性は高い。
総支配人室へ入ると、ブラッドリー、サンディー、ナナリーはすでに状況を把握していた。
「待機三名、全員人間です」
私が端末を机へ置くと、ナナリーが表示を確認する。
「到着予定時刻は?」
「まだ出ていません。ただ、エリアスさんの時より転送経路の形成が早いそうです」
「三名同時ですか?」
「キーパーによると、その可能性があります」
サンディーが腕を組んだ。
「一人ならまだしも、これが増えていくなら対応を決めないとな」
「そうですね」
ブラッドリーは少し考えてから、ホテルとしての現実的な問題を挙げ始めた。
「まず客室です。帰還者が宿泊を希望するとは限りませんが、少なくとも到着直後に休める場所は必要でしょう。医務対応、食事、衣類、それから現在のフレーレオについて説明できる人員も必要です」
「言葉は零号室の翻訳がありますけど、本館へ出た後は?」
私が尋ねると、キーパーの端末越しの返答が届いた。
『零号室経由で正式に受け入れた到着者には、一定期間の翻訳補助が付与されます』
「便利ですね」
『長期滞在時には別途適応が必要です』
「そこまで万能じゃないか」
私は少しだけ安心した。数百年前の人間が、現在の異世界語をいきなり理解できないとなれば説明どころではない。翻訳補助があるだけでも大きい。
ナナリーはすぐに準備内容を整理していく。
「特殊客室を三室確保します。食事についてはガンゼフ部長へ事情を限定的に共有し、人間向けの刺激が少ない内容を用意してもらいましょう。一般スタッフには、特殊な長期不在客の再受け入れ案件として伝えます」
「人間だってことは伏せる?」
「現時点では」
ブラッドリーが頷いた。
「情報を広げすぎる必要はありません。帰還者本人の安全にも関わります」
それは当然だった。
この世界に人間が戻ったと知れれば、聖法院だけでなく、別の勢力まで動く可能性がある。
「エリアスさんには?」
「三名が到着した後、本人たちの希望を確認してから面会していただきます」
前に約束した通りだ。
私はそこで少しだけ息を吐いた。
「じゃあ、準備しましょう」
これまでなら「何が起きるんだろう」と不安ばかりが先に立っていたかもしれない。でも今回は、やるべきことが比較的はっきりしている。
三人来る。
なら三人分の受け入れ態勢を作る。
ホテルマンとして考えれば、それだけだった。
◇
零号室へ戻った頃には、三名の転送情報がかなり明確になっていた。
フロントカウンターの上には、それぞれ別の到着者情報が表示されている。
NAME:MIRA HAWTHORNE
NAME:JONAS VALE
NAME:LENA FOSTER
全員、人間。
そして三人とも、人間消失事件当時にHotel Aequitasへ滞在していた記録が残っている。
「全員宿泊客だったんですね」
「はい」
キーパーが情報を展開する。
ミラ・ホーソーン。滞在八日目。
ジョナス・ヴェイル。滞在四十六日目。
レナ・フォスター。滞在二百十一日目。
それぞれ滞在理由も異なっていた。
ミラは商取引のため。
ジョナスは異世界研究。
レナはこの世界への定住希望。
「同じ人間でも、本当にバラバラですね」
私は表示を見ながら呟いた。
「当然でしょう」
ナナリーが答える。
「人間という種族名だけで、目的まで同じになるわけではありません」
「ですよね」
だからこそ、一人ずつ話を聞く。
今回の到着は、私が零号室の意味を理解できているか試されているようにも感じた。
「転送まで?」
「約七分」
私はカウンターの内側へ入った。
ブラッドリーとナナリーは後方、バルガスは警戒位置。今回はエリアスにはまだ知らせていない。到着直後の三人へいきなり数百年前の知人を会わせれば、それだけで情報量が多すぎるからだ。
数分後、空間中央に三つの光が現れた。
前回のエリアスと同じ白い光だったが、今回はそれぞれが一定の距離を保っている。まるで零号室自身が、三人を混線させないように分けているようだった。
「転送開始」
キーパーの声とともに、一人目の輪郭が現れる。
女性。
二十代後半ほど。
赤褐色の髪を肩まで伸ばし、厚手の外套を着ている。
続いて二人目。
細身の男性。
三十代前半。
丸い眼鏡のようなものをかけ、大量の紙束が入った鞄を抱えている。
三人目は若い女性だった。
見た目は二十歳前後。淡い金髪と白いワンピース。転送直後から明らかに体調が悪そうで、その場へ膝をついた。
「レナさんの状態を確認してください」
『生命反応は安定しています。急激な世界接続による一時的な眩暈と推定されます』
私はほっとしてから、三人へ声をかけた。
「皆様、聞こえますか?」
最初に反応したのは赤褐色の髪の女性だった。
「……ここは?」
続いて男性が周囲を見渡し、顔を強張らせる。
「零号室……?」
やはり知っている。
「はい。こちらはHotel Aequitasの零号室です」
私がそう答えると、三人の反応はそれぞれ違った。
赤褐色の女性――ミラは警戒するように私を見つめ、ジョナスはむしろ興奮したように周囲の設備へ視線を走らせる。レナはまだ床に座ったまま、私の顔だけを見ていた。
そして最初に口を開いたのは、そのレナだった。
「……人間?」
「はい」
私は穏やかに答える。
「私も人間です」
レナの目から、明らかに緊張が抜けた。
一方でミラは眉をひそめる。
「あなたを知らない」
「当然だと思います。私はアラタ・ナナサキ。このホテルで働いています」
「ナナサキ……?」
ジョナスが興味深そうに繰り返す。
「聞いたことのない系統の名前だな。どの世界出身だ?」
「日本です」
「ニホン?」
「たぶん皆さんのいた世界とは別です」
そこでミラの表情が変わる。
「別世界の人間?」
「はい」
「じゃあ、ノアと同じ?」
「ノアさんも別世界から来た人間だったそうですね」
その名前を出した瞬間、三人とも反応した。
「ノアはどこ?」
ミラがすぐに聞く。
「生きています。ただし現在は境界層にいます」
「境界に?」
ジョナスが青ざめる。
「なぜそんなところへ?」
「説明すると長くなります」
「今は何年だ?」
突然そう聞いたのはジョナスだった。
私は少し言葉を選ぶ。
「皆さんがこの世界からいなくなってから、かなり長い時間が経っています」
「どれくらい?」
「……数百年です」
三人とも黙った。
さすがに、この情報だけは軽く受け止められるはずがない。
ミラは何かを言おうとして口を閉じ、ジョナスは持っていた鞄を強く握りしめる。レナに至っては、意味を理解するまでに時間が必要なようだった。
私はそれ以上すぐには続けなかった。
ホテルで大きなトラブルを説明する時も、相手が理解する時間を待つ必要がある。まして今回は、数百年という時間そのものを受け入れなければならない。
「……嘘でしょう?」
最初に声を出したのはレナだった。
「昨日まで、私はここにいた。Aequitasの部屋で寝て……朝になったら、ルキウスの実験があるって」
「皆さんにとっては、ほとんど時間が経っていないんですね」
「何百年って……」
声が震えている。
「家族は?」
その質問は痛かった。
答えは分かっていても、私が勝手に断定するべきではない。
「今の時点では、皆さんのご家族について確認できていません」
私はできるだけ丁寧に答えた。
「ただ、この世界では数百年が経過しています。すぐに全部を確認するのは難しいと思います」
レナは俯いた。
ミラは悔しそうに拳を握る。
ジョナスだけは黙ったままだったが、その目は何かを計算するように動いていた。
「皆さん」
私は一度、三人全員を見た。
「今すぐ何かを決める必要はありません」
三人の視線がこちらへ向く。
「まず休んでください。現在の世界がどうなっているのか、知っている人が残っているのか、何が変わったのか。それは順番に確認できます。Hotel Aequitasでは、少なくとも皆さんが落ち着くまで滞在できる場所を用意します」
「……泊まっていいの?」
レナが尋ねた。
「もちろんです。ご希望であれば」
ここだけは、迷いなく言える。
◇
三人の身体状態を確認した結果、ミラとジョナスに大きな異常はなかった。レナも一時的な眩暈以外は問題なく、少し休めば歩けるという。
落ち着いたところで、本人確認と最後の記憶を簡単に聞くことになった。
「ミラ・ホーソーンさん」
「合ってる」
「最後に覚えているのは?」
「市場へ行く準備をしていた。翌日に商談があったから、その資料を部屋で確認していた」
「原初天秤の実験については?」
「直接は関係してない。ただ、ルキウスが何か大きな実験をすると聞いてた」
次にジョナス。
「僕は見学許可をもらっていた」
「基底区画に?」
「ああ。異世界間の定着理論を研究していたからね」
やはり研究者らしい。
「原初天秤を見たことが?」
「ある」
この一言だけで、重要人物だと分かる。
「操作は?」
「できない。ただ構造の一部なら理解している」
「その話は後で詳しく聞かせてください」
「もちろんだ。というより、数百年後に研究の続きをできるなら――」
「まず休んでください」
思わず遮った。
ジョナスが不満そうな顔をする。
「私は元気だ」
「数百年ぶりに世界へ戻った直後ですよ」
「僕の感覚では数分だ」
「それでもです」
ブラッドリーが後ろで少し笑っている気がした。
三人目のレナは、この世界へ定住するつもりだった。
「私、ここで暮らす家を探してたの」
「フレーレオに?」
「そう。人間が住んでも問題ない場所を探してて、Aequitasに長く泊まってた。ノアにも何度か相談した」
「どんなことを?」
「仕事とか。家とか。それから……」
レナは少しだけ笑う。
「あの人、私が何か悩むたびに“とりあえず泊まって考えろ”って言ってた」
「絶対ホテルマンですよね、あの人」
「本人は違うって言ってたけど」
やはり。
私はもう驚かなかった。
◇
三人の確認が終わったところで、エリアス本人へ面会希望を確認した。
もちろん三人全員が「会いたい」と答えた。
「エリアスが生きてるの?」
レナが驚く。
「今朝戻ってきました」
「じゃあ、私たちより先に?」
「はい」
キーパーの記録では、エリアスが帰還優先順位一位。そしてこの三人は二位から四位に設定されていた。
「誰が順番を?」
ジョナスが尋ねる。
「ノアさんです」
また三人が黙る。
「ノアが?」
「エリアスさんの優先順位を設定したのはノアさんでした。皆さんについても確認します」
キーパーが情報を開く。
やはり同じだった。
RETURN PRIORITY REGISTERED BY:NOAH WINSLET
「……全部あいつが決めてる」
ミラが呆れたように言う。
「何百年経っても、人の予定を勝手に組むのね」
「昔から?」
「昔から」
ゼノやセレスだけではないらしい。
知れば知るほど、ノアの人物像だけが妙に具体的になっていく。
しばらくしてエリアスが零号室へ入ってきた。
三人の顔を見た瞬間、彼はその場で立ち止まった。
「……ミラ?」
呼ばれたミラも動かなかった。
「エリアス……?」
「ジョナス。レナも」
エリアスの声が少し震えている。
三人が戻ってきた。
それだけのことなのに、この人たちにとっては違う。
数百年ぶりではない。
本人たちの感覚では、昨日別れた人と再会しただけなのだ。
けれど世界側では、その間に数百年が過ぎている。
「生きてたのね」
ミラが小さく言う。
「ああ」
「他のみんなは?」
その質問だけで、再会の空気が変わった。
エリアスは首を振る。
「まだ分からない。戻ったのは、今のところ俺たちだけだ」
レナが俯く。
ジョナスは黙って天秤の紋章を見つめた。
私は少し離れたところに立ち、口を挟まなかった。
こういう時間は。
ホテルスタッフが入るべきではない。
家族でも友人でも。
再会には。
本人たちだけの間がある。
だから私は、しばらくその場を離れることにした。
◇
三人にはそれぞれ本館の客室を用意した。
現在のHotel Aequitasの設備を見たミラは最初こそ驚いていたが、「昔より随分豪華になった」と妙に冷静だった。一方、ジョナスは魔導昇降機や現在の照明設備を見るたびに立ち止まり、ナナリーから何度も「後で説明します」と促されている。レナは館内を歩く間も静かだったが、現在のロビーへ出た瞬間、少しだけ表情を緩めた。
「変わってるけど……Aequitasだ」
「分かるんですか?」
「匂いが同じ」
「匂い?」
「古い木と、厨房からくる料理の匂い。それからロビーの花」
私は思わず周囲を見る。
建物そのものは何度も増改築されている。
スタッフも。
宿泊客も。
全部違う。
それでも、数百年前に泊まっていた人には分かる何かが残っているらしい。
「ホテルって、不思議ですね」
私が呟くと、レナがこちらを見る。
「あなたがそれ言うの?」
「最近よく思うんですよ」
ホテルは建物だけではない。
場所。
人。
匂い。
サービス。
記憶。
全部が重なって、そのホテルになる。
だから数百年経っても。
レナは。
ここをAequitasだと思える。
◇
三人を客室へ案内し終えたあと、私はフロントバックで端末を開いた。
転送待機列は再びゼロ。
四十八時間のカウントダウンは、残り四十二時間ほどになっている。
ただ、少しずつ人間が戻ってきていることを考えると、ゼロになった瞬間に大規模帰還が始まるとは限らないのかもしれない。
「キーパー」
『はい』
「帰還優先順位って、何を基準に設定されてるんです?」
『現在確認可能な記録では、ノア・ウィンスレットによる個別設定です』
「全員分?」
『少なくとも最初の十二名には設定があります』
「十二……」
私はその数字に引っかかった。
原初天秤実験の。
最初の調整対象。
「まさか」
『一致します』
「やっぱり」
エリアス。
そして今回の三人。
全員が。
実験に直接関わった十二名?
「でもミラさんは直接参加してないって」
『対象者は実験参加者に限定されません。原初天秤の初期処理対象として登録されていた人間十二名です』
「ミラさんも登録されてた?」
『はい』
本人が知らないまま。
対象だった。
少し嫌な感じがした。
「残り八人も戻ってくる?」
『優先処理が継続する場合、その可能性があります』
「その後は?」
『記録なし』
つまり今は、最初の十二人。
そこまで、ノアが先に戻すよう設定した。
「何のために?」
『不明です』
「ですよね」
ただ、推測できることはある。
原初天秤を知る。
最初の十二人。
彼らを先に戻す。
それからが本番。
……また短くなりそうだったので、私は画面を見ながら一度思考を整理した。
ノアが最初の十二人へ優先順位を設定した理由は、おそらく人間の大規模帰還を始める前に、原初天秤の実験に直接関係していた者たちを揃えるためだ。彼らなら、人間消失事件が発生した瞬間の状況をそれぞれ異なる立場から覚えているかもしれない。
つまり十二人が全員揃えば、数百年前に何が起きたのかを、聖法院の記録だけではなく当事者の証言から再構成できる。
そしてそれが、ノアの言う「まだ天秤へ触るな」という警告にも繋がるのかもしれない。
先に知るべきことがある。
だから順番に戻している。
「ノアさん……本当に全部説明してからやってほしいなあ」
私は苦笑した。
その時、端末がまた震えた。
今度の通知を見た瞬間、さすがにため息が出た。
TRANSFER QUEUE DETECTED
今度は。
WAITING:2
二名。
種族はもちろん人間。
そして帰還優先順位。
五位。
六位。
「やっぱり順番だ……」
私はすぐにブラッドリーへ連絡しながら、フロントへ戻る準備を始めた。
人間たちは、まだ一斉には戻ってこない。
ノアが残した順番に従い、少しずつHotel Aequitasへ帰ってきている。
数百年前の人間消失事件を知る十二人。
彼ら全員が揃った時。
原初天秤の本当の失敗が、ようやく明らかになるのかもしれない。
そしてカウントダウンは、その間も止まることなく減り続けていた。
――第35話 完




